王子のお兄さん
「ユカ、今度のイクシス王子の誕生パーティについてだけど、」
「すまんな、アメリア。その日は腹が痛くなる予定だ」
「それって予定なんだ」
優雅な仕草でティーカップを手にしたアメリアが、困惑したように眉尻を下げる。
物腰の柔らかい問い掛けへ首肯し、手許の茶器をソーサーへ戻した。
「ああ。立派な予定だ」
「……もしかして、ドレスを着たくないから?」
「何故わかった」
「何でだろうね」
苦笑を浮かべた彼がソーサーを鳴らす。
今日は母上の策略により始まった、アメリアとの月一の会合の日だ。
温和な彼が告げた予定に、苦々しい心地を覚える。
私には、どうしても克服出来ないことがある。
そう、ドレスだ。
この呼称を聞いただけで逃げ出したくなる。あの布の塊に対する拒絶心は凄まじいものだ。
どれだけ母上の手を焼こうと、エレナに宥めすかされようと、イオリに褒められようと、着たくないものは着たくない。ご免被る。
「似合ってたよ」
「嫌だ」
「折角綺麗な顔をしてるのに」
「母上譲りだからな。整っていないわけがない」
「……似合ってたのに」
「さては母上の差し金だな?」
じっとりと睨みつける私へ、悪戯に微笑んだアメリアが「ばれちゃった」小さく呟く。
素知らぬ顔でクッキーをかじる彼に、行儀悪くため息をついた。
「きみは味方だと思っていたんだが」
「一応、婚約の発表をしないといけないからね」
「……書面では駄目か?」
「隣でじっとしてるだけでいいから。挨拶が終わったら、すぐに帰ろう?」
「……いたた、腹が痛い」
「今痛くなっても、意味がないと思うんだけどな……」
腹を押さえてテーブルに伏せる私の背を、立ち上がったアメリアが苦笑しながら撫でる。
勿論私の腹痛は演技だが、「大丈夫?」と気遣う声に罪悪感が刺激された。
……アメリア、少々お人好しが過ぎないか?
「……悪いな。もう平気だ」
「そっか。じゃあ当日痛くなっても、こうしてあげるよ」
「いたたっ、いたたたた」
再びテーブルに伏せる私を、笑いながらアメリアが介抱する。
く、くそう、こいつ存外に腹が黒いぞ……!? さてはきみ、策略家キャラだな!?
イクシス・ターゲリートとは、我がままで有名な王子らしい。
引きこもりな私は直接面会したことはないが、風の噂がそう囁いている。
毎年誕生会が盛大で、尊大な物言いが目立つらしい。私には関係のない、雲の上の人の話だ。
さて、件の人物の前に立つ。
アメリアの腕に手を絡め、懸命に外面を保っているが、私の内情は大嵐で荒れ狂っている。
誰だ、こんなドレスを用意したやつは。母上か。無理だ、勝てんな。
アメリアに倣って、静かに礼をする。私は喋らないタイプの人形だ。
「イクシス王子殿下、アメリア・アルタータでございます。この度は12歳のお誕生日、誠におめでとうございます」
「ああ、アルタータのところのか。それで、隣は?」
「彼女はユカ・ルクレシアと申します。私の婚約者です」
「ふーん」
玉座に退屈そうに座る王子様は、不遜な態度で足を組み、肘置きで頬杖をついていた。
足許に黒豹などを置けば、何となく悪役に見えるだろう。
金髪に赤目の配色も、王族らしい整った顔立ちも一役買っている。
まあ、今後一生会うこともない。さっさと挨拶を終わらせて、絢爛な会場をとっとと出るぞ。
そしてドレスを脱ぐ。この纏められた髪も解く。
だからアメリア、用は済んだ。早急に帰るぞ。
「おい、お前」
恭しく垂れていた頭に、唐突に投げかけられたぞんざいな声。
ぎょっとして顔を上げると、そのナントカ王子があくどい顔で口角を引き上げていた。
「お前、俺の12個目のプレゼントになれ」
「……は?」
「毎年年齢の数だけプレゼントをもらっているんだ。でもな、今年は最後のひとつが決まらなかった」
「…………」
「だからお前がプレゼントになれ」
待て。今私の理解を超えた言葉を投げられた。意味がわからん。どうしてそうなった。
隣のアメリアへ目配せする。彼は彼で、呆気に取られた顔をしていた。
……駄目だ。他!
見回した周囲の重鎮や大人たち、王子の後ろの玉座に座る国王、王妃共々、アメリアと似たような顔をしていた。
誰か! 動いてこの王子を止めてくれ!!
