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遠い記憶  作者: 椿 雅香
26/31

最後の夜

いよいよ最後の夜が来ました。

Ⅹ 最後の夜


 最後の晩になった。


 夕食の時、舜先生が、ポツリと言った。

「君達は、長すぎたみたいだ。別れが辛いだろう?」


 でも、だからと言って、この人は、これ以上の滞在を許可しない。

 桃源郷の食料事情では、私達が三ヶ月滞在したことさえ、異例のことなのだ。


 夕食の後で、第三世代のアマゾネス達は、名残惜しそうに順番に手を握って別れを口にした。どの手も小さくて可愛い女の手だった。ユイの小さな手を思い出した。

 

 みんなと別れて、病室に戻る。ここが、私の桃源郷での生活のスタート地点であり、最後の場所だ。

 別れを惜しむかのように、キンモクセイの香りが病室に届いた。


 坂本は、香織と最後の時間を惜しんでいる。


 ユイがいないことに孤独を感じた。


 もう二度と、あの子に会えない。会えないどころか、忘れてしまうのだ。


 そんなことはさせない。

 

 最後の晩なのだ。勇を奮って、小林家へ行くと、おばあちゃんの小林夫人と舜先生がくつろいでいた。

「ユイに会いたい」と伝えると、舜先生が、「一応、訊いてみる。でも、ユイが嫌なら会わないだろう」そう言って、他人事のように、奥へ消えた。


 奥から出て来たユイは、暗い目をしていた。


「悪い。最後だから……付き合って欲しい」

 

 舜先生も凛博士も目を見張った。私が、こんな直球勝負に出るとは思わなかったのだ。

 ユイも同じようだった。驚いたように目を見張った。

 横から小林夫人が、口を出した。

「どうせ、今夜が最後なんでしょ?だったら、気が済むようにしたら?やって後悔するのと、やらずに後悔するのは、どっちが良いか考えることね」


 舜先生と凛博士が、小林夫人を振り返った。

 小林夫人は、平然と言った。

「斉藤くん、あなた、行動に移すのが遅すぎたみたいね。もっと、早くしないと。時間がないわ」

 時間?そうだ。あと、九時間しかないのだ。明日の朝、情報収集のグループと一緒に近くの山の麓を目指して、出発するのだ。


 私が手を伸ばすと、ユイがその手を掴んだ。まるで、戦闘の日のようだ。でも、あの時は、ユイを小林家へ連れて帰った。今度は、勝手に病室へ連れて行こうとしているのだ。

 舜先生と凛博士に頭を下げた。

「大事な子供さんをお借りします。この人のことを覚えておきたいんです」


「……頼む」

 舜先生が息を吐いた。

 凛博士が泣き出した。私が、ユイに危害を加えることを心配したのだ。

「凛、斉藤くんは、ユイに危害を加えない。大切に思ってくれているんだ」

 舜先生が、静かな声で言うのが聞こえた。



 いつものようにドクターの机の側に座ったユイは、少しぎこちなかった。

「どうした?」

 ユイが怯えているのが、気になった。

「……」

「俺が直球勝負に出たのが、信じられないのか?」

 コクリと頷く。

「桃源郷の女は、俺には向かない。お前が女ならって、何度か思った。男のお前にこんなことを頼むのは、失礼だと思ったから、ズッと遠慮して来たんだ。一晩、付き合って欲しい。俺は、そっちの趣味はない。だから、嫌らしい意味で言うんじゃない。いろんな話をして、お前と同じ時間を共有したいだけだ」


 ユイはしばらく宙を見据えた。それから、小さく頷いて、何気ない表情かおで訊いた。


「寒いから、ベッドに入ってもいい?」

「いいけど、落ちないようにしろよ」

「大丈夫。落ちるのは、慣れてる」

 クスリと笑って潜り込んだ。


「押しくらまんじゅうみたいだね」嬉しそうに言った。「父さんと母さんのベッドは大きいんだ。だから、押しくらまんじゅうできんないんだ。母さんは十六で結婚したから、十六からズッと大きなベッドで寝てるんだって」

「舜先生は、いくつだったんだ?」

「二十一だったって」

 

 腹這いになって、喉を鳴らす。まるでネコだ。

「だったら、お前も、あと四年、辛抱しろ」


 笑いながら肩を抱くと、緊張するのが分かった。

「やっぱり、男に抱かれるのは、抵抗あるか?」

 そうだよな、こんなのが好きならホモだ。

「ううん。前に、ボクを襲ったバカがいたから、何となくトラウマがあるんだ」

「そいつは、小野寺ファミリーだからって、お前を襲ったのか?」

「うん。助けたかったら、俺の言うことを聞けって感じだった」

「お前、そいつを蹴り倒したんだって?」

「誰に聞いたの?」

「香織ちゃん」

「おしゃべりなんだから」

 軽く笑った。

「で、余所者には、近寄るなって言われるようになったってわけだ」

「そう……それと……」

「まだ、他に何か言われたのか?」

「そのうち分かる」


 そのうち分かるって、後、八時間しかないんだぞ。

 でも、私の側で、信頼しきっているユイを見るのは、心地良かった。この少年をズッと側で見ていたい。それができないことだと分かっていても、そう思ってしまう。


 どこかでキンモクセイの香りがした。


「来た時はクチナシで、帰る時は、キンモクセイか」

 ポツリとつぶやいく。

「中庭に大きなキンモクセイがあるんだ。クチナシは、前庭」

「お前は、どっちが好きなんだ?」

「うーん。キンモクセイかな。香りが甘すぎないから」

「確かに、クチナシは、甘ったるくて、息苦しいほどだな」

「小さい頃、キンモクセイの花の下で遊んだんだ。地面が金色に染まって、ボクの頭にも花が降った」

「綺麗だっただろう?」

「うん。すごく綺麗だった。香りも素敵で、父さんも母さんも陽一おじさん達と戦闘に行ってて、ボクはお留守番だったんだけど、あんまり綺麗だから、二人とも、もう帰って来ないんじゃないかって心配になった」

 

 可哀想に。ここには、ズッと戦闘があったのだ。凛博士も以前は、戦闘に参加していたのだ。そういえば……慎二が言っていたことを思い出した。凛博士も血を流すことが嫌いなのだ。でも、舜先生が抱きしめて、みんなと戦って、桃源郷を護ったのだ。

 その時、桃源郷には、ユイがいたのだ。ユイだけじゃない。アマゾネス達も子供だったのだ。桃源郷第二世代は、必死になって、第三世代を護ったのだ。


 ユイが私の方を向いた。嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

 それから、最初に会った時のように、知らない人を見るような目で、私を観察した。恐る恐る手を伸ばして、頭に触り、耳に触り、額にさわり、鼻に触り、頬から唇をなぞる。

「こら、やめろ、くすぐったい」

「そう?」

 不思議そうな顔をして、ゆっくり、喉へ手を伸ばす。喉仏に触って、独り言を言う。

「ここは、どうなってるんだろう?」

「やめっろって言っただろ?」

 笑いながら手首を掴んだ。細い華奢な手首だ。

 一瞬、とんでもない考えが浮かんで、固まった。ユイが、困ったような顔をする。

「どうかした?」

 今、思いついたことが正しければ……そう思うと、息が詰まって、声が出ない。

 不思議そうに首を傾げるユイに、恐る恐る手を伸ばす。ユイが、後ずさりする。

「落ちる!」

 慌てて背中を支えると、胸から腹に柔らかいものを感じた。

「……もしかして……お前……」


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