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男装令嬢と隣のお兄さん  作者: ちや
残り7年
15/27

お兄さんの鉢合わせ

 アメリアとユカが話したあの日以来、ユカは乗馬訓練を断るようになった。

 封書で短く、「機会を設けてくれているのに、すまない」との言葉だけが送られてくる。

 気まずいのだろう、遥かに年下の女の子に気を遣わせている状況に、アメリアは苦い心地に覚えていた。


 アメリアには、疑問に感じていることがある。

 ――ユカは何故、いつも自分のことを卑下するのだろう?

 ユカは10歳という年頃の割りに、博識で落ち着いている。ちょっと変わっている彼女だけど、そこまで蔑むほど悪い子ではない。

 むしろ聞き分けもよく、周りをよく見ていて賢いほどだ。決して『粗悪品』などではない。


 ユカが見せた不自然に歪んだ顔が、彼の脳裏に過ぎる。

 アメリアが騎士団へ入ると告げたときの、悟ったような、諦め切ったような表情。気掛かりなそれを確認したくても、ユカと会う機会がない。


 ……会えないのなら、こちらから会いに行こう。

 いつになく能動的な気持ちで、アメリアが決意を固める。

 嫌われたのかも知れない。それならそれで、これまで利用したことを含めてちゃんと謝ろう。……会ってくれるといいな。

 淡い期待を抱いて、彼は外出の予定を組んだ。




 アメリアにとって久しぶりであるルクレシア邸に、見慣れない馬車が停まっていた。

 誰か客人だろうか? 初めて見かける外部の人の存在に、アメリアが首を傾げる。引きこもりを自負するユカは、社交界とつながりが薄い。


 出迎えてくれたルクレシア夫人が、静々と頭を下げる。聞けば、ユカは現在来客中らしい。

 あのユカに客人……? 意外な返答は、アメリアにざわりとした感覚を与えた。彼が無意識に胸を擦る。


 ユカの侍女であるエレナが、応接間まで案内する。

 侍女らしい整った仕草で扉を数度叩き、開いた隙間に滑り込む。

 程なくして、薄藤色の髪を束ねた、見た目少年が飛び出してきた。

 廊下で待っていたアメリアを見上げ、しっかりと扉を閉める。瞬時に彼の腕を両手で掴んだユカが、早口で捲くし立てた。


「アメリア! いいか、今の私は、ユカ・ルクレシアの架空の弟、ジェイだ!」

「う、うん?」

「そしてきみは、傍若無人な姉のユカに捕まった、憐れな婚約者だからな! わかったな!?」


 必死に小声で訴える彼女の指定に、アメリアの胸がずきりと痛む。

 きみはまたそんなことを――、口を突きそうになった小言が、開かれた扉によって霧散した。


「おい、ジェイ。何が――!?」

「あ、ああ、イクス。いや、姉がアメリアを呼び出していたようでな、足労かけたことを詫びていた」

「えええっ、イクシ――ッ」


 瞬間、アメリアの首にイクシスの腕が回された。ぎゅっと絞まったそれに、彼がぐえっと鳴く。

 驚いたように肩を跳ねさせたユカへ、職業王子であるイクシスが、貼り付けた笑みを向けた。

 アメリアは混乱の最中にいる。何でここにイクシス王子がいるの!? 首が絞まっていなければ、間違いなく彼は叫んでいただろう。


「あ、アメリア、久しぶりだな! ははっ。ジェイ、悪いが先に部屋に戻ってくれないか?」

「わ、わかった。先に戻る」

「ははっ、ははは――」


 乾いた笑い声が、扉を閉じる音に合わせて尾を引き途切れる。

 絞めていた腕から解放され、アメリアが盛大に噎せながら、肺いっぱいに空気を取り込んだ。生理的な涙で滲んだ視界に、乱雑に頭を掻くイクシスが映る。


「げほっ、な、なんでイクシス様が、ここに……!?」

「くそ、お前の存在を失念していた」


 悪態をつくイクシスの姿に、アメリアの頭上に疑問符が大量に並ぶ。

 ずいとアメリアへ顔を近付けたイクシスが、眉間に皺を寄せて小声を立てた。


「いいか。今の俺は、ただのイクスだ。あいつの前では敬語も様付けもやめろ。わかったな?」

「は、はい!?」

「いいな! ボロを出すなよ!」

「は、はい……」


