プロローグ
少し、しんみりした話を書いてみました。よろしくお願いします。ハッピーエンドじゃないけど、救いがないわけでもありません。
Ⅰ 坂本の死
冬の終わりに坂本竜太が死んだ。
出張先で起きた食料を求める暴動に巻き込まれたのだ。食料難は改善されつつあるというものの、まだまだ所得の低い人々まで行き渡っていない。ときどき各地で起きる暴動が、それを教えてくれる。
坂本が死んで、例の失踪事件を知る人はいなくなってしまった。
私、秘密を共有する仲間を失ったような気がした。
坂本が死んだせいだろうか。
春頃から、無性にあの山へ登りたくなった。
学生時代、私と坂本が失踪した、あの忌まわしい山に。
私達が失踪したのは、気温の上昇が何となく止まり、原因は分からない、でも、上手く行けば、地球はこれ以上気温が上がらないだろうと、科学者達がこぞって首を傾げた、あのターニングポイントと呼ばれる年の前年だ。
ターニングポイント。
その事実が確認されると、世界中の人々が安堵の息を吐いた。そして、ここで気を緩めず、温室効果ガス、とりわけ二酸化炭素の排出を極力抑える生活を続けることが求められる、と、各国の指導者達が訴えた。気を抜くと、再び気温の上昇が加速して、早晩、北極や南極の氷が消えてなくなるのだ。
シロクマが絶滅するだけじゃない。海面が上昇し、土地が減る。頻発する異常気象によって農作物が壊滅的な被害を被る。人類が絶滅の危機に立たされていた。
勝って兜の緒を締めよ。何に勝ったんだ、と追求したいところだが、どこの国も真面目だった。日本政府だって、温暖化防止のキャンペーンを緩めることはなかった。
二酸化炭素との戦いに、どうやって勝利をおさめたのか、皆目見当がつかない。だが、原因はさておいて、当面の危機を脱出しつつあるのは事実だった。油断しないで、このままの状態を維持することが求められた。
失踪から帰って以前の生活に戻った私は、相変わらず、政府が地球温暖化防止のキャンペーンを行っていることを知った。
そして、何の根拠もなく、地球温暖化は止まるだろう、と思った。というより、確信した。どうしてかは、分からない。ただ、何となく、直感したのだ。
ターニングポイントの前年のことだ。
何となく、誰かが地球を救ってくれる、と感じたのだ。そうして、翌年、私の勘が正しかったことを知った。
勘が正しければ、十年もすれば、地球の気温は少しずつ下がり始めるはずだった。どんな手段をとるのかは、分からない。でも、どこかで誰かが、二酸化炭素の総量を減らし、更には、何十年何百年の時間をかけて、気温を産業革命以前の水準にまで下げるだろうという漠然とした予感があった。
あの年、私と坂本は、三ヶ月間失踪した。七月中旬から十月中旬までだ。クチナシの香りとキンモクセイの香りを覚えている。
失踪から帰った時、お袋は、めっきり老け込んで、髪が真っ白になっていた。失踪していた間に台風まであって、消息の知れない息子の安否を、死ぬ思いで心配していたのだ。私は、今更ながら、両親に心配掛けたことを申し訳なく思った。
民法を学んだ時、失踪宣告という制度を知った。七年間の失踪があった場合、死亡したものと見なされるという制度だ。七年もいなくなっていて戻って来るなんて、あり得ない。そう思った。危難失踪でも一年だ。遠い世界の話だった。
まさか、自分が失踪し、そのわずか三ヶ月の間に、家族がこんなにも心配し、憔悴するとは、思いも寄らないことだった。
失踪後の生活は、一口で言うと、平凡だった。
もともと、派手な方ではなかった。でも、失踪を華々しい経歴というかどうかは別として、戻ってから、ますます抹香臭くなったんじゃないか、と、坂本に笑われたほどだ。
失踪から帰った二年後、妹が結婚した。二人の子供のうち、一人が片づいたのだ。両親は、私が結婚することを期待した。
ただ、失踪後、何となく女嫌いで、かといって、そっちの方の趣味でもない。心を惹かれる異性に出会わないのだ。縁がない、と思っていた。
それに、妹の結婚生活を見ていると、とても結婚する気になれなかった。それほど、地球温暖化は、人々の生活に影を落としていた。
地球温暖化に伴う異常気象のせいで、食料不足が続いていた。そんな中で、家庭を築き、子供を育てるのは、並大抵の苦労ではないように思えた。
