残った最後のひとかけら
一『くらい』
ここはどこだろう……。
私はだれだろう……。
暗い……。暗いがなんなのか、私は知らないけれど、きっとこれが『くらい』なんだとおもう。
押し潰されそうなもの、それがきっと『くらい』なんだ。
でも、今にも押し潰そうとされている、私はいったい何なのだろう。
『くらい』よりもきっと小さくて、臆病でひ弱い存在に違いない。
このままきっと飲み込まれて、『くらい』の仲間になるんだよね。
『くらい』の仲間って、みんな私みたいなのかな? 私よりももっと小さいのかな?
それともみんな私より大きくて、小さくて臆病でひ弱な私を『くらい』から助けてくれるのかな。
ねえ、『くらい』、私はあなたよりも小さいの?大きいの?
『くらい』は、『くらい』以外の何かを知ってるのかな? 私の知らないなにかを。
私は『くらい』のことを良く知らないけれど、『くらい』は、私より私のことを知ってるんだよね。
教えてほしいな、私のこと
一ノ一
「ねえ、そろそろ帰りなさい?」
顔見知りの看護婦さんが、俺に声をかけてくれた。
「すいません、でも面会時間いっぱいまでは居たいんです」
看護婦さんはため息をつくと、「体を壊さないようにね」と労って病室を出て行った。
(いつも心配かけてごめんなさい)
俺は心の中で謝罪すると、目の前のベットの女の子に話しかけた。
「あの人には、心配かけさせてばかりで、ホント頭があがらないな。」
彼女の顔を見てると、いつも自分が見透かされてるような感覚になる。おもわず照れ隠しに苦笑いをしながら、頭をかきむしった。
「そういえばさ、高校の時にいたじゃん、同じクラスの……名前なんだっけ? まあいいや、そいつが今度結婚するんだってさ。いきなりだぜ? しかも相手は十五も離れたおっさんっていうから2度びっくり!」
俺は、彼女の手をキュッと軽く握る。ここにいる時は、いつも手を繋いでいるようにしている。ご飯食べる時も、眠くなった時も、トイレにいくときは……さすがに離すけど。
もしかしたら、ほんの一瞬だけでも、俺の手を握り返してくれる時がくるかもしれない。
そんな時、必ずもう一度握り返して挙げたいのだ。
一ノニ
彼女が倒れたのは、高校を卒業して一年後のことだった。
俺はしがない整備工場に、彼女は近くの大学に、会える機会も多かったし、何より楽しかった。
あの日も彼女の家に行き、彼女のピアノを聴いたり、たわいのないDVDを見たりしていた。
もともと体が弱くて時々倒れることはあった。その度に俺は大騒ぎしたけれど、すぐに目を覚まして、情けない顔をしてる俺にやさしい笑顔をくれた。
でも、その時は違った。 俺は不安だったけれど、きっとまた目を覚まして、「ごめんね」と「ありがとう」を言ってくれるに違いない。そう思っていた。
でも、彼女は目覚めなかった。
一日目が過ぎ、不安に思った彼女の両親が、すぐ救急車を呼んでくれた。
彼女の両親と一緒に病院に行った俺は、そこで聞いたこともない病名を告げられた。
五感を全て失い、体を全く動かせなくなってしまう病気。そんな悪魔のような病気だった。
俺はそれでも、彼女はまた目を覚ましてくれると思った。
また、泣きそうな俺の顔をみて、にこりと笑ってくれると思っていた。
もし彼女が目を覚ました時、俺が目の前にいなかったら、きっと不安になるだろう。
俺は、病院の面接時間は、全部彼女と一緒に入れるように、整備工場を辞め、夜の工事現場の仕事についた。