 不敬極まる無茶苦茶な要求に困惑する間も与えず、よし、戻るぞ。そう掛け声を上げたイクシス……イクスが、応接間の扉を開ける。

 イクスがソファで待つユカへ声をかけた。その後ろを、浮かない表情のアメリアが続く。


 エレナがアメリアの前に紅茶を置くが、彼はふたりの会話に入れなかった。

 イクスとユカのかわす会話はアメリアにとって馴染みないもので、愛想笑いを貼り付けた彼が、機械的に紅茶を口に運ぶ。

 彼の胸は、再び先ほどのじくじくとした痛みに支配されていた。


 不意にアメリアへ顔を向けたイクスが、その赤い目を不審そうに細める。


「おい、アメリア。この際だから聞くが、お前は本当にユカ・ルクレシアに付き纏われているのか?」

「……はい?」

「何を言っているんだ、イクス。現にこうして彼は無駄足を踏まされているだろう。訂正するなら、『付き纏われている』と言うより『奔走させられている』だ」

「そ、そうか……? いや、ならばあの女からどんな所業を受けたのか、聞かせてもらおうか」

「デリカシーに欠けるぞ。何も暴行は抓る、蹴るだけではないんだ」

「そ、そうだな。悪かったな、アメリア」


 罰が悪そうに顔をしかめたイクスに、アメリアが小さく首を横に振る。


 アメリアは苦痛に感じていた。

 ユカはイクシス王子の誕生会の延長線上で話をしているようだが、アメリアには先日の自虐の続きに聞こえた。

 ユカはそんな子じゃないと、うっかり零してしまいそうな口を、懸命に彼が引き結ぶ。


「くそ、あの女……、一体いつも何処をほっつき歩いているんだ!」

「さあな。他の令嬢は、どういったところへ出掛けるんだ?」

「……茶会とか、観劇とかか?」

「随分雅やかだな。私にはよくわからん」

「まあ、お前はな。……なあ、ジェイ。お前の趣味は何だ?」

「……読書だろうか?」

「聞いているのは、俺だぞ」

「ははは、すまんな。きみの趣味は何だ? 参考にさせてもらおう」

「……趣味、……趣味か。……趣味なあ」


 肘置きで頬杖をつき、考え込むイクスへ、ユカが快活な笑みを向ける。

 その笑顔を見た瞬間、アメリアの胸がまたしても不可解に軋んだ。


「あ、おいアメリア。お前の趣味は何だ?」

「はい?」

「そうだな。参考にさせてくれ」


 上の空だった彼へ振られた話題に、はっとアメリアが慌てる。

 再度かけられた「趣味は何だ?」との問いに、閉じることに専念していた唇を、彼が無理矢理開いた。


「乗馬、かな……」


 ぽつりと零した一言に、さっと発言主が顔を青褪めさせる。

 意識が散漫になっていたことも事実だが、現在ユカはアメリアとの乗馬を断っている。

 わざわざ自ら地雷原へ突っ込んでしまったことに、アメリアは慌てた。ユカを確認すれば、彼女は俯いている。

 アメリアは盛大に慌てていた。自己嫌悪もしていた。今すぐこの場から逃げ出したかった。


 何ひとつ事情を知らないイクスが、興味深そうに口角を持ち上げる。


「乗馬か。意外だな、アメリア」

「……アメリアのところには、フローレンスと言う名の馬がいてな、温和で聡明な美人なんだ」

「何だ、ジェイ。お前外に出られるのか?」

「す、少しだけな!」


 目を泳がせたユカが注釈を述べる。……彼女は、どんな設定を盛り込んでいるんだろう? アメリアが微妙な胸中で思案した。

 けれども彼女から好意的な言葉をもらえたことは、彼にとっての救いだった。


 イクスがにんまりと笑って身を乗り出す。緩んだ赤の目は楽しそうだ。


「なら、俺とも出掛けるか?」

「……きみの馬車は派手過ぎる」

「あ、あれでも控えている方だ!」


 はたと、アメリアが違和感を覚える。


 ユカはあまり自分の話をしない。10歳の少女らしくない話選びと、謙遜を跳び越えた自虐で、すぐさま他の話題へとすり替える。

 何が彼女をここまでさせているのだろう?

 ルクレシア夫妻は、愛娘のことを溺愛している。使用人との仲も良好だ。しかしユカの自己肯定力は低い。何故だろう?


 だとするなら、彼女が得意気に語った、将来の夢である『風来坊』は、珍しい彼女の内側ではないだろうか?

 少なからず気心が知れていたからこそ、アメリアに秘密を打ち明けたのではないだろうか?


