神はいるのか、いないのか。
どうにかして皿を洗いたい。
異なる星に生まれたる者達がそう思うようになったのは「皿を洗えば神になれる」という噂が広まってからだった。
無論これは根も葉もない噂である。
根拠はない。
もし仮に皿を洗った者が現れていたとして、それが神に成ったと誰が判断出来るであろうか?
神自体が名乗りを上げていない今、神は言葉を持たぬ存在と思われていて当然である。
そうすると逆説的に、語る者がいないからこそ神に成った者もいるのではないか? と考え始めるのが知的生物としての常である。
故に、ここでようやく様々な宗教が乱立し始めた。
こうすれば皿を洗える。
ああすれば皿を洗える。
様々な教義が生まれ、しかしそれでは皿は洗えない。だがそれは信仰心が足らぬせいだとして片付ける。
真なる信仰心を持つ教祖は皿を洗い神の座に着いたのだ……。
どこもそういう教えを広めた。
一方で、科学技術を発展させて異なる次元を垣間見ようとする者達も現れ始めた。
彼らは様々な方法を試みた。
それは時代を経て、大きくなっていき、最終的にその試みは成功した。
けれど、そこに彼らが求めた神はいなかった。




