王子様襲来
イクシス王子の誕生会から一夜明け、世間には『性格の悪い婚約者に捕まった、可哀相なアメリア様』の噂が広まった。
解せぬ。突然プレゼント扱いされた私と、三文芝居で撒かれた憐れな王子は何処へ消えたんだ。
尾ひれはひれのついた噂話は、相当な悪女へと成長していた。
凄いな、ユカ・ルクレシアという女は。
六頭の白馬に金色の馬車を引かせ、歩く道には全て赤絨毯を敷かせるそうだ。
王子の誕生会にも関わらず、けばけばしいほどの化粧を施し、シャンデリアと見紛うほどの装飾品を身に纏ってやってきて、意地汚く料理を食い荒らしたそうだ。
……なあ、冗談だろう? 私はまだ10歳なんだが、いくつを想定した話をしているんだ?
恐らく、ここまで噂話が肥大化した理由に、私が外部へ露出しないことが含まれるだろう。
『偏屈』という前情報以外、私は社交界に顔を出さない。
空想にゆとりのある人物像は、さぞかし虚像を練りやすいことだろう。
そして何より、アメリアの見目は整っている。更には彼の家は財力もある。
顔良し、家良し、金良しと揃えば、飛びつかない方が不思議だろう。
そんなアメリアを独占している醜女。これだけで観劇の台本が作れそうだ。
そう、瑞々しいゴシップのネタだ。
「すまんな、母上。父上にも面倒をかける」
「構いません。人の噂など、すぐに廃れます」
レースを編む母上の正面に座り、テーブルに頬杖をつく。
給仕するイオリはぷんぷんと怒っており、「ユカ様の素晴らしさを解さない低俗なゴミ虫め。愚弄するその口、二度と使えぬよう刎ねてしまおうか」等々呟いていた。……頼むからやめてくれ。
エレナはエレナで静かに包丁を研いでいたので、彼女も彼女で犯罪を犯さないよう懇々と説得した。
彼女は美しいまでの微笑みを浮かべ、「ご安心ください、ユカ様。こう見えて、捌くのは得意にございます」全く聞いてくれていなかった。
何故うちの使用人はこうも殺意が高いのだろう? 頼むから手を汚さないでくれ……。
ひたすら肉をミンチにする厨房も、やたらと掃除に走るメイドも、色柄まで落ちるのではないだろうかと疑うほど洗濯するメイドも、皆落ち着いてくれ。
私は大して気にしていないんだ。
「……なあ、母上。養子を取らないか?」
「何を寝惚けたことを言っているのです」
しれっとした声音で、私の提案を母上が一蹴する。
いつも通りの仕草でレースを編み、普段通りお茶を嗜んでいる。
母上はその繊細な見た目に似合わず、些細なことには気にしない。
……そうでもなければ、偏屈と悪名で有名な娘の母親など務まらないか。
「嫡子は男子が鉄則だろう」
「あなたが心配することではありません」
「心配くらいさせてくれ。私では家督を継げん」
「わたくしも、昔はそれはそれは色々と言われました。やれ女狐、やれ悪女。そのような雑言、放って置けば良いのです」
母上はレースを紡ぐ手を止めない。教本の朗読ような淡白な声で、そう告げる。
……これではまるで、私が傷心しているようではないか。憮然とした調子でそっぽを向いた。
「……今回の件を気にかけているわけではない。勘違いしないでくれ」
「ええ。あなたはあなたのまま、ただ元気にいてくれれば良いのです」
母上相手に勝ち目など、到底見込めるものではない。
私の両親は、それはそれは一人娘を溺愛している。過保護だと言っても過言ではない。
降参だと両手を挙げ、席を立つ。自室へ戻ろうとしたところで、ひとりのメイドが血相を変えて現れた。
「お、奥様! たいへん、大変でございます!!」
「どうしたのですか」
「おっお客様が、その、たった今、お見えになられて……!!」
慌てふためく彼女の告げた来訪者の特徴に、緩やかな午後が強制的に終了させられた。
自宅の応接間にいる、金髪に赤目の少年。
昨夜生誕を祝ったばかりの彼が、いくつになったのかを私は覚えていない。
光を受ける金糸は繊細で、黙っていれば母方似の美人だろう。そう、黙っていれば。
「遅いぞ! いつになったら、ユカ・ルクレシアは来るんだ!?」
苛立たしげにテーブルをこつこつ鳴らし、ここにいるはずのない王子様がソファにふんぞり返っている。
何故だ。何故きみがここにいる?