「し、失礼ですが、イクシス様。彼女は私の婚約者とご紹介したはずですが……」
「だから何だ? 俺が欲しいと言ったんだ。俺のものだろう?」
「ですが……ッ」
はたと正気を取り戻したアメリアが、懸命に擁護する。
しかし変わらぬ不遜な態度に、彼が焦った様子で唇を引き結んだ。
私よりアメリアの方が、腹痛に苦しんでいそうだ。顔色が悪い。
王族への口ごたえなど、不敬罪で捕縛ものだろう。
例え内容が相手方の無茶な要求だとして、基本的に私たちは上に逆らえない。
王子の後ろに座っていた王妃が立ち上がり、徐に王子の肩に手を添える。
柔らかな笑みを浮かべる妙齢の女性が、麗しい声で囁いた。
「そう、イクシスちゃんは、その子が気に入ったの」
「ああ、母上。この娘を俺の婚約者にして欲しい」
「イクシスちゃん。フィオナちゃんはどうするの?」
「知るか、あんな女!」
「あら。フィオナちゃんも、とっても美人さんよ?」
「嫌だと言ったら嫌だ! あんな口煩い女!!」
怒り心頭とばかりに怒鳴り散らした王子様が、苛立ったように肘置きに拳を叩きつける。
困ったように眉尻を下げる王妃様が、あらあらと頬に手を当てた。
「ねえ、あなた。あなたは温和なお方?」
不意に振られた話題に、発言権を与えられたのだと息をつく。
背筋を正して、にっこりと母上譲りの顔を笑ませた。
「申し訳ございません。対極におります」
「あら。どのくらい対極なの?」
「毎日新聞記事に文句を連ね、朝食に指定したクロワッサンがなければ皿をひっくり返し、婚約者が右足から歩けば手を抓るくらいには、対極にあります」
「あらあら、お転婆さんね」
うふふ、上品な仕草で王妃様が微笑む。
この人について行けば、私はこの窮地を脱せられるのだと確信を得た。
即興で練り上げた空想の私の話だが、中々にめんどくさそうな人物ではないか? ふふん、王子様が固まっているぞ。
「本日も私のドレスにつき合わすため、婚約者を早朝から呼び出しました」
「まあまあ、気合い充分ね」
「はい。何時間にも渡って褒め称えさせましたので、気分は上々です」
おい、アメリア。笑うな。
顔を背けたアメリアが、静かに肩を震わせている。
軽く小突くと、弱々しい仕草で患部を押さえられた。
……存外にノリが良いな、きみ。
ちなみにこれは一部脚色しているが、概ね事実だ。
呼び出したのは私ではなく母上だが。時刻についても誇張しているが。
午前中にやってきたアメリアと、うちのイオリとエレナにひたすら賞賛され、物置に閉じこもるも無理矢理開けられ、あの手この手でドレスを着させられた。
最後は何だったか? 普段の男装が正常な姿で、このドレスは女装だと言われたんだったか?
事実など知る由もない王子様が、愕然とした顔で震えている。
ふふん、きみの夢は崩させてもらった。
私は風来坊という野望を達成せねばならんからな! きみの妻になる気などないんだよ!
「う、嘘だ!! 俺を騙そうとしているだろう!?」
「まさか。私は事実を述べているだけです」
「だったら少しは否定しろよ! 明け透けにえぐい話を公言するな!! 嘘くさい!」
玉座から立ち上がった少年の指摘に、確かに少しやり過ぎたかと思い至る。
中々折れない王子様に、王妃様が困ったように「あらあら」と言っていた。
他は完全に蚊帳の外だ。誰か間に入って、私を引き摺り出すとかしても良いんだぞ?
王子を誑かした罪とか色々でっち上げて。
ふむと思考を一巡させる。
私に眠れる悪役令嬢を総動員させ、アメリアへ手を差し出した。
ここまで形にしたんだ。どうにかして『こいつは粗悪品』と思ってもらわねば。
私は婚姻などしたくないぞ。
この王子も確か、神子に好意を寄せるひとりだったはずだ。我が家を没落させるのは、本意ではない。
「アメリア、証明を」
「……ここで?」
アメリアが怪訝そうな顔をしている。
見上げた彼へ手の甲を晒し、蔑むほどの冷淡な笑みを浮かべた。
……引き上げた口角が引き攣りそうだ。
それでも過去これまでで、最高に悪役らしい顔をしていることだろう。
素直に驚いているアメリアの様子が、演技を迫真に見せた。
「いつもやっていることでしょう? 今更場所が違うからと言って、何です?」
「……わかったよ」
私の手を取ったアメリアが跪き、手の甲に唇を寄せる。
こちらを見上げる常盤色の目は、窺うように揺れていた。
「ユカ、今日も綺麗だよ」
「もっと気の利いたことを言えないのですか? まあ、いいです」
玉座へ向き直り、背筋を正す。
唖然とこちらを見詰める王子様に、悪役らしい笑顔で小首を傾げた。
「私、婚約者にはたくさん愛を囁いていただきたくございます。他への目移りなど言語道断。私を愛で、賞賛し、何よりも私を優先する方を望みます」
「な……っ、」
「ああ、申し訳ございません。私如きが王子様の貴重なお時間を浪費してしまいました。これにて失礼いたします。この度はお誕生日、誠におめでとうございます」
呆気に取られる周囲を置いて、畳み掛けるように恭しく礼をし、アメリアの腕を掴んでそそくさと退散する。
本音を述べるなら走りたいところだが、慣れないヒールと場所が場所で、それも叶わない。
玉座の間を抜けてしばらく歩き、懸命に笑いを堪えるアメリアの腕を叩いた。
「おい、笑うな」
「あ、あははっ、わかった、ごめんねユカ。これからはもっと、ふふっ、愛を囁くようにするね」
「やめろ。もう充分だ。私が棺桶に入るまで必要ない」
「ユカ、ふふっ、可愛い顔が、台無しだよっ、ははは」
「きみというやつは……! おい、エスコートなどいらんぞ! 私は自力で歩く!!」
けらけら笑うアメリアに腰と手を取られ、抑えた声量で懸命に反抗する。
けれども変わらない体勢に、悔しさから歯噛みした。
何が「気分は上々」だ! あんな発言をした過去の私を殴らせてくれ!