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尊きは巍然(ぎぜん)と覚悟を語る

作者: 根谷司

 ジャンルはホラーですがメインは言葉遊び、の、つもりです。とにかく言葉遊びしました。なんかこういうのが書きたい気分だったんです。こういう小話がしたい雰囲気だったんです。

 酷く寒い夜だった。そいういうと今日だけが特別に寒い夜だ、みたいなニュアンスに聞こえるかもしれないが別にそういうわけではない。ただとにかく寒かった。気温はいつも通りだ。つまりはいつも酷く寒いと言える。


 普段はこれほど寒いとは感じないのだが今日は特別に寒く感じた。だから仕方が無い。何が仕方ないのかと聞かれたら返答に困るが、とにかく仕方ないのだ。別に今現在立っている場所が墓地だ、というのはなんの関係も無い。微塵も関わりが無い。墓地だから寒い。そんなのは迷信だ。寒いものは寒いのである。


 そもそも何故、俺がこんなところに来ているかというと、一重(ひとえ)に気になる話を小耳に挟んだからだ。なんでも、『新月の夜に柏木(かしわぎ)寺の裏にある墓地に行くと幽霊が出る』とのこと。通行人Bが通行人Cに語っているのがたまたま聞こえたのだ。ちなみに通行人Aは俺である。俺もまたしがたない通行人なのである。


 だから、そういう変わった話に着いて行けば、こういう斬新な立ち居地を確保すれば、主人公になれるのではないかと思ってしまったのだ。少なくともそれっぽい存在にはなれるのではないだろうかと思ってしまったのだ。そう目論(もくろ)んだのだ。薄ら寒い目論見である。


 詳細を語ろう。


 新月の夜。それは幽霊が活性化する時だ。柏木寺は一ヶ月前に神主が死去し、不肖の息子が跡を継いだとか。そしてその息子が不肖過ぎて、不出来過ぎて、裏手にある墓地の管理が緩くなってしまっているとか。神主なのに霊感が皆無だと噂されているらしい。神主に霊感が無いのなら供養も行き届かない。そう思われるのは無理からぬことだろう。神主が無能ならば、そうなる事が当たり前なのだと。


 だから出るらしい。幽霊が寄りつきやすくなっているらしい。肝試しにはもってこいである。ただし今が夏ならば、という問題もなきにしもあらず。こんな酷く寒い夜に肝を冷やすくらいなら、もうすぐに控えたクリスマスにでも備えるほうが利口だろう。そうでなければただの馬鹿だ。流行に乗れない反骨精神を無駄にしている。簡潔に言うと、真冬に肝試しなんて誰がするものか、という事だ。そして俺が馬鹿だという事でもある。


 とにかくだ。


 俺は証明したかったのだ。確かめたかったのだ。新月の夜、この場所でなら確かめられると思ったのだ。


 寺のほうから、ひとつの人影が見えた。そろそろ来ると思ったのだ。その不肖の息子が出てくると、そう知っていたのだ。


 寺の主であるそいつは、つまるところの神主Bは墓地のほうへやってきた。夕餉(ゆうげ)の前に仏に供え物を、という基本は守っているようだ。


 では、なら、その後は。


 神主Bは俺の姿を見て、立ち止まり、お供え物を落とした。俺の姿を見たのは合格だ。お供え物を落としたのは不合格だ。


「……父、さん……?」


 神主Bは言った。通行人Aであり神主Aでもある俺に向かって、目を見開きながらそう呟いた。


「久しいな、不肖(ふしょう)の息子」


 といっても一ヶ月ぶりでしかないが。


 俺はこいつの、神主Bの父親である。一ヶ月前に死んだ父親であり不肖の息子が不出来なまま死んだ無責任な父親である。


 実の所、死んだ後もこの寺の周りをうろちょろしていたのだ。死んでも死に切れなかった。責任を果せなかったのだから当然だ。不肖を不出来のままにしてしまったのだから必然だ。こうなることは自然な事だ。元神主でありながら化けて出るなど言語道断だ、釈然(しゃくぜん)としない、と思うかもしれないが、人は完全体にはなれないというのも仏教の基本的な教えのひとつだ。その教えに粛然(しゅくぜん)と則れば、むしろ化けて出るほうが毅然(きぜん)としているといえよう。物事を漠然(ばくぜん)とさせたままにするのは好きではないのだ。


「なんで……俺、霊感とか、無いのに……」


 呆然と呟く不肖で不出来な我が息子。新月の夜という特別な環境下であれば、少なくとも今だけは、この今だけは霊感を得られるようだ。いや、幽霊の力が強まっているから見えるだけだったか。だとしたら、不肖の息子は不出来なままなのか。


「そんなことはおいといて、俺はお前に頼み事をしにきたのさ」


 俺は息子を指差し、言った。


漫然(まんぜん)と生きるな、我が息子よ。霊感が無いからと諦めるのなら組合に申し出てこの寺を他の者に明け渡せ。寺の跡を継ぐのならそれだけの覚悟を示してみせろ。そうだな。覚悟の証がてら――俺を成仏させてみろ」


 ニヒルにかっこよく、ハードボイルドに笑って見せた。こうして見れば、そこかの主人公のように見えなくもないだろう?


 困惑したまま動かない息子に、得意になって語りかける俺の姿は、どう映っていることだろう。きっとそうとうサムイだろう。かっこつけ過ぎてから回っていることだろう。(みにく)く薄ら寒いことだろう。


 本当に、心底、酷く寒い夜だった。

 読んでくださり感謝です。


 ネタバレです。タイトル『尊きは巍然(ぎぜん)と覚悟を語る』となっています。巍然というのは、簡単に言うと気高い、みたいな意味です。しかしいざ読んでみてどうでしたか? 確かに、主人公の言ってる事は巍然としていますが、なんか違くない? となりませんでしたか?

 それもそのはず。この主人公、おもいっきり偽善者ですから。

 振りかざしているの偽善。だからサムイ。