私はきみの名前も覚え切れていないというのに、何故私の家を知っている?
あとな、そのユカ・ルクレシアとやらは、ここにいるぞ?
「……どのようなご用件でしょうか」
「おい! 俺はあの女を出せと言っているんだ!」
私がその女だが?
憤慨している王子様は、どうやら私のことがわからないらしい。
改めて自分の装いを振り返る。
今日もズボンとベストと白シャツだ。サスペンダーまでついている。
ふふん、どうやら私の男装技術は、相当なようだな。誇らしく思うぞ。
しかし昨夜悪女を演じ切った手前、男装しているものが私だとは言い出しにくい。
……こいつも今日限りでとっとと帰るだろう。
国の宝がそう易々と他人の家になど上がり込めはしまい。
よし。私は架空の弟になる。
「姉はただいま留守にしております。ご用件はこちらでお伺いいたします」
「留守だと!? この俺がいながらにしてか!」
「……失礼ですが、今一度お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「イクシッ、……イクスだ。イクスと呼べ」
「畏まりました、イクス様」
ああ、そうだ。イクシス王子だ。
お世継問題で少々耳にする程度でしか、彼の名前を聞くことがなかったな。
激昂した彼がそっぽを向き、むすりと偽名を名乗る。
……ふむ、お忍びか。道理で付き人の数が少ないわけだ。
しかし王家の馬車で来てしまっては、周知しているも同然だぞ?
「ユカは何処にいる」
「……新しいドレスの仕立てに」
「嘘だな」
赤目がぎりりとこちらを睨み、不機嫌そうに……便宜上イクスとしよう。彼が腕を組む。
自分の屋敷なのに着席すら出来ない私は、対角線上に立ったままだ。
「ルクレシア家は仮にも貴族だぞ? 何故高慢きちな娘が、わざわざ自分の足を動かしてまで仕立て屋に通うんだ。呼びつけるだろ」
「なるほど。では私も騙されていたようです。残念ですが、私も姉の行方を存じ上げません」
「ちっ」
な、なるほど……? ドレスの仕立てなど碌にしたことがないから、そのような仕組みだとは思いもしなかった。
ことあるごとに外出を強請る私だ。仕立ても採寸も、エレナを引き連れて直接仕立て屋へ赴いている。
マダムの仕事部屋は数多の布やレースや型紙に埋もれていて、見ていて面白い。
マダムが歓迎してくれるため忘れていたが、そうか、貴族とはそういう生き物だったな……。
舌打ちしたイクスがそっぽを向き、苛立ったように足を組む。
……誤魔化せただろうか? 架空の私の悪行がどんどん膨らむのだが、私は彼を誤魔化せているだろうか?
「イクス様は、姉にどのようなご用件がおありでしょうか?」
「あいつのついた嘘を、暴きに来た」
おい、やめろ。仮にも女性のミステリアスな一面に、土足で踏み入るなど言語道断だぞ。
私の内情など構うことなく、イクスが眼光を強める。
彼は確か、11か12歳の我がまま王子のはずなのに、何故こんなにも理路整然としているんだ?