夜の十一時から翌朝の7時までの仕事、それから家に帰って寝ると、朝の十時に起きて病院に行く生活。不思議と辛くはなかった、時々彼女の前でうとうとしてしまうことはあったけど、その時は、彼女が俺の手をギュッと握ったような気がしてすぐに目が覚めた。
医師によれは、彼女は覚醒と睡眠を繰り返していて、起きている時の脳は普段と同じように活動しているらしい。彼女はなにを考えているのだろう、一人で必死に戦っているのだろうか、
それとも、高校時代や、中学の頃の俺達を思い出して、楽しんでいるのだろうか。
彼女が目が覚めたら、そんな思い出よりも、もっと大きなものをプレゼントしてやろうと思う。
喜んでくれるかは分からないけれど。
『あたたかい』
『くらい』はずっと私を押し潰し続ける。
私は逃げることもできなくて、ただ『くらい』に従うだけ、
『くらい』は、何も答えてくれないし、私を仲間にも入れてくれない。
ただ、私を押し潰す、ずっと、ずっと。
でも、少し変わったことがある、ほんの小さなものだけど、柔らかくて、やさしい。
温かいが何なのか、私には分からないけれど、これがきっと『あたたかい』なんだと思った。
『あたたかい』は時々現れると、『くらい』に潰されそうな私を、やさしく包んでくれる。
すぐにいなくなってしまうけど、『くらい』以外の何か、柔らかくてやさしい。
『くらい』が『あたたかい』だったらいいのに。
どうして『くらい』はこんなに大きいのに、『あたたかい』はあんなに小さいのだろう。
『あたたかい』はどうしてすぐに、どこかへ行ってしまうのだろう。
『くらい』はずっとずっといるのに。
『あたたかい』に私も連れて行ってもらおう。『あたたかい』のいるところ、きっとみんな『あたたかい』で、『くらい』がいないんだよね?
そんなところ、私も行きたい。
ニノ一
「あの、君さ……」
一人の医師が俺を呼び止める、彼女の担当医だ。
「いつまでこんなことを続けるつもりだい? ろくに寝てないんだろう」
「彼女の目が覚めるまでです」
俺は即答した。彼が何か言ったところで、俺はやめない。例え地球の反対側に彼女が行っても、俺は追いかける。
「ごめん……。もう見てられないんだ。」
医師はそういうと、目から涙を流した。
「彼女が目を覚まさないのは、あなたのせいじゃないです。」
この病気について、どういうものかは俺もわかっているつもりだった。
「違うんだ……。 もう……なんだ。」
もう、なんだって? 涙に混じって声がよく聞こえない。
「もう……、戻らないんだ。彼女の5感と体は、絶対に……」
え? 今なんて言ったんだろう? この医者は。
「彼女が、目を覚ます確率、5感を取り戻す確率は〇パーセント……。絶対にないんだよ。」
目を覚ます確率がなんだって? よく聞こえない。
あれ、急に足が、うまく立てない。
今から彼女のところに行かないといかないのに。
今日は日曜日だったから、話すこといっぱい考えてきたのに。
彼女のところにいかないと。
きっと、俺を待ってる。いつだってそうなんだ、学校の帰りでも、待ち合わせの時でも、必ず俺より先に彼女はいるんだ。
だから、行ってあげないと。
あれ、前がうまく見えない。目の前に何かいる。邪魔だ。
拭っても拭ってもも出てくる、しつこい奴だ。
遠くで、何か聞こえる。「ごめんごめん」って聞こえる、さっきの医者かな?
悪いのは、あんたじゃないのに。なんでそんなに悲しい声で叫ぶんだ?
