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遠い記憶  作者: 椿 雅香
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後悔と行動

人生には、エイヤっと行動しなければならないときがあるんです。やって後悔するのと、やらずに後悔するのの、どっちを取るかということです。

 ユイが部屋を出て行ってから、我に返った。


 あの子が女で、私の子を産もうとしてるからって、どうして怒る必要があるんだ?あの子は、私が、別の女と結婚して、子供を持つことも分かっている。むしろ、これっきりになるあの子の方が、可哀想なのに。


 桃源郷は、本当に無茶苦茶だった。舜先生や凛博士は、あの子を男の私に預けたのだ。それだけ、私を信じてくれたのだろう。


 ただ、私の許容範囲を超えていただけだ。


 ユイがいなくなって、ベッドを広く感じた。ユイの暖かさが残っていた。あの子を好きだったことを思い出した。


 桃源郷に来て、私と坂本は、本当に役に立たなかった。農作業も下手だし、機械のメンテや開発もできない。漁も手伝えないし、狩猟もできない。戦闘においても、パチンコか水ヨーヨーの機械で、相手の注意を逸らすことしかできないのだ。人並みにできるのは、食べることだけだった。


 それに比べて、ユイは、あの年で、戦闘においても、狩猟においても、研究においても、戦力なのだ。

 私が、あの子に文句を言う筋合いじゃなかった。

 しかも、あの子の置かれた状況で、他の手段は、取りようがなかったのだ。

 

 凛博士は、桃源郷の象徴であるとともに小野寺ファミリーの研究の継承者だ。同じことがユイにも言えた。ユイは、凛博士の後を継ぐ存在だった。あの子の存在は、桃源郷の人々にとって希望であり、その研究は人類の救いとなる。あの子の都合で投げ出すことはできない。

 

 一番良いのは、私に生活力があって、食料の調達やユイの研究を支援ができることだ。

 でも、私は、自分の食べ物さえ、桃源郷のお世話になっている甲斐性なしだ。ましてや、ユイの研究を支援するなんて、想像もつかない。


 ユイは、桃源郷ばかりか、世界中の人々のため、北極へ行くと言う。それも、私のためだと言うのだ。

 そんな子が、心の支えとして、私の子供を欲しがったとしても、非難されることじゃない。


 あの子は、将来、どんな思いで、私に会いに来るのだろう。私の側には妻がいて、肝心の私は、あの子を覚えていない。

 きっと、私の失踪中世話になったとか何とか言って、私は、あの期間のことは覚えていないのですが、そうですか、そんなことがあったのですか……と、他人事のような受け答えをするのだ。それでも、子供に私を会わせたいのだ。


 桃源郷しか知らない自分が、初めて好意を抱いた外の人間だったのだと、子供に言いたいのだ。

 どうして、それを責めることができるのだろう。


 時計の針は、十二時を回っていた。ユイは、自分の部屋へ帰っただろう。きっと、ベッドで泣いているのだ。舜先生は、きっと、口止めしていたのだ。それを破ってしゃべったことを後悔して、泣いているのだ。


 男と女として向き合える最初で最後のチャンスだったのに。


 全部、私が、ぶち壊してしまった。


 ユイが可哀想で、たまらなくなって、自分のやったことを呪った。


 ユイが空を連れて来る時、絶対、結婚していてはいけない。私は、女嫌いらしい。だったら、結婚しなければいい。いや、絶対結婚しない。ユイが来た時、独身でいるのだ。


 そこまで考えた時、小林家へ行きたくなった。舜先生や凛博士や小林夫人は、ユイを慰めているだろう。私に失望しているだろう。


 あの人達に、どの面下げて会えるというのだろう。


 それでも、もう一度、ユイに会いたかった。

 あんな形で別れたくなかった。


 小林家の一角は、電気が消えていた。ユイの部屋がどこにあるのか知らない。でも、常夜灯が一つ二つついているだけで、静まりかえっていた。ユイは、真っ暗な部屋で泣いているのだろうか。両親の大きなベッドに入れてもらって、慰めてもらっているのだろうか。


 小林家に拒まれていた。


 溜息をついて、辺りを歩いた。月明かりの中、夢を見ていたような日々を振り返りながら、あちこちゆっくり歩く。


 今夜が最後なのだ。


 客間の八畳で、ささやき声が聞こえた。

 坂本と香織が別れを惜しんでいるのだ。坂本は、自分の気持ちを素直に受け入れて、香織と貴重な時間を過ごしている。

 私とえらい違いだ。


 うらやましかった。


 食堂、リビング、風呂場と周り、キンモクセイに誘われるように、中庭へ出た。月の光で、キンモクセイが金色に輝いていた。花びらが地に落ちて、黄金色の絨毯のようだ。

 ユイが小さかった頃、大人達が戦闘に出掛けた留守に、ここで留守番をしたのだ。キンモクセイの香りが、切なかった。


 ネコが来て、キンモクセイの根本に向かって鳴いた。よく見ると、誰かうずくまっている。

 うずくまっている人は、寒いのだろう、ネコに腕を伸ばして抱きしめた。髪に金色の花びらがこぼれた。

「キンモクセイ、きらい」

小さな声が聞こえた。

「ここに来た人は、出ていってもらわないと困る……でも……ミケ、お前は、ズッとここにいるんだ。どこにも行くんじゃない」


 分かってるって。そういうように、ネコが鳴いた。

 