ならば他人の婚約者を奪略しようなどと考えてくれるな。事の発端はそこだぞ。
「嘘、ですか。それはどういったものでしょう?」
「あいつは『婚約者が右足から歩くと手を抓る』と言っていたが、アメリアは俺の前から去るとき、右足から歩いていた」
目敏いな。そしてよく覚えていたな、その文言。
私はすっかり忘れていたぞ。これが加害者と被害者の関係か。
「だからあいつは母上の狂言に乗ったのだと推測した。おい、お前。ユカは本当は何処にいる?」
「……申し訳ございません。私も、姉の行方を存じ上げません」
「あとな、ここに来る前に、ルクレシア家についても調べてきた。ルクレシア家には一人娘しかいないはずだが、お前は一体誰だ?」
じっとこちらを窺う赤色の目に、言葉を詰まらせる。
……どうも私は相手の力量を見誤っていたらしい。
誰だ我がまま王子だとの情報しか風潮して回らなかったやつ。まさかの観察眼ではないか。
王妃の狂言に気付いている辺り、あの親にしてこの子ありというやつなのか?
どうやって乗り切ろうか。ここまで来て名乗り上げるなど、ごめんだぞ。
握り締めた手に力が篭る。顔を俯かせ、思考を巡らせた。
「申し訳ございません、私のことは……他言しないでください」
すまん、イクス。いつか誰か、大人の人に正解を教えてもらうんだぞ。
私は私で、嘘を塗り重ね過ぎて、最早始めの嘘を忘れているんだがな。
「私は、余り身体が丈夫ではありません。本当は外で走り回りたいと願っているのですが、それも叶わず」
「そ、そうか。……おい、そこに座れ。お前の家なんだろう、遠慮するな」
「お言葉に甘えて」
驚いたような顔をしたイクスが、顔を背けてソファを示す。
騙している現状は心苦しいが、存外にきみはいいやつだな。見直した。
対面に腰を下ろし、エレナが私の前に紅茶を置いた。
……私の予定では、とっくに追い返せているはずだったんだがな。
「姉もあれで、高熱に伏していた時期があります。両親は少々過保護な性質で、その……」
「そうか、わかった。お前のことは、俺の中で秘匿としよう」
「有り難き幸せ」
「い、いいか! 俺はただのイクスだ! そう畏まって話すな、疲れる!」
「かしこ……わかった」
言葉遣いを眼光で捻じ伏せられ、強制的に口調を改めさせられる。
今なら私を不敬罪で打ち首に出来るぞ。
「……イクス、ひとつ指摘させてくれ」
「何だ?」
「馬車が、物々しい」
「……しまっ、あ、あれは借りものだ!!」
一瞬頭を抱えた少年が、必死に取り繕って弁明する。
何処の世界に、王族専用の馬車を借りるものがいるのかわからないが、どうやらそうらしい。
私も嘘で塗り固めた上で彼と会話している。お互いの均衡として、多少の粗には目を瞑ろう。
羞恥に頬を染めたイクスが、剥れた様子でソファにふんぞり返る。彼の赤い目がこちらを向いた。
「……なあ、お前、名前は何だ?」
「ジェイ」
「そうか、ジェイか」
即席で騙った名前を、彼が小さく復唱する。
ひとつ納得したように頷いた少年が、徐に立ち上がった。
連れのものへ目配せする仕草に、ようやく戦いが終わったのかと息をつく。
「おい、次回こそはあいつを引き留めておけよ」
「……また来るのか?」
「俺はあの女に一言言わねば気が済まない。いいな、縛ってでも置いておけ」
「……きみは、そう頻繁に外へ出られるのか?」
「お、俺はただのイクスだからな! 当然だ!」
慌てた様子で鼻を鳴らしたイクスに、思わず天井を見上げてしまう。
……どうやら私は、何やらとんでもないことを仕出かしてしまったようだ。浅知恵など働かせるものではなかった。
すまん、イクス。きみの純情を悪戯に弄んでしまった。
玄関まで見送り、王家の馬車に乗る、どう見ても王子様へ帰りの無事を祈る。
窓から顔を覗かせた彼が、ぞんざいな口調で「次は手土産くらい用意してやろう」顔を背けながら告げた。
実はきみ、ただただ良い人だろう? 噂とは当てにならんな。