皿を洗っている
人類に皿を洗う必要性は無くなった……だが、それでも皿を洗う事を欲してやまない者達がいる。
何故彼らはそうまでして皿を洗いたいのか?
その問いに対する答えに「そこに皿があるから」という者もいる。
また「皿がある。故に我あり」と答える者もいる。
あるいは「自らの生活により出し皿を洗うのは人間の因果の定めし流れとして当然の帰結なれば」と禅問答の如き言葉を発する者もいる。
言ってしまえば、人によって異なるのである。
みな、異なる答えを得て——得ようとして——皿を洗っているのである。
「オラァッ! 気ぃ抜いてっと皿洗われちまうぞ弓徒!」
「押忍ッ!」
紅虎子の下で修行をする事になった華弓徒も、そのような者の一人だ。
彼は想う。
果たして自分は喜一に追いつけるのか——?
そもそも追いつく必要があるのか——?
追いついて何になるのか——?
世界が変わったその日、自らの力の無さを呪い、皿洗いに更に磨きをかける事を誓った——が、見上げる先は果てしなく遠く、遠い。
目眩がするような、現実感が薄れるような。
極みの果て。
それを感じながらも、彼は皿を洗っている。




