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遠い記憶  作者: 椿 雅香
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ネコの額を計測する少年

Ⅴ 少年


 女達の攻勢に辟易して、宴の途中で退席した。部屋へ戻ると、裏庭に誰かいるのに気が付いた。


「こら、動くな。ちょっと、計らせてくれてもいいじゃないか?」

 ネコが嫌がって暴れる。

「もう……ミケは、協力的じゃないんだから……トラは付き合ってくれたのに……」

 引っかかれた手をさすりながら縁側に戻って来たので、鉢合わせになった。

「あ…」

 少年が絶句した。あまりのバツの悪さに、顔を真っ赤にして俯いている。


「こんばんは」

 他に言いようがない。

「俺は、斉藤大樹。『大』きい『樹』と書くんだ。君は?」

 何となく、話がしたくて尋ねた。

「小林 唯人。天上天下唯我独尊の『唯』に『人』」

 

 その字を説明するとき、普通、そういう言い方するか?普通、唯一の『唯』と言うはずだ。百歩譲って、唯物論の『唯』で十分だ。

 しかも、第三世代で唯一の男(only man)。まんまの名前で、呆れてしまった。


「唯人くんって、もしかして……舜先生と凛博士の子供?」

 少年は、黙って頷いた。そうして、居心地の悪さを誤魔化すように言った。

「みんなユイって呼ぶ。斉藤さんも、そう呼んでいいよ」

 そうか、あの薬の研究をしているユイって、この子だったんだ。


 しばらく沈黙があった。どちらも緊張して、相手の出方を探っている。沈黙に我慢できなくなったのだろう。ユイが口火を切った。

「もう、戻って来たの?もっと、向こうで誰かと楽しんでると思ってた」

「楽しむって?」

「種の保存のために、協力すること」

 年端もいかない少年が、平然と言ってのける。

 って、そんな言い方したら、身も蓋もないだろ?

「坂本さんは、結構協力的だって聞いたんだけど……」

 あどけないと言っていいほどの少年にそんなことを言われると、体が熱くなった。

「人を色魔みたいに言わないでくれ!俺だって、相手を選ぶんだ!」

「でも、桃源郷の女の子は、みんな魅力的だろ?」

「確かに……」

 頭を抱えた。こんな十代の少年に女の趣味をどうこう言われるのは、面白くない。

「女嫌いだって聞いたけど、本当?もしかして、斉藤さんって、そっちの方の人なの?」

「そっちの方って?」

「男を愛する男」

 余りの言われように絶句する私に平然と言い放った。

「申し訳ないけど、ボク、そっちの趣味はないから付き合えない」

 あの壮絶なお姉さま達と十数年付き合うと、こういう子が育つのだ。つくづく、桃源郷(ここ)の環境の悪さを呪った。

「俺は、ホモじゃない!」

 思わず、怒鳴っていた。

「そんなことより、一体、君は、何をしてたんだ?君だって、女の子にちょっかい出しても良い年頃だろう?」

 売り言葉に買い言葉だ。大勢のお姉さまがいるのだ。誰かとお付き合いすれば良いものを、そうすれば、俺の負担が減るものを、一体何をしているんだ?

 私は、相手が十代の少年だということを、すっかり忘れていた。

 

 だが、返ってきた返事は、年相応、いや、年齢より遥かに幼いものだった。

「ネコの額の計測」

「?」

「ネコの額ほどの土地って言葉があるだろ?だから、どのぐらいの広さを言うのか測ってみようと思ったんだ」

「そんなこと、昼間やればいいじゃないか!」

「昼は、やらなきゃならないことが多いから……」

 少し言いよどんだ。

 訊いてはいけないことを訊いたのだろうか?

 一瞬、後悔した時、少年が目を上げて訊いた。

「お兄さん、どこから来たの?」

「K市に住んでるんだ」

「じゃあ……何しに来たの?」

「食べ物を探しに……」

「そう」

 少年は、小さな溜息をついた。

「それで、あったの?」

「ああ」

 不本意だが、ここに食料があることは確かだ。


 再び、沈黙があった。体中を緊張させて警戒しているのが、分かる。ハリネズミが体中の毛を逆立てているようだ。

 息を吐いて、尋ねた。今度は、こっちが話題を変えてやる(ターン)だ。

「ネコの額を計測するって言ってたけど、定義はどうなってるんだ?」

「?」

「普通、何かを測るとき、ここからここまでって、決めて測るだろ?ネコの額って、どの部分を言うんだ」

「前髪の生え際から、眉の上の部分」

「でも、ネコには、前髪もないし、眉もない。そんなものを計測しようってのは、無茶なんじゃないか?」

 少年の目がキラリと光る。得たり、という感じだ。

「確かに、厳密に言うと、ネコには、前髪も眉もない。でも、何となく、前髪や眉みたいに見える部分があるんだ。だから、そこを前髪や眉だと仮定して測るんだ」

「じゃあ、今度捕まえたら、押さえといてやるよ。俺、ネコ、得意じゃないから、サッサと測るんだぞ」

 少年が嬉しそうに笑った。笑うと、案外、可愛い。警戒が緩むのが分かった。

 

 それから、珍しい生き物を見るような目つきで、私を観察した。その様が、何となく、浮世離れしている。科学者が、研究対象を見るような感じなのだ。

 この集落には、男が少ない。しかも、ネコの額の計測を手伝おうという物好きな男だ。珍しいのだろう。 

 私は、黙って少年が観察するに任せた。女達の下心のある視線と違い、冷静で客観的な、それでいて、こっちの心の奥まで見透かそうとする視線だ。

 しばらく観察して、私に悪意がないと判断したのだろう。何かを決意したように口を開いた。



いよいよユイの登場です。

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