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遠い記憶  作者: 椿 雅香
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エピローグ

斉藤くんの究極の殺し文句が出ます。

 ユイは、少し痩せただけで、十八年前と全く変わっていなかった。話し方も、話す内容も、以前のままだ。

 周りの人達によれば、普段のユイは、北極の気温を下げた世界的な学者として威厳のある話し方をしていたらしい。

 でも、私や空といる時は、あどけない、昔のままのユイだった。

 

 ユイは、少しずつ回復した。舜先生が驚いたほどだ。


 あの頃にはいなかった空を真ん中にして、三人で地面に寝転がったり、ユイを側に置いて、空と二人で農作業したりした。いつも、べったり寄り添っていたかった。十八年のブランクを取り戻したいと思ったのだ。

 終いに、私と空は、ユイを取り合って、恋敵みたいな感じになった。それに気が付いて、三人で吹き出した。

 笑いながら、ユイを引き寄せて、顔を寄せて言った。 

「ユイ、頼みがあるんだ」

「何?」

「もう一人、子供を産んでくれないか?」

「?」

「空は、分かった時には、こんなに大きくなってたんだ。授業参観にも行けなかった。今度は、二人して、幼稚園の授業参観から全部行こう」

「……」

「お前は、まだ若いんだ。この頃じゃあ、四十過ぎて産む人だっているんだ」

 ユイは、黙って俯いたままだ。

 空は、後から出て来た私がこんな申し出をするのが、面白くないのだろう、憮然とした。

「だから、早く元気になれ。体を大事にして、病気を治すんだ」

 

 これが私の言いたかったことだ、と、分かったのだろう。空が、感動の面もちで、私を見た。

 ユイが一番したいことは、子供の授業参観に夫婦で出掛けることだ。空には、逆立ちしてもできない。

 役立たずでも、夫の私にしかできないことだった。


 秋風が吹く頃、病状は急変した。

 最初、空と二人で病室に簡易ベッドを持ち込んだ。そのうち、手狭だからと、八畳の客間に移った。私と坂本が使った部屋だ。そこで、ユイを真ん中にして川の字になって寝た。


 ユイの体調の良いときは、客間の縁側で横になって、熱っぽいユイを抱きしめた。小林家へ続く木戸を見ながら、ユイが小さな声で言った。

「斉藤さん、ここで寝てたでしょ?ボク、見てた」

「知ってた。どうして、声を掛けなかったんだ?掛ければ良かったのに」

「斉藤さん、足の骨折れて、関節じゃないとこで曲がってた。父さんが、ギプスして、足が真っ直ぐになって、不思議だった」

「それで、見てたのか?」

「変?」

「ああ、俺には、お前が人じゃないように見えた」

 うふ。と、笑った。


 病状は一進一退だった。

 私と空は、協定を結んだ。ユイの前で、努めて幸せでいようと約したのだ。

 空は、一人前の立派な男だった。約束を守って、無理に笑顔を作ったのだ。私も、わざと陽気に笑った。

 ユイは、私達の気持ちが嬉しいのだろう。静かに微笑んだ。



「キンモクセイ、きらい」

 あの日、ユイが、キンモクセイの根本で泣いていた。

 私もキンモクセイが嫌いになった。せっかく記憶が戻ったのに、ユイがいなくなってしまったからだ。

 ユイは、私の腕の中で、眠るように息を引き取った。長い北極での生活で、体がボロボロに弱っていたのだ。ズッと、友達が欲しいと言っていた。学校へ行けば友達ができる、と信じていた。あどけない人だった。

 亡くなる時、小さな声で私に言った。

「ボク、桃源郷の人じゃないお友達が欲しかったの。学校へ行ったら、そういうお友達に会えるって思ってた。

 よく考えたら、斉藤さんがそうだったんだ。斉藤さん、友達以上だった。だから、ボク、学校行かなくても良かったんだ。斉藤さんに、会えて良かった。斉藤さんのおかげで、空に会えた……斉藤さん、ありがとう」

「礼を言うのは、こっちの方だ。お前のおかげで、空が生まれた。俺は、桃源郷に助けられて、お前に助けられたんだ」

「食料の問題があったから、第三世代はみんな、好きな人と一緒になれなかったんだ。みんな、陰で泣いてた。

 おばあちゃんが解毒剤くれたけど、ボク、みんなに悪いなって、すごっく迷って、そしたら、みんなが、せっかくだからって、言ってくれて。

 だから、斉藤さんが結婚してたことが分かった時、やっぱり、第三世代は縁がないなって。

 でも、斉藤さん、戻って来てくれた。戻って来てくれて……嬉しかった。

 ボクだけ、斉藤さんと一緒。ボクだけ、幸せ。こんなに幸せでいいのかしら?」


 私のことを、死ぬまで、『斉藤さん』と、呼んでいた。


 ユイの葬式は、キンモクセイの木の下に祭壇を作った。

 凛博士が泣き崩れて、ユイによく似た顔立ちの博士の髪にキンモクセイの花びらがこぼれた。

 空は、舜先生とともに、祖母を支えた。



 桃源郷の人々は、ユイの死を悲しんだ。ユイが死んだのは、純粋すぎたからだ。


 人類の不始末を何とかしようと立ち上がった桃源郷の人々は、その存在のイビツさで、若い娘の命を削った。

 桃源郷の恩恵を被った人類は、ユイの思いに答えてくれるだろうか。やっぱり、利益を追求して、同じ過ちを繰り返すのだろうか。

 ユイのためにも、過ちを繰り返して欲しくない。気候が落ち着き始めたのだ。みんなが協力すれば、希望はある。

 

 私は、ユイの思いを受け止めて、ユイが私に望んだことをすることにした。

 まず、医学部に進んで医者になるのだ。

 舜先生は、七十近い。桃源郷には、医者が必要だった。

 次に、桃源郷を解放して、外の世界と交流する

 まず、子供達を学校へ通わせる。次は、大人の交流だった。外の人と結婚したり、外の仕事に就いたりできるよう、外の世界を知る人間として、積極的に支援しよう。

 三つ目は、ユイのやり残した仕事をすることだ。

 桃源郷と北極に設置した機械は、順調に稼働していた。凛博士とユイの提唱で、北アメリカや南アメリカ、それにアフリカやヨーロッパにも同じような機械が設置されていた。エンジニアの黒崎貴子や片山律子だけじゃなく、ユイが育てた学者の卵達も育っていた。


 私は、技術面をユイの後進達に任せて、桃源郷の広報担当として、世界中に呼びかけることにした。

 そうして、第一報のメッセージを世界中の国々、国際連合の諸機関そしてマスコミに配信した。


「みなさん、ターニングポイントは、偶然起きたのではありません。地球温暖化をくい止めようと命を削った熱意ある人々が起こしたのです。彼等のおかげで、気温が少しずつ下がり、気候が徐々に落ち着き始めました。これからが勝負です。世界中のみんなで協力して、少しずつ改善していきましょう。それが、みなさんのために、気候を元に戻そうと命を削った人々に対する返礼となるのです」

                                  

                                         完




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