 すすり泣く声があった。


「……ユイ」

 声を掛けると、泣き声が止まった。数秒で、モードの切り替えがあった。


「サイトウさん?」

「ああ」

「大丈夫。サイトウさんが嫌なのなら、ボク、サイトウさんの嫌なことしないから。安心して帰ったらいいから」

 どんな顔で言っているのか、気になった。キンモクセイの枝が影を作って、顔が見えない。

「どうして、こんな所にいるんだ?」

「あんまり早く帰ると、父さんや母さんが心配する」

「ここは、冷える。病室へ来た方がいい」

「キンモクセイの側がいい」

「悪かった。俺が嫌いになったか?」

「そうなればいい」

「そうなったら、どうする?」

「サイトウさんに、関係ない」

「関係ないことないだろう?」

「大丈夫。サイトウさんの嫌なことはしないから」

 言いながら、泣いているのが分かった。

「ユイ、出てけって言われたから出て来たの。これ以上、行くとこないから、もう、向こう、行って」

 

 すねていた。

 私に言われたことにこだわって、すねていた。

 いつもは、大人と対等に口を利く人が、子供じみた様子ですねていた。

 あまりの可愛らしさに、抱きしめたい衝動に駆られた。


「ここは寒い。こっちへ来るんだ」

 肩を掴もうとすると、体をかわされた。

 そうだった。この子は、格闘技の腕も一流なのだ。この前、香織の父を投げ飛ばしたと、言っていたじゃないか。

 

 近くで見ると、いつもと目の光が違う。冷静な科学者というより、スナイパーの目だ。


「悪かった。俺が悪かった。お前のことは、好きだった。でも、お前が男じゃないって聞いて、混乱したんだ」

「無理しなくていい。サイトウさんは、自由にしたらいい。桃源郷は、無理強いしない。ボクは北極へ行く。それはサイトウさんのためじゃない。子供は産まない」

「小野寺の血が絶える。困るんじゃないか?」

「大丈夫。行く前に、卵子を提供する。第一世代の誰かとの子供になる」

「その子が、可哀想じゃないのか?」

「多分、世の中は、もっと安定してるから、両親を適当にでっち上げて、学校に行く」

「お前は、悲しくないのか?」

「仕方がないんだ。好きな人もいないし、二年ほどで北極に行くけど、子供産んでる時間がないし」

「ラストチャンスだったのか?」

「ううん。始めから、人工子宮で子供を産むことにしてたんだ。たまたま、サイトウさんのことが好きになったから、気が変わっただけ。でも、サイトウさんが嫌なことをする気はないんだ。方針を元に戻しただけだ」

「人工子宮なんか、そんなもの実用化されてないだろ?」

 唖然として、息ができない。

「父さんのライフワークなんだ。母さんもあれを使おうかって悩んだ時期があったらしい。研究が忙しくて、ゆっくり子供産んでる時間がなかったから。だから、将来、ボクに必要になるかも知れないからって、ズッと、研究して来たんだ」

 

 頭を殴られたように感じた。ここでは、私は無力だ。何の役にも立たないどころか、必要ともされていない。いや、向こうに戻っても、無力だ。食べ物がないと言って、右往左往するだけなのだ。

「じゃあ」

と言って、ユイが立ち上がった。

「病室へ……来てくれないか?」

「寒いから、ウチへ帰る。明日は、気をつけて帰れよ。また、怪我したら、洒落にならない」

 そう言って、体中の力を振り絞って歩き出した。


 思わず、後ろから抱きしめた。可哀想に、冷え切っていた。

「そんな、不自然な、子供、産むんじゃない。子供が…可哀想だ」

「……」

「どうせ産むなら、もっと、自然な形で産んでくれ」

「?」

「授業参観、一緒に行くんだ」

 ゆっくり、振り返った。

「俺とお前で、子供を真ん中にして、手繋いで、一緒に授業参観に行くんだ」

 ユイの目からポロリと涙がこぼれた。

「斉藤さんの子供、産んでもいいの?」

「ああ、でも、人工子宮なんか使うんじゃない。自然な形で産むんだ」

 そう言って、抱きしめた。


 手を繋いで、もといた病室へ戻った。この手を忘れない。忘れたくない。忘れても、結婚しない。 そう思いながら、涙に濡れた小さな手を堅く握った。



 翌日は、私と坂本の心とは裏腹に快晴だった。こんなことがあると、晴天さえ恨めしい。

 山道健二と若菜親子は、情報収集のために、外の町へ出掛ける。そのついでに、私達を連れて行ってくれることになっていた。


 桃源郷の面々に最後の挨拶をした。順番に握手して、ユイが最後に手を差し出した。


 その手を掴んで抱き寄せた。舜先生も凛博士を人前で抱いているじゃないか。最後なのだ。私がそれをしても、許してもらえるだろう。

 私のしようとすることが、分かったのだろう。ユイの顔が嬉しそうに輝いた。それから、少し悲しげに俯いた。

「先のことを思い煩うんじゃない。嬉しいこと悲しいこと、いろんな感情を超越するんだ。だから、俺達の子供は、『空』なんだろ?」

 耳元で言うと、ゆっくりと目を上げた。そうして、透明な眼差しで私を見上げた。


 空。これほど私達の子供にふさわしい名前はない。



 アマゾネス達が、悲鳴を上げた。

「女嫌い、治ったの?」

「信じらんない!」

「斉藤くんの嘘つき!」

 女達の悲鳴に混じって、陽一の声が聞こえた。

「てめえ、遅えんだよ。だが、上出来だ!」


 舜先生が、優しい笑顔で、娘を見つめた。そうして、私に軽く目礼した。

 凛博士は、舜先生の胸で泣いていた。

 香織とキスしていた坂本は、私達を見て絶句した。


 一行が歩き出すと、ユイは手を振っていた。いつまでもいつまでも振っていた。


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