とにかく、この医者には悪いけど、彼女のところへ行かないと。
彼女のところへ。
ニノニ
「落ち着いたかい?」
「……はい」
俺は、無機質に答えた。
いつもの彼女の部屋、俺はいつものように彼女の手を握っている。
もう、2ヶ月ずっと続けてきた光景、彼女の前での俺は常に笑ってないといけないのに。
「……あれ」
また、目の前が曇る。欲しいのはお前じゃない、いい加減に消えてしまえ。
俺は、強引に笑う。彼女はずっと俺に笑顔をくれた、俺も笑顔を彼女にあげないと。
医者は、俺と彼女から目線を逸らしこちらを見ようとはしない。
「彼女の病気は、脳の、見たり、聴いたり、触ったり、する機能と、身体を動かす運動伝達系の機能が……」
医者は、続ける。俺は笑顔を作ったままそれを聞く。絶対崩したりしない、哀しい顔はしない。
「……機能を司る部位そのものが、喪失してしまっているんだよ。……そういう病気なんだ。」
機能を司る部位そのものが、喪失してしまっている。
「現代医学はおろか、これから百年たってもこの病気を治すことは……」
これから百年たっても、この病気を治すことは……、
「できないんだよ。」
できない。
俺は、息を吸った。俺は笑っているだろうか、哀しい顔をしていないだろうか。
彼女の顔をみた。2ヶ月前とまるで変わらない。今にも起きて、「ごめんね、おそくなって」
と微笑んでくれそうだ。
「先生、一つだけ、俺のお願い聞いてもらっていいですか。」
『おと』
『あたたかい』は、最近あんまりきてくれない。
私がこんなに怯えてるのに、『くらい』に押し潰されそうなのに
私のことが嫌いになったのだろうか?
それとも『あたたかい』も『くらい』に押し潰されたのかな?
それだったら、私もそのうち『くらい』に負けちゃうのかな?
『くらい』に負けたらどうなるのかな?消えてしまうのかな?
そもそも、私はここにいるのかな?
『くらい』よりも全然小さくて、『あたたかい』に助けて貰っている私、
私も『あたたかい』みたいに、何処かへ行けたらいいのに、
……なんだろう
……何かの音、うれしいの音
私は音がなんなのか知らないけれど、きっとこれが『おと』なんだ
『おと』は、どこにいるのかな? 私に何かしてくれるのかな?
『おと』はいろいろいるみたい。たのしい、うれしい、かなしい、
いろいろな『おと』がいるみたい。
あっ!
『あたたかい』がきてくれた。私を包みにきてくれた。
『あたたかい』と『おと』って知り合いなのかな。
『あたたかい』と『おと』で『くらい』を追い出せないのかな。
『あたたかい』がきてくれたけど、『おと』を連れてきてくれたけれど、
やっぱり『くらい』は大きい。
なんで、こんなに『くらい』は大きいんだろう、
『おと』は、同じ『おと』なのになんでこんなにちがうんだろう、
『あたたかい』はなんでこんなにやさしいんだろう、
みんな、頑張ってるのかな、私も頑張らないといけないのかな、
『くらい』に負けないように、
『あたたかい』みたいにやさしくなれるように、
『おと』みたいににぎやかになれるように、
私も頑張らないといけないのかな、
三ノ一
――よし!
俺は、気合を入れた。今日は日曜日、そして俺の、いや俺たちの運命の日でもある。
家をでると、俺は病院向かった。途中でいろんな人が俺に振り返る。
しかし、走りづらい服だ。もっともそういう風には作られていないんだろうけど。
病院の中に入ると、看護婦さん達が俺を迎えてくれた。
「さあさあ、はやくはやく」
看護婦さん達は、俺をにこやかに先導してくれる。終点はもちろん彼女の部屋だ。
「さー、もうおまちかねよ~」
婦長さんが、そういって俺の前の扉をあけてくれた。中に入ると……。
「きれいだ……。」
俺は、思わず抱きしめそうになった。
車椅子に座っているけれど、真珠のような光を放つそのウエディングドレスを纏った彼女は、俺が今まで見たこともないように大人びていた。
「さあさあ、新郎と新婦が、並ばないと始まらないだろ」
担当医が、俺を彼女の隣へ引っ張っていく
