最後の夜
いよいよ最後の夜が来ました。
Ⅹ 最後の夜
最後の晩になった。
夕食の時、舜先生が、ポツリと言った。
「君達は、長すぎたみたいだ。別れが辛いだろう?」
でも、だからと言って、この人は、これ以上の滞在を許可しない。
桃源郷の食料事情では、私達が三ヶ月滞在したことさえ、異例のことなのだ。
夕食の後で、第三世代のアマゾネス達は、名残惜しそうに順番に手を握って別れを口にした。どの手も小さくて可愛い女の手だった。ユイの小さな手を思い出した。
みんなと別れて、病室に戻る。ここが、私の桃源郷での生活のスタート地点であり、最後の場所だ。
別れを惜しむかのように、キンモクセイの香りが病室に届いた。
坂本は、香織と最後の時間を惜しんでいる。
ユイがいないことに孤独を感じた。
もう二度と、あの子に会えない。会えないどころか、忘れてしまうのだ。
そんなことはさせない。
最後の晩なのだ。勇を奮って、小林家へ行くと、おばあちゃんの小林夫人と舜先生がくつろいでいた。
「ユイに会いたい」と伝えると、舜先生が、「一応、訊いてみる。でも、ユイが嫌なら会わないだろう」そう言って、他人事のように、奥へ消えた。
奥から出て来たユイは、暗い目をしていた。
「悪い。最後だから……付き合って欲しい」
舜先生も凛博士も目を見張った。私が、こんな直球勝負に出るとは思わなかったのだ。
ユイも同じようだった。驚いたように目を見張った。
横から小林夫人が、口を出した。
「どうせ、今夜が最後なんでしょ?だったら、気が済むようにしたら?やって後悔するのと、やらずに後悔するのは、どっちが良いか考えることね」
舜先生と凛博士が、小林夫人を振り返った。
小林夫人は、平然と言った。
「斉藤くん、あなた、行動に移すのが遅すぎたみたいね。もっと、早くしないと。時間がないわ」
時間?そうだ。あと、九時間しかないのだ。明日の朝、情報収集のグループと一緒に近くの山の麓を目指して、出発するのだ。
私が手を伸ばすと、ユイがその手を掴んだ。まるで、戦闘の日のようだ。でも、あの時は、ユイを小林家へ連れて帰った。今度は、勝手に病室へ連れて行こうとしているのだ。
舜先生と凛博士に頭を下げた。
「大事な子供さんをお借りします。この人のことを覚えておきたいんです」
「……頼む」
舜先生が息を吐いた。
凛博士が泣き出した。私が、ユイに危害を加えることを心配したのだ。
「凛、斉藤くんは、ユイに危害を加えない。大切に思ってくれているんだ」
舜先生が、静かな声で言うのが聞こえた。
いつものようにドクターの机の側に座ったユイは、少しぎこちなかった。
「どうした?」
ユイが怯えているのが、気になった。
「……」
「俺が直球勝負に出たのが、信じられないのか?」
コクリと頷く。
「桃源郷の女は、俺には向かない。お前が女ならって、何度か思った。男のお前にこんなことを頼むのは、失礼だと思ったから、ズッと遠慮して来たんだ。一晩、付き合って欲しい。俺は、そっちの趣味はない。だから、嫌らしい意味で言うんじゃない。いろんな話をして、お前と同じ時間を共有したいだけだ」
ユイはしばらく宙を見据えた。それから、小さく頷いて、何気ない表情で訊いた。
「寒いから、ベッドに入ってもいい?」
「いいけど、落ちないようにしろよ」
「大丈夫。落ちるのは、慣れてる」
クスリと笑って潜り込んだ。
「押しくらまんじゅうみたいだね」嬉しそうに言った。「父さんと母さんのベッドは大きいんだ。だから、押しくらまんじゅうできんないんだ。母さんは十六で結婚したから、十六からズッと大きなベッドで寝てるんだって」
「舜先生は、いくつだったんだ?」
「二十一だったって」
腹這いになって、喉を鳴らす。まるでネコだ。
「だったら、お前も、あと四年、辛抱しろ」
笑いながら肩を抱くと、緊張するのが分かった。
「やっぱり、男に抱かれるのは、抵抗あるか?」
そうだよな、こんなのが好きならホモだ。
「ううん。前に、ボクを襲ったバカがいたから、何となくトラウマがあるんだ」
「そいつは、小野寺ファミリーだからって、お前を襲ったのか?」
「うん。助けたかったら、俺の言うことを聞けって感じだった」
「お前、そいつを蹴り倒したんだって?」
「誰に聞いたの?」
「香織ちゃん」
「おしゃべりなんだから」
軽く笑った。
「で、余所者には、近寄るなって言われるようになったってわけだ」
「そう……それと……」
「まだ、他に何か言われたのか?」
「そのうち分かる」
そのうち分かるって、後、八時間しかないんだぞ。
でも、私の側で、信頼しきっているユイを見るのは、心地良かった。この少年をズッと側で見ていたい。それができないことだと分かっていても、そう思ってしまう。
どこかでキンモクセイの香りがした。
「来た時はクチナシで、帰る時は、キンモクセイか」
ポツリとつぶやいく。
「中庭に大きなキンモクセイがあるんだ。クチナシは、前庭」
「お前は、どっちが好きなんだ?」
「うーん。キンモクセイかな。香りが甘すぎないから」
「確かに、クチナシは、甘ったるくて、息苦しいほどだな」
「小さい頃、キンモクセイの花の下で遊んだんだ。地面が金色に染まって、ボクの頭にも花が降った」
「綺麗だっただろう?」
「うん。すごく綺麗だった。香りも素敵で、父さんも母さんも陽一おじさん達と戦闘に行ってて、ボクはお留守番だったんだけど、あんまり綺麗だから、二人とも、もう帰って来ないんじゃないかって心配になった」
可哀想に。ここには、ズッと戦闘があったのだ。凛博士も以前は、戦闘に参加していたのだ。そういえば……慎二が言っていたことを思い出した。凛博士も血を流すことが嫌いなのだ。でも、舜先生が抱きしめて、みんなと戦って、桃源郷を護ったのだ。
その時、桃源郷には、ユイがいたのだ。ユイだけじゃない。アマゾネス達も子供だったのだ。桃源郷第二世代は、必死になって、第三世代を護ったのだ。
ユイが私の方を向いた。嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
それから、最初に会った時のように、知らない人を見るような目で、私を観察した。恐る恐る手を伸ばして、頭に触り、耳に触り、額にさわり、鼻に触り、頬から唇をなぞる。
「こら、やめろ、くすぐったい」
「そう?」
不思議そうな顔をして、ゆっくり、喉へ手を伸ばす。喉仏に触って、独り言を言う。
「ここは、どうなってるんだろう?」
「やめっろって言っただろ?」
笑いながら手首を掴んだ。細い華奢な手首だ。
一瞬、とんでもない考えが浮かんで、固まった。ユイが、困ったような顔をする。
「どうかした?」
今、思いついたことが正しければ……そう思うと、息が詰まって、声が出ない。
不思議そうに首を傾げるユイに、恐る恐る手を伸ばす。ユイが、後ずさりする。
「落ちる!」
慌てて背中を支えると、胸から腹に柔らかいものを感じた。
「……もしかして……お前……」