私の気持ちと関わりなく、両親は、私が結婚することを求め、終いに、孫の顔を見ないと死んでも死にきれない、と、泣き脅しにかかった。妹一家は、住んでいる地域が竜巻の直撃を受け、行方不明になっていた。
私の失踪以来、めっきり老け込んだ両親は、妹一家を失って、いつ寿命が尽きるか分からないほど弱っていた。
結局、両親の懇願に負けて結婚し、翌年、息子が生まれた。
出産した妻は、母乳も出なかった。私は、妻と息子のため、食べ物の調達に奔走し、何とか粉ミルクを手に入れようとした。しかし、世界中で粉ミルクが品薄なのだ。食料難で、乳幼児の四人に三人が死ぬ時代だ。私の努力は空しいものだった。
私は、家の近くに畑を借りて、イモやトマトを植えた。家族の食料を調達しようとしたのだ。町で育った私だが、意外と農作業が上手かった。妻は、家庭菜園のハウツー本を買って来て勉強していたが、私は、それらをまともに読まずに、作業に当たったのだ。
「頭の良い人って、何やっても上手なのね」
と、妻が目を見張ったほどだ。
ネコの額ほどの小さな畑だが、結構収穫があった。妻が喜んだのは、言うまでもない。
しかし、どんなに頑張っても、食料の総量が少ないのだ。粉ミルクも手に入らない。幼子は、誕生日を迎えることはなかった。
半狂乱になった妻が寝付いたのは、当然の成り行きだったのかも知れない。妻が倒れると、親父も、妻の両親も、おろおろするばかりで、何の役にも立たなかった。
お袋は、食料を探して奔走し、ますます憔悴して痩せた。そうして、妻が死んだ翌月、後を追うように死んだ。相次ぐ心労と食料の調達に疲れ切っていたのだ。
お袋がいなくなると、親父は、げっそり痩せた。そうして、お袋の一周忌を待たずに、後を追った。
地球温暖化が始まったのは、産業革命以来、人類が、無茶苦茶してきたせいだ。そのしわ寄せが、私達、現代人に来たのだ。人類だけじゃない。野生動物の中には、絶滅したものだってある。
産業革命この方、人々は、単純に幸福を追求した。それが、子孫に、とんでもない債務を負わせることになるなんて、考えもしなかったのだ。
テレビでは、政府が、地球温暖化防止のためのCO2の削減目標を発表した、と、伝えていた。
私以外、家族全員が死んだのだ。今更、そんなことをして、何になると言うのだろう。人類が滅びるなら、滅びればいい。どんな生物にも絶滅する時が来る。それが、今だというだけなのかも知れない。
だが、ここで、世界中が頑張らないと、私のような人間が、ますます増えることになる。これはこれで、政府のやるべきことなのかもしれない。
体中の力が抜けて、何を見てもやる気がしない。漫然と日を送り、ただ、仕事に行って、帰って寝るだけの日々が過ぎた。
そんな時、今度は、坂本が死んだのだ。学生時代、一緒に食料の調達に走り回った相棒だ。家族を失った時とは違う痛みがあった。
いつの間にか、夏が来ていた。坂本が死んだのは、冬の終わりだ。春は、いつ来て、いつ終わったのだろう。
外は、相変わらず、火傷しそうな暑さだ。温暖化が改善されつつあると言っても、産業革命以来、三百年以上二酸化炭素を排出し続けて来たのだ。一朝一夕に改善されるはずもない。元の状態に戻るには、数百年かかるのかもしれない。
その間、何人の人が死ぬのだろう。そして、何人の人が悲しむのだろう。
妻が死んでから、何となくあの山のことが気になった。失踪後、少しばかり厭世的な私のルーツは、あの山にあるように思えた。
そういえば、借りた畑で初めてジャガイモが採れた時、妻はご機嫌だった。ジャガイモの山を前にして、笑いながら言ったのだ。
「あなた、あなたって温暖化の話をすると、あの山に登りたがるのね。そんなに懐かしいなら、一度、行って来たら?」
私があの失踪に負い目を感じていることに、全く気づいていない、何の屈託もない笑顔だった。妻の笑い顔を見たのは、あれが最後のような気がする。
妻が勧めたのだ。一度、行っても良いかもしれない。そう思ったものだ。
坂本が死んでから、ますますあの山のことが気になった。近頃は、あの山道の夢まで見るのだ。
田舎じみた駅の様子。点在する廃家。跡取りが都会に流出したため、集落全体が廃村となってしまった村。耕作放棄されて久しい田畑。私と坂本が行った時、畑には、もう何も残っていなかった。誰かが、私達より先に、野生化したイモや大根を採り尽くしたのだ。