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bar・空
「ただいま帰りました」
喜一は「bar・空」と書かれた看板が下がっている、一軒の狭い店の、その古めかしいドアを開けて中に入った。
「おかえり、喜一。一仕事終えたところ悪いけど、流し台に入ってくれないかな? 今日は客が多くてね」
「わかりました」
喜一に声を掛けたのは、バーカウンターに立っている一人の男。
年の頃は五十代か、あるいは、六十代か。
うっすらと顔に刻まれている皺と、頭を覆う白髪が、年齢を物語ろうとしているが、男の体から溢れ出ている生気は若々しい。
彼の名は唐馬歩。
喜一の育ての親であり、彼に皿洗いを教えた者。言わば師とでも言える男である。
歩は軽快にカクテルをシェイクし、グラスに注ぎ、客の前に置いた。
たったそれだけの動きでも、かなりの使い手である事を伺わせる。
喜一は歩の一連の動作を見届けた後に、カウンターを通って裏にあるキッチンへと入り、流し台の前に立った。
そして、積まれたグラスや皿を前にして、袖を捲った。




