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遠い記憶  作者: 椿 雅香
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学校って、どんなとこ?

「訊いてもいい?」

「何を?」

「学校って、どんなとこ?」

 

 真剣な顔だった。この質問をするのに、ものすごく勇気が必要だったのだ。

「勉強がしたいのか?」

「ううん。勉強はどこでもできる。同じ年頃の友達ができるって話だから……」

 

 桃源郷に学校はない。ここの人々は、学校へ行ったことがないのだ。

 仲間達とのたわいない雑談や悪戯。先生の励まし。悪さが発覚したときの怒鳴り声。この少年は、そんな世界を知らないのだ。

 桃源郷で、この少年は最年少だ。他のメンバーは二十歳を超えている。同じ年頃の友達が欲しいのだろう。

 

 少年の孤独をかいま見たような気がした。


「お母さんは、高校で、マキおばさんや翔おじさんと友達になったんだって。そうして、みんなして、桃源郷に集結したんだ。

 でも、ボク等第三世代は、食料を求める暴動が本格化して、世界中で戦争まで起きた時代のせいで、桃源郷を外界から遮断しなくちゃならなくなって、学校へ行けなかったんだ。

 だから、香織さんだって、佐織さんだって、それに一番年上の悠子さんだって、みんな学校にあこがれてるんだ。学校に行けば、母さんがマキおばさんや翔おじさんと仲良くなったみたいに、一生の親友と巡り会えたのにって」


 何となく、この少年を可哀想に思った。ネコの額の計測も、少年らしい思いつきだと、好ましく思えた。


「友達と何がしたいんだ?」

「うーんとね。一緒に研究したり、農作業したり、戦闘したり、あと、一緒に誘拐されたりするんだ」

「?」


 研究や農作業や戦闘は、分かる。でも、どうして、誘拐されないといけないんだ?そういえば、この子に危害を加えようとしたバカがいたと聞いた。ここでは、頻繁に誘拐事件が起こるのだろうか。


「誘拐って、そんなにあるのか?」

「この頃は、ないんだ。でも、ここには、食べ物があるだろ?だから、父さんも母さんも誘拐されたことがあるんだ。母さんが誘拐されたとき、マキおばさんや翔おじさんが、一緒に誘拐されて、監禁されたんだって。楽しかったって」

 


 誘拐が楽しかったってか?無茶苦茶だ。


「そんなもんに、付き合うんじゃない!」


 思わず怒鳴った。


「うん。後で、みんなに目一杯怒られたんだって。でも、お母さん達によれば、知ってる人だったから、付いてったんだって言ってる」


 唖然として、声も出ない。

 ここが普通じゃないことは、分かっていたつもりだ。

 でも、ここまで異常だったとは……。


「そんなことより、学校の話、してくれない?」 

 少年が催促するので、縁側に座って学校の話をした。こんな少年のリクエストに応じるなんて、私の人生ではないことだ。それだけ、話し相手に不自由していたのだろう。

 

 小学校の遠足で、足をくじいて友人達に助けられたこと。

 中学の部活で、予選落ちして大泣きしたこと。

 高校のマラソン大会で、さぼって歩いていたら、先生に大目玉を食らったこと。

 大学生になって、坂本と一緒に食料を探して歩き回っていることまで話した。


 こんな話で盛り上がるなんて信じられないことだった。

「そんなに興味があるなら、授業参観のとき、ついでに見学してきたらいいんじゃないか?」

「ジュギョウサンカンって?」

「年に何回か、親が授業を見に行くんだ。普通、女親が行くことが多いんだけど、年に一回か二回、父親が来れるようになってるんだ。そういうときは、二人して、出掛けたりするんだ。で、帰りに、親子三人、一緒に帰るんだ」