綺麗だ。
本当に心からそう思った。ドレスとか、顔立ちとかスタイルとか、そういう次元ではなくて。
初めて彼女に告白した時のような、そんな胸の高鳴りを感じる。
「では、みなさん静粛に」
担当医が、野次をとばす看護婦さんや患者さんたちを制する。
「では、牧師さんお願いします。」
担当医が道をあけると、ふとっちょの人のよさそうなおじさんが出てきた。
彼は、コホン、と咳払いすると、
「えー、では」
みんなが、見守る。
牧師さんは、俺の名前を言うと言葉を続ける。
「……は、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「誓います」
俺は力強く答えた。
「では…」
と、彼女の名前を続ける。
「……は、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
誓います。
そういってくれた気がした。
彼女の横顔はうごかないけれども、なんとなく微笑んでいるような、そんな柔らかい感じがした。
「では、指輪の交換を」
俺は、少し屈むと彼女の左手をとり、持って来た指輪の片方を、彼女の薬指にやさしくはめる。
今度は、彼女の右手に指輪を軽く持たせると、そのまま俺の左手の薬指にはめた。
本当はもっといいものを用意したかったけど、ごめんな
「では、両者、誓いのキスを」
俺は、彼女のヴェールを上げる。絹一枚を取り払った彼女の顔は一段と綺麗で、初めてキスした時のことを思い出した。あの時は、学校の帰り道だったっけ。
彼女の唇に、俺の唇を合わせる。
動くことはなかったけど、柔らかで、心地よい。
「おめでと!」
「おめでとう!」
「おめでとさん」
「幸せにしろよ!」
一斉に、拍手と喝采が病室を覆った。看護婦さん、患者さん、医師の先生、みんなが俺達を祝福してくれている。
なあ、俺達はこんなにも幸せだ。きっとこれからも、お前は人より見たり、感じたり、聞いたり、できないかもしれないけれど、そのときは俺がお前の分まで見て、感じて、聞いていく。 お前の分まで食べるし、お前の分まで働く。お前は今、戦ってるかもしれないけれど、俺はそれを手助けできないかもしれないけれど、俺の見える世界、俺の居る世界でのお前は、俺が必ず幸せにしてみせる。
……。
彼女の体が少しだけ揺らいだ。
え? 今確かに。
俺は彼女の肩を車椅子に落とすと、叫んだ。
「先生! 動きました。今微かに動きました!」
三ノ二
彼女の体には奇跡が起こっていた。
医者たちは有り得ないことだといっていたが、実際にそれは起きた。
しかし、逆にそれは俺が彼女に会えなくなるということだった。
集中治療室にいる彼女を、俺は遠くから眺めることしかできない。
今回のことで一番喜んでいるのは、俺なのは間違いない。
なのに、会えないだけでこんなに苦しいなんて
そういえば、中学の時から、3日と会わないことなんて、今までなかったのかもしれない
「がんばれ」
今は精一杯応援しよう。そう思った。
『うごく』
また、『あたたかい』がこなくなった。
『おと』もあれっきりきていない。
でも私は大丈夫、頑張るって決めたから、
『あたたかい』みたいに、
『おと』みたいに、
『くらい』は、たしかに怖いけど、
『あたたかい』が教えてくれた優しさと、
『おと』がおしえてくれた、たのしいや、うれしいが、私を頑張らせてくれる。
そういえばこの頃、私がいる感じがするんだ。
頑張ると、私がいる感じがする。
動くが何なのか、私には分からないけれど、これがきっと『うごく』なんだと思う。
だから、私は頑張って『うごく』
頑張っても『くらい』は大きいけれど、
頑張っても『あたたかい』も『おと』もこないけれど、
今は頑張って『うごく』
それが、きっと私なんだ。
四ノ一
彼女が集中治療室に入ってから5ヶ月、容態は一向に変化しない。
俺は、あれから毎日集中治療室越しの椅子に座って、閉院まで応援していた。
(がんばれ)
(がんばれ)
