消失
言うなればそれは——無の感覚であった。
エレベーターが降下する瞬間に感じる無重力感。
常人の感覚を用いれば、それに近いものであった。
しっかりとした足場があるにも関わらず、ふとした刹那の間だけ、足元の現実感が失われる感触。
消失。
それはそういうものであった。
しかし、おかしな話である。
地に坐しているというのに、それが消えたように感じるというのは。
寒気は奔らなかった。
恐怖する間もなかった。
(今のは……)
言葉に出さず、ただ思った。
そして記憶の糸を辿った。
彼はこの感覚を以前、感じ取った事があった。
無論、エレベーターなどではなく、別の場所で。
皿洗いの場で。
記憶が蘇る。
そう。
これは、世界皿洗い協会のトップに君臨する男——在膳九龍と、シンクを挟んで対峙した時に感じたものと同質の——。
自身とは異なる存在。
それが齎した空気。
圧倒的という言葉では生温い。
何もかもが失われる、畏怖すら超越した感情——。
それを闇と言うべきか、光と言うべきか。
どちらも知らぬ犬飼には例える事が出来なかった。
ただ、彼は悟った。
終わりが始まる——と。




