149/184
それは皿洗いと呼ぶには
この決闘に臨む際に、唐馬は差し違えてでも在膳を倒すと考えていた。
自らの命を犠牲にしてでも、人類の明日を奪わせない、と。
皿洗いがヒートアップし、互いの肉体をも破壊し合う領域に入る事はままある。
流星九矢によって発生した衝撃波と、海神の槍によって指向性を得た水流弾がぶつかり合い、空間が歪み、天が裂け、地は割れ、周囲に、そして両者に大いなる破壊を齎す結果が発生する可能性はあった。
それでも、と唐馬は考えていた。
その程度の破壊は、世界と引き換えに出来る安い犠牲である。
被害を抑える事は諦めていた。
この世界が、宇宙が存続する事が正しいのであり、その為であれば鬼神としての面を出し、後に破壊者として人々に恐れられようとも、人々が生き続けるのでそれでいいと心を決めていた。
自らが生み出してしまった怪物に引導を渡すのは、この自分である。
例え何が起きようとも、最初に膝をつく事だけはしまい。
肉体が破壊されても、心折れぬ限りは続けられる——。
それが皿洗いである。
だが——
それは皿洗いと呼ぶには——
余りにも——
余りにも——
—-。