それが俺にできる唯一のことだったし、俺にはこの指輪に誓って、それをやる義務があった。
(がんばれ)
(がんばれ)
……なんだ。
集中治療室内が急にあわただしくなった。
彼女に付けられた人工呼吸器が、移動用のものに変わった。
「君、彼女のご主人なんだろ! いそいできてくれ!」
集中治療室から出てきた医師が、俺にそう告げた。
とうとう来てしまったのかもしれない、この時が、
「これに着替えて奥の手術室にきて!」
俺は急いで手を洗い、渡された手術服に着替えた。
この扉の向こう、ここに入り、次に出るとき、俺は何かを失っているのだろうか、それとも手に入れているのだろうか。
ただ、一つだけ、どのような結果になろうとも、彼女にかける言葉はだけはきまっていた。
四ノ二
「メス」
「ハサミ」
静かに手術のカチャカチャという音と、医師の指示が飛ぶ。
彼女は、そこに力なく眠っていた。
ここで、俺ができること
「先生、手を握ってやってもいいですか?」
俺は、医師にお願いした。無理なことは分かっている。
しかし、ここで俺にできること、彼女を励ましてやることしかできない。
精一杯応援したい。一番近くで
「わかった、認めよう。だが、立ってると邪魔だから、下にしゃがんでるんだ。」
「ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。他人にこんなに頭を下げたことなんて、今までなかったかもしれない。
手術台の下に潜り込むと、彼女の左手に触れた。手術服の手袋が邪魔で体温が伝わりにくいが、温かい。俺は彼女の左手に自分の左手を合わせると、ひたすら応援した
(がんばれ)
(がんばれ)
(がんばれ)
(がんばれ)
もう、どれだけ時間がたっただろう、俺はひたすら応援し続けた。俺にできること、ただそれをやり続けた。
手術用具の音が急にぴたりと止まった。
「君! 立ってこっちに来るんだ。」
俺は彼女の手を握り締めたまま、医師の方へ飛び出した。
『ありがとう』
もうどれだけ頑張ったのかな、
私、どれだけ『うごく』続けてたのかな。
『くらい』は、相変わらず大きいし、
『あたたかい』も『おと』もいない。
もう休んでもいいのかな。私すごい頑張ったよね。
『あたたかい』も『おと』も、きっとうんっていってくれるよね。
こんなに頑張ったのに、『くらい』は『くらい』のまま
私はもう、疲れちゃった。
『くらい』ってほんとすごいんだね。私じゃ全然敵わない。
きっと『あたたかい』も『おと』も、それが分かってたから来なくなっちゃったんだね。
もう、私はお休みするよ。
ごめんね『あたたかい』
ごめんね『おと』
……『あたたかい』だ。
来てくれたんだね。ねえ、今までどこに行ってたの?
私すごい頑張ったんだよ。一生懸命『うごく』続けたんだよ。
ねえ、私まだ頑張れるのかな。まだ頑張っていいのかな?
『あたたかい』がいるなら、私まだ頑張れるよ。
きっとまだ『うごく』できるよ。
五ノ一
手術室に小さな、けれども力強い産声が響いた。
「おめでとう、女の子だ。」
医師は俺に、その今にも壊れそうなそれを渡した。
抱き方分かっている。今日まで練習したんだ。
「あれ……。」
俺は泣いていた。その子を抱きしめたまま、
涙が止まらない。けれど必死で笑顔を作る。
彼女に笑われないように、彼女が安心できるように。
俺はもう一人の彼女を抱きしめたまま、必ず言おうと決めていた言葉を伝えた。
「ありがとう」
私頑張ったよ。
『あたたかい』のおかげで頑張れたんだよ。
あれ、『あたたかい』ってこんなに大きかったっけ?
『くらい』と、同じくらい大きいかも、
『あたたかい』ってほんとは凄いんだね。
……なにか落ちてくるよ? なんだろう?
いっぱい落ちてくるよ。でも、これも『あたたかい』みたい。
すごいやさしい。
なんか、『おと』もきてくれたみたい。
でも、新しい『おと』ありがとうの『おと』
ありがとうってなんだろう?
私はありがとうが何なのか、まだ分からないけれど、
よろしくね、ありがとうの『おと』