すくすく育つうわさ話
「な、笑えるだろ?」
「笑えねーよ」
クリスとのんびりひなたに座りながら、街に飛び交う私の噂について話す。
眉間に皺を寄せた彼は、その美麗な顔を台無しにしていた。苛立ちのこもった目付きは鋭い。
「何だよ、それ。全然ユカとちげーじゃんか」
「ああ。だからこそ、今後この噂がどう成長するのか楽しみなんだ」
「どこが!!」
憤慨だと、勢い良く立ち上がったクリスがこちらを見下ろす。
まあまあと彼の聖歌隊の制服を引き、座るよう促した。
怒声を必死に耐え、彼が乱雑に腰を下ろす。
「私を知らない人は、私のことを『金遣いも人使いも荒く、傲慢で嫉妬深く、三分毎に愛を囁かなければ張り手を繰り出す、化粧と宝飾品にまみれた令嬢』だと思っているんだ。大体合っているだろう?」
「どこがだよ!? あんたが化粧とか着飾ってるところとか見たことねーし、三分以上一緒にいても張り手なんて飛んでこねーし、金遣いは知らねーけど、嫉妬深くはないだろ!?」
「ふむ、残ったものは『人使いの荒い傲慢な令嬢』か」
「令嬢とか!」
「すまんな、クリス。私は金持ちの娘だ」
「嘘つけ!!」
盛大に否定され、私の男装は最早完璧の域にいるんじゃないかとの自信が湧く。
いや、ディック辺りは私が小娘なことに気付いているか。あと、市井のご婦人方も。
……年齢層が上がるとばれてしまうのか。そうか、今後の課題だな。
「あーッ! 腹立つ!!」
「ははは、きみは優しいな。私の代わりに怒ってくれるのか」
「あんたが怒らないから、余計苛つくんだよ! もっと怒れよ!!」
「怒ると疲れるだろう?」
「年寄りくさいな!」
少なくとも、私の中身はそれなりに年を食っているぞ?
この噂話によって、治まっていたアメリアへの縁談話が、再び火を噴いたらしい。疲れ切った顔の彼が、そう零していた。
「噂のような娘と婚約するくらいなら、うちの娘とどうか」「わたしは束縛などいたしません」などなど、語られる内容に笑ってしまった。
「このまま、『熊を素手で倒した』といった武勇も加わればいいんだが……」
「いいのか!?」
「『馬のように走れる』でもいい」
「怪人かよ……」
ぐったりとため息をついたクリスが、私の膝に寝転がる。きみ、私の扱いが自由過ぎないか?
こちらに背を向ける金糸をぺんぺん撫でた。相変わらず手触りの良い髪だ。
「クリス、風邪を引くぞ」
「へーきだよ、こんぐらい」
「あと膝枕は、友人同士ではやらんぞ」
「……誰とならやるんだよ」
「恋人か、介抱のときだな」
「じゃあ俺、今具合わりーわ」
「……そういうことにしておいてやる」
繊細な毛先へ指を滑らせ、緩やかに髪を梳く。
クリスのことを甘やかしている自覚はあるが、いつかはきちんと分別出来るよう、話をしなければならない。
彼が悪い大人に誑かされないためにも、私がしっかりと教えねば!
*
ユカ・ルクレシアの悪評に、『男を何人も囲っている』との噂が追加されたらしい。
10歳の女児にどんな業を背負わせているんだと呆れてしまうが、やはり個人的に『熊を素手で倒した』を加えてもらいたい。
『大蛇を片手で往なせる』でもいい。求む、武勇。
この噂話で最も被害を被っているのは、アメリアと父上だろう。
私個人はといえば、あまりにも噂が私から剥離してしまい、周囲は私を『渦中の人間』だと認識出来ないらしい。
なので私は、何ひとつ変わることなく生活を送ることが出来ている。
今日の目的地は、フランのパン屋だ。イオリと手を繋ぎ、ゆったり歩く彼を引っ張る。
「イオリ、急げ! パンが売り切れる!」
「売り切れていれば、他のパンを購入すれば万事解決します」
「本当にそれで事足りるか? パンには色々と種類があるんだぞ?」
「……そうですね。……ユカ様に最良を」
にこりと笑んだイオリが歩く速度を私に合わせる。
……始めからその速度で歩いてくれれば良いものを、イオリは意地悪だな。
フランの店からは、小麦を焼いた良いにおいが漂っていた。
ドアベルが涼やかな音を鳴らし、店番していた少年がこちらを振り返る。
挨拶の言葉が中途半端に途切れた。
「ユカくん! いらっしゃい。来てくれて嬉しいよ!」
ぱっと表情を輝かせたフランが、レジの前からこちらまで駆けてくる。
ふわふわの飴色の髪が、柔らかそうに弾んで揺れた。
桃色の目を輝かせた彼が、嬉しくて堪らないとばかりに私の手を取る。
「聞いて! あれからあの恐い人たち、来なくなったんだ!」
「そうか、それは何よりだ!」
フランのパン屋は、リキュー卿より搾取の対象とされていた。
無償で商品であるパンを提供させられ、反抗すれば暴力を振るわれる。フラン親子は怯えていた。
その取り立て現場にたまたまイオリと居合わせ、ならずもの等をうちの従者が往なしてくれた。
後日新聞にリキュー卿の話題が載っていたが、どうやら市井の目に触れ、警備隊が動いたことにより、他貴族からの白眼視があったらしい。
リキュー卿も当分は横柄な態度に出られまい。
喜色満面、頬を紅潮させたフランが、私の手を上下にぶんぶん振る。
「本当にありがとう、ユカくん! ユカくんのおかげだよ!」
「礼ならイオリに言ってくれ。私は何もしていない」
「ううん。ユカくんがうちを気に入ってくれたから、イオリさんが助けてくれたんだよ!」
私から手を離したフランが、勢い良く頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました!」重ねられる謝辞の言葉がくすぐったい。
ちらりとイオリを見上げると、にこにこと整った外面の笑みを浮かべていた。……こうやって見ると、イオリは本当に清浄な見た目をしている。
「構わない。助けになれたなら幸いだ」
「えへへ。ユカくんは、僕たちを救ってくれた神子様だよ!」
「それはちょっと大袈裟過ぎないか?」
「そんなことないよ!」
へにゃりと表情を崩したフランが、思い出したようにレジの裏へ行く。
何かを取り出した彼が店内を一望し、店員の顔へ戻った。
客の切れ間なのか、私たち以外に人がいない。
「ユカくん、これ、今うちでみんなにおまけしてるジャムなんだ」
「ほう、豪傑だな」
「今日だけね。こっちはイオリさんの分。ふふっ。さ、ご注文は?」
「バゲットをひとつ頼みたい」
「いつもありがとう!」
嬉しそうに微笑み、手際よくフランがバゲットを袋に包む。
ジャムの瓶には見慣れない果物のラベルが貼られてあり、財布を取り出しながらしげしげと眺めた。
紙袋へ入れられたそれを見詰め、フランにパン代を手渡す。にっこり笑った彼がお釣りを両手で手渡した。
「はい、おつり。……またね、ユカくん、イオリさん」
「ああ。またな、フラン」
パンと紙袋を抱えたイオリが会釈し、私へ白手套に包まれた手を差し出す。
彼の手を握り、ひらひら手を振るフランへ手を振り返した。涼やかな音を立てて、扉が閉まる。
「良かったな、イオリ。フランも喜んでいたぞ」
「ユカ様に喜んでいただけるのでしたら、いくらでも」
「そこまで窮地に立ち会いたくないがな……。だが、私も嬉しい」
「有り難き幸せ!!」
清浄な見た目を遺憾なく発揮させ、イオリがキラキラと眩しい笑みを向ける。
お、おう……。きみに喜んでもらえて、私も嬉しいぞ……。
鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌なイオリに、きみは本当にそれでいいのか? 問い掛けたくなった。
帰宅後、ふたつもらったフランのジャムを母上に紹介した。母上も喜んでくれたのか、表情が柔らかい。
「朝食にいただきましょう」と笑ってくれたため、後日フランにお礼を言いに行こうと、固く決意した。