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男装令嬢と隣のお兄さん  作者: ちや
残り7年
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お嬢さん、お手をどうぞ

 酷い熱を出した。

 朦朧とする意識の中、聞き慣れない男の声が「今日が峠でしょう」と神妙に告げ、母親のすすり泣く声が聞こえる。

 父親が何やら喚いているようだが、そこで私の意識は沈殿してしまった。


 熱に浮かされた脳内が、過去の記憶を並べていく。

 優しい父親と母親の笑顔が、頭を撫でる手が、プレゼントの山にはしゃぐ視界が、使用人が何度も頭を下げる光景が、抱き上げられた身体があたたかい。


 我がままで、癇癪ばかりで、困らせて回ったけれど、両親はいつでも私に優しくしてくれた。



「全く、お兄ちゃんってば、女の子のこと、さっぱりわかってない!」


 唐突に思い出した妹の言葉に、そうだな。兄ちゃん繊細なことはよくわからんからな、と相槌を返す。


「もうっ。このゲームやって、ちょっとは乙女心を理解してよ!」


 差し出されたゲームのパッケージには、お洒落な筆記体のロゴと、カラフルな美青年たちが並んでいた。

 なあ? 何で乙女心とやらを学ぶために、男に愛を囁かれなければならんのだ?


「実際に口説かれる側に回った方が、実体験も伴って女の子に優しくなれるでしょう?」


 いや、その論理はどうかと思う。

 あっけらかんと述べる妹に、表情筋が引き攣ったのを覚えている。

「つべこべ言わずに、さっさとする!!」

 手際よく用意された小型ゲーム機を持たされ、俺はその電源を入れた。



 いや? いやいやいや、待って? 私一人娘。妹いない。お兄ちゃんでもない。


 いやー、でもものすごく鮮明に走馬灯見てる。

 何だこれ。臨死体験ってすごいな?


 いやいやいや? 今の俺、幼女。5歳児の幼女、走馬灯って単語も臨死体験も知らない。

 そんな用語すらすら言えちゃう5歳児、すごく嫌だ。



「『お前、俺のこと好きだろ』とか囁かれたんですけど……!」

「確かにちょっと自意識過剰なところもあるけど、イケメンなら許されるってやつよ!」

「兄ちゃん、イケメンじゃなくて凡人なんだが。参考にならなくないか?」

「諦めるな! 心がイケメンだったら、何となく雰囲気イケメンになれるのよ!!」

「フンイキイケメン」


 混乱の渦中にいる俺を置いて、走馬灯が楽しそうな日常を流していく。

 そこで思い出した。俺には妹がいて、面倒見の良い彼女は、しょっちゅう俺の世話を焼いてくれたこと。

 妹の作るホットケーキが好きだったこと。

 小さい頃にあげた髪留めを、高校に入っても大事にしてくれていたこと。


 その思い出が、中途半端に途切れていること。


 俺が何で幼女をしているのかはさっぱりわからないが、とても、妹に会いたくなった。

 けれども俺にはここで、父親と母親に育てられた5年分の記憶がある。

 混在するそれらが頭痛を更に悪化させ、ベッドの横ですすり泣く声がそれを助長させた。



 ……熱に浮かされた小さな頭には、容量過多だ。

 ただはっきりとわかることは、現在の俺は『私』であり、お兄ちゃんではなく『幼女』であり、『妹がいない』ことだ。


 虚無感と遣る瀬なさに涙が浮かぶ。

 妹は、家族は今頃どうなっているのだろうか?


 同時に、現在の両親に罪悪感を抱く。

 私の容態に涙を流す母親と、大きな両手に包まれた右手。

 こんなにも思ってもらえる私は、果報者だ。




 峠を越えた私の容態は安定し、両親は涙ながらに私の身体を抱き締めた。

 久しぶりに発した声は掠れていたが、当然変声期を終えた男のものではなく、鈴を転がせた澄んだものだった。

 与えられた決定打に瞼を下ろす。


 妹に会えないのだと悟った私は、感激の涙に紛れてひっそりと泣いた。







 *


 一人の夫人が庭を見渡す。

 高い日差しは陰影を深くし、緑のハイライトを飛ばしていた。

 巡らせた彼女の視線が、目的の人物を捉える。

 何かを観察しているらしい我が子の姿に、彼女が小さくため息をついた。


 清潔そうな白いシャツの袖を肘まで捲くり、膝丈のズボンはサスペンダーで留められている。

 靴下留めの巻かれた下には、曇りなく磨かれた革靴が履かれていた。

 白藤色の髪を背中の中ほどまで伸ばした後姿は、その髪を黒いリボンでひとつに纏めている。


 夫人が息を吸い込み、口の横に手を当てた。


「ユカ! 話があります。中へ入りなさい!」

「母上、何か用か?」

「話し方! 全く、何処でそんな言葉遣いを覚えてくるのかしら……」


 振り返った子どもが、青い目を丸くさせる。

 若干つり目気味のそれは、母親の生き写しのようだった。


 植物図鑑を抱えた子どもが母親へ近付き、彼女はそんな我が子へ重たいため息をつく。

 けらりと笑ったその子が、日陰にいる母親の顔を覗き込んだ。


「それより、どうしたんだ? 用件を聞こう」

「あなたに縁談が来ています」

「縁談か……困ったな……」


 腰に手を当てる夫人の用件に、子どもが勢いをなくして眉尻を下げる。

 言葉通り困ったように視線をさ迷わせ、母親の機嫌を窺うように小首を傾げた。


「悪いが、断ってはもらえないだろうか? 私のような一族の恥晒しを表に出すのは、如何なものかと思うが……」

「誰が一族の恥晒しですか。わたくしがどれほど頑張って、あなたをそっくりな見た目に生んだと思っているの」


 嘆くように頬に手を当てる夫人の容姿は、精巧な人形のように整っている。

 青い瞳を囲う睫毛は長く、滑らかな肌は雪のように白い。

 瑞々しい唇は、今はため息によって曲げられているが、凛と背筋を伸ばした姿は品が良く、華がある。

 年齢を感じさせない姿は若々しく、白藤の長い髪は艶やかな光の輪を描いていた。


「母上と良く似た容姿はありがたいと思っている。先日も御令嬢に声をかけられ、一緒にお茶が出来た」

「あなた、そんなことをしていたの?」

「だっ、大丈夫だ! 費用は全て、私が持っている!」

「そういう意味ではないわ」


 呆れたようにため息をついた母親が、緩く頭を振る。

 じっとりと我が子を見詰める青い目に、華奢な肩がひくりと跳ねた。


「ユカ、良くお聞きなさい。アルタータ家からのお話なの」

「アルタータ……? 富豪の伯爵家じゃないか。何故そんなところから?」

「経緯はどうだって良いのよ。だからね、ユカ」


 母親が、しかと子どもの両肩を掴む。

 力のこもったそれに、思わず両者が口許を引き攣らせた。

 片やにったりと、片や怯えた様子で。母親がいびつに歪めた唇を開いた。


「お願いだから、ドレスを着て頂戴」

「はて、残してあったかな……?」

「残してあるのよ!!」


 母親の悲痛な訴えが高い空に響く。


 ユカ・ルクレシア。

 今年10歳を迎える彼女は、5歳の高熱を経て以来人が変わり、着々と男装の道を歩んでいた。

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