「ボクも行ってもいいの?」

「ああ、子供がそこの学校に行ってたら、君だって親だ。堂々と行けばいい」

 そう言うと、ユイは嬉しそうに笑った。


「それと、運動会や学芸会があって、それも親が行くんだ」

「ウンドウカイって?」

「運動会は、みんなして、走ったり、飛んだり、ダンスしたり、後は、騎馬戦や棒倒しみたいな半分格闘みたいなことや、組み立て体操をするんだ。学芸会は、劇や合奏や歌だな。小学校の運動会なんか、昼の弁当を親子で食べるようになってたから、お袋のヤツ、早起きして、必死で弁当作ってた」

 そのための食材を駆けずり回って探していたことは、この際、黙っていよう。

「斉藤さん、お母さん達と一緒に食べたの?」

「ああ、親父もお袋も一緒に食べた」

「いいなあ」

「君も、親になったらできる」

 頭を軽く撫でた。

「親になったら、嫌だって言っても、PTAの仕事が回ってくるぞ」

「PTAって?」

「Parent-Teacher Associationだっけ?つまり、親と教師の共同の集合体だな。学校を横から手伝うって名目で親が雑用に駆り出されるんだ」

「面白そうだね」

「面白くなんかない。でも、学校がよく分かるって意味では、君に向いてるかも知れない」

「じゃあ、ボク、そのPTAっていうのやる!」

「ああ、やってくれ。みんな、やりたくないから、大喜びする」


 話を聞きながら、少年は、不思議そうな顔をして、いくつも質問した。

 

 授業参観に行くとき、届出みたいなことするの?

 身分証明書が要るの?

 騎馬戦って、どんなことするの?

 棒倒しってどんなもの?

 組み立て体操って何?

 運動会でお弁当食べるの、学校の中ならどこでもいいの?

 雨が降ったら、どこで食べるの?


 私にとって常識的なことも、この少年にとっては、初めて聞く珍しいことだったのだ。

 ふと、気が付いて、尋ねてみた。

「俺は二十歳だけど……君、一体、いくつなんだ?」

「十六」

「じゃあ、高校一年か、二年ってとこだな。今まで余所から来た人達から、こんな話、聞かなかったのか?」

「たいてい、女の子に夢中になって、ボクと話をしてくれる人なんて、いなかった。

 ごくまれに相手してくれる人は、ボクが小野寺ファミリーだからって、近づくんだ。ボクを手に入れれば、桃源郷を自由にできるって考えるみたい。

 小野寺ファミリーだって、ここでは、リーダーでも何でもないのに。研究が進まなくなったら、困るだろう?だから、こいつの命が惜しかったら、言うことを聞けって感じになるんだ」

 

 あまりにあっけらかんと言うので、絶句した。


「だから、余所の人には、近づかないようにって、言われてるんだ」

「それで、最初、警戒していたのか?」

 黙って頷く。

「それから、珍しそうに観察した」

「悪い人じゃなさそうだって、思ったから。でも、ごめん、失礼だった?」

 今度は、ユイが黙り込んだ。失礼なことをしたという自覚があるのだ。上目遣いで申し訳なさそうに見上げる。


「ああ、でも……俺が、珍しかったんだろ?」

「……そう」

「何を……観察したんだ?」

「骨格とか、喉仏とか、ヒゲとか。ここじゃあ、若い男の人は少ないから、男って、女とどう違うのかなって……」

「じき、君だってそうなる。そうなったら、自分を観察しろ!」


 この少年の普通じゃないことに頭痛がした。


 少年が吹き出した。


「お兄さん、面白い人だね」


 廊下に足音がして、坂本が現れた。

 少し飲み過ぎたのだろう。足下がおぼつかない。香織をものにできそうな予感に浸っているのだろう。幸せそうに、あらぬ方を見ている。

 

 少年の気配が変わった。

「ありがと。じゃあね」

と、庭伝いに奥へ行ってしまった。


 坂本は、そこに少年がいたことに気付かなかったようだ。不思議そうな顔で、何でそんなところに座ってるんだ?と、訊いた。


ユイの好奇心に斉藤がたじたじになるシーンでした。

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