 そう思ってしまえば、諭そうとしたアメリアを、ユカが避けることは道理に見えた。

 アメリアの胸が軋む。彼の前で楽しげに語らい合う『イクス』と『ジェイ』が眩しく見えた。

 一体この感覚は何なんだろう? 彼が無意識に何度も胸の辺りを擦る。


「……? アメリア、どうした? 具合が悪いのか?」

「えっ、あ、ああ。ううん、なんでもないよ」

「そうか……?」


 ふとユカに声をかけられ、アメリアが慌てて手を下ろす。彼女は首を傾げていたが、彼は微笑を浮かべて誤魔化した。


 控えていたイクスの護衛が耳打ちする。イクスが綺麗な顔をしかめ、ため息をついた。


「ジェイ、そろそろ失礼する」

「そうか。見送りに行こう」

「いや、いい。身体を冷やすなよ」

「ははは。大袈裟だな」


 ソファから立ち上がったイクスが踵を返す。ユカとアメリアが立ち上がり、扉まで見送った。

 ユカがひらひらと手を振る。面映そうな顔をしたイクスが、ひらりと手を振り返した。

 廊下の角に後姿が消え、残された彼等の間に沈黙が下りる。気まずそうにアメリアが口を開いた。


「その、……連絡もなしに突然来て、ごめんね」

「ああ、いや。私の方こそすまなかった。折角きみが予定を空けてくれているのに、きみに気を遣わせたことに自己嫌悪してな。会わせる顔がなかった。すまない」

「そんな、ユカは悪くないんだよ?」

「ははは、きみは本当に優しいな」


 アメリアを見上げたユカが、いつもの笑みを見せる。

 たったそれだけのことで彼の肩からは力が抜け、これまで緊張していたのだと自覚させた。

 けれどもやはりユカの口から出る言葉は10歳のそれではなく、彼の眉尻は下がる。


「でも、驚いたな。どうしてイクシス王子がここに?」

「何でも彼は、『ユカ・ルクレシア』に文句を言いに来たらしい。私が応対したんだがな、私だと思われなかった」


 にやにやと意地の悪い笑みを見せるユカに、身に覚えのあるアメリアが呆れ顔をする。

 ユカの造形は整っている。彼女は断固として拒否するが、彼女のドレス姿は、それはそれは愛らしいものだった。

 アメリアも、彼女の性格を知ってなお見とれた。


 現在のユカは、飾り気のないシンプルな白いシャツと、七分丈のパンツにブーツを合わせていた。

 ベストの内側には紺色のネクタイと、おおよそ女性らしさとはかけ離れている。


「彼は存外に切れ者だな。普段の言動はうっかりが目立つが、直感が冴えている。誕生会で起こした私たちの狂言に気付いているんだ。ははっ、参ったものだ」

「笑いごとかな、それ!?」

「いやあ、騙しているのが申し訳ない。イクスの話は興味深くてな、私もついつい甘えてしまっている。それに、彼は意外と純情で素直でな、そういう部分も好ましく思っている」


 ぽんぽんと飛び出るイクスへの高評価に、アメリアの表情が曇る。

 曖昧な相槌に、彼女の青色の目が気遣わしげに瞬いた。


「アメリア、無理はしていないか?」

「ううん、そんなことないよ」

「なら、今日は表情が暗い日だな。きみが息災であればいいが、心配だ」


 踵を上げたユカが、何てことない仕草でアメリアの額に手を当てる。アメリアの目が瞠られた。


「……熱はなさそうだが、無理はするなよ。イクスではないが、きみは繊細そうだ」

「っ、それ、どんな設定でイクシス王子に話したの?」

「周知することも出来ないほどに、病弱な弟」

「ふふっ、なに、それ」

「弟だと名乗ったら、事前にうちの家族構成を調べられていたんだ。全く、何処が『我がまま王子』だ。まだ詰めは甘いが、彼は将来立派な狸になるぞ」


 国の宝の王子を『狸』呼ばわりし、ユカがため息をつく。

 アメリアが小さく笑った。


「そういえば、ユカの趣味って読書なんだね」

「……あながち外れでもないが、……本は副産物だ」

「うん?」


 決まり悪そうに視線を逸らせたユカが、そろりとアメリアを見上げる。

 そのままそろそろと離される彼女の手を、アメリアが掴んだ。彼の頬へ押し当てる仕草に、びくりと肩を跳ねさせた彼女が、青色の目を丸くさせる。


「……もしかして、食べられる野草を探してる、とか?」

「あ、案外難しいんだぞ! 葉の裏側に毛があるとかないとか!」

「ふふっ、そっか。どれが食べられるものか、ぼくにも教えてね」

「お、怒らない、のか……?」


 おずおずとした窺うような表情に、彼がやんわりと微笑み返す。繋いだ指先に、緩く力を込めた。

 ……彼はそもそも、怒っていたわけではない。心配していただけだ。


「ぼくもついていくって決めたから、怒らないよ」

「何を言っているんだ、きみは! 駄目だからな!?」

「じゃあ、お義母さんにユカの悪巧み、教えてこようかな」

「ず、ずるいぞアメリアっ、母上は駄目だ! 言うなよ!? 絶対に言うなよ!?」

「ふふっ、どうしようかなー」


 泣きそうなほど狼狽えるユカが、諦めたように肩を落とす。

 じっとりと恨みがましい目でアメリアを見上げ、不貞腐れた声が不本意そうに呟いた。


「……わかった。きみの同行を認めよう」

「ははっ、ありがとう、ユカ!」

「ただし、きみにも食べられる草と食べられない草を見分けてもらうからな!!」

「うん、わかったよ」


 明るく微笑み返す彼に、毒気を抜かれたようにユカが嘆息した。

 引き抜こうと微かな抵抗をする華奢な手を、閉じ込めるようにアメリアが繋ぎ直す。ユカがため息をついた。


「……次回の乗馬から復帰しよう。期間が空いてしまったからな、フローレンスに忘れられていなければいいが……」

「大丈夫だよ。フローレンスも退屈してただろうし、喜んでくれるよ」

「ははは、きみは本当に優しいな」


 さぼって悪かったな。眉尻を下げたユカが微笑んだ。

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