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遠い記憶  作者: 椿 雅香
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桃源郷には何もない

 一週間後、私の滞在場所は、病室から客間に移った。坂本と同室だ。桃源郷本部棟の東に面した八畳間で、そこに布団を敷いて寝るのだ。


 私が病室にいた間、坂本は、毎日、若い女に囲まれていたのだろう。こんなにモテたことは、あいつの人生ではなかったことだ。鼻の下を伸ばしきって、信じられないだらしなさだ。


 女達は、私を車椅子に乗せて、建物の内部を案内してくれた。


 私達が滞在している建物は、桃源郷の本部棟で、古い民家を改造したものだ。

 東側が小林家の居住エリアになっていて、現在、舜先生一家と舜先生の母親である小林夫人が住んでいる。西側が公共スペースになっていて、全員で利用する台所、食堂、リビング、風呂なんかがある。病室は、中庭に面した中間部分にあることが分かった。

 客間は、建物の北側にあり、東向きの八畳と北向きの六畳がある。私達は、広い方の八畳を与えられた。


 坂本が言ったとおり、私を案内するにも、女達の間で争いがあったようだ。

 結局、じゃんけんに勝った片山依子と中村実子が、車椅子を押しながら案内することになったが、それでも、山道若菜――この娘の本命は坂本のはずだ。私に色目を使わなくてもいいんじゃないか!と、叫びたくなった――と山道麻美が付いて来て、依子や実子の説明を補足した。


 まだ、足が治っていない私に対してもそうなのだ。坂本を巡る女達の争いは、傍から見ても、激しかった。


 他人事なのだ。しかも、坂本は、それを喜んでいる。滅多にない見物だった。岡目八目で、案外、当事者達より状況が分かった。


 坂本に猛烈アタックするのは、山道若菜、水野佳子、中村真子、小坂佐織、片山律子の五人。

 でも、坂本は、小坂香織と中村実子の二人のどちらにしようか決めかねているようだった。どちらも二十一歳。桃源郷では最も若い。考えてみれば、坂本も私と同じ二十歳なのだ。二十六の水野佳子や二十五の山道若菜のような姉さん女房は、好みじゃなかったのだろう。


 でも、坂本は香織と実子の二人とも好きなのだ。ここでは男が少ないから、二股掛けても大丈夫だろうか、と、相談までされた。そんなことして、肝心の本命に愛想を尽かされたら、元も子もないぞ。そう言うと、真面目に悩んでいた。


 気楽なヤツだ。

 

 他人事ながら、ご苦労さま、と言いたくなった。


 姉ちゃん達のなりふり構わぬ攻勢はすさまじく、坂本は、あのパワフルな五人の姉ちゃん達に負けずに、思いを遂げることができるのだろうか、と、他人事ならず心配になった。


 香織や実子の気持ちはどうなのだろう。これも、気になるところだ。

 でも、坂本は、向こうにいる時、失恋しても、結構たくましかった。玉砕覚悟でアタックすれば、何とかなるんじゃないか、とも思えた。



 客間へ移ってから、坂本の報告にはなかった事実に気が付いた。


 桃源郷には、何もないのだ。


 確かに、食料と女はある。女を食料と同列に扱って一括りにするのは問題があるが、生物の二大欲求の個体維持と種族維持の両方という意味でそう扱うことを許してもらおう。


 でも、それ以外、何もないのだ。

 テレビは、パソコンのディスプレイを兼ねたものが一台しかなくて、ニュース専用になっていた。 ニュースを見るために電源を入れ、ニュースが終わると切るのだ。当然、ラジオも、テレビゲームもない。言うなら、娯楽のための設備がないのだ。カラオケだってないし、携帯用のゲーム機すらないのだ。


 唖然とした。余暇をどうやって過ごすのだろう。


 パソコンの画面のカルテを覗き込みながら、読書とか、ネットとか、家庭菜園とかしないの、と、片山依子が微笑んだことを思い出した。ここでは、そのぐらいしか、余暇の楽しみがないのだ。


 坂本にその話をすると、彼は、平然と言った。

「斉藤。お前、心配性だなあ。女を追いかけたり、仲良くしたりしてたら、暇な時間なんかあるわけないじゃないか?」


 脱力した。こいつは砂漠へ行っても、楽しく過ごすことができそうだ。


 坂本は、この状況に納得して、アマゾネスに迷い込んだ英雄気分を満喫していた。

 そうして、ようやく、ターゲットを絞ったのだろう。香織にアタックし始めた。

 群がる女達をかき分けて、香織に向かって突進したのだ。

 どうやら、私が病室にいる間、しょっちゅう遊びに来ていて、かいがいしく看護する香織に惹かれたらしい。


 この頃は、香織との逢瀬を楽しんでいるのだろう。夜、八畳間を抜け出すことさえあった。


 以前の坂本を知っている私は、その変わり様に唖然とした。


坂本はたくましい男です。桃源郷は何もありませんが、気にもしません。

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