だからこそ、願う
皿を洗う為には、まず皿を汚さなければならない。
しかし、汚れた先から皿は美しく清められる。
これでは、皿は洗えない。
汚れていない皿を拭く事で皿を洗ったつもりになり、神に近づけると謳う宗派も誕生したが、そんなものでは皿を洗った事にはならない。
真に皿を洗う為にはどうすればいいのか?
諦めを知らない者達は考えた。
考えて、考えて、考えた結果……それは願いとなった。
「皿を洗いたい」
本来ならば不必要な行為。
一生に於いての余計な手間が掛かる作業を省いてくれている——なのに、洗いたい。
主婦などは、食事をした後に楽が出来て良いと思っている——否、もはや皿が洗われるのは常なる事なので、改めて有り難いと思う事などない。
呼吸に必要な空気に感謝する者がいるだろうか?
いるとしても、そこまで多くはない。
皿を洗いたいとは、つまりそういう事である。
であるが、しかし、だからこそ——願う者がいて、その願いが、意志が、力となり、遂に願う者の一人がその手に汚れたる皿を持ち、付着している汚れを、素手で拭った。
その時の心の震えは、確かに、宇宙に谺した。




