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洗い続けた先に、結果がある。
無とは全てが無いという事である。
しかし、そこには全てが無いという状態が有るという事になる。
無いのに有る。
逆もまた然り。
有るのに無い。
皿洗いとは、つまりはそういう事である。
皿は洗われて終わりでは無い。
洗われて、再び使われる。
輪廻……。
喜一のスケール感はその域まで達している。
一方で、在膳は無である。
先を見る者と、そこで終わりとする者。
この二人の戦いは、永く続く。
何故なら先を見る者は常に先を見ているからであり。
終わりを見る者はその終わりまで辿り着く事を目的としているからである。
故に、互いに一歩も譲らず。
時間感覚を超越した二人であるからこそ、皿洗いは永遠とも呼べる長い時間続いている。
それでも、どちらも口を開かない。
「ここで終わりにしよう」
「負けを認めろ」
そのような無粋な台詞は吐かない。
洗い続けた先に、結果がある。
しかしその結果は、二人にすら見えていない。
この皿洗いの先に……。
二人はただそれだけを想い、皿を洗っている。
洗い続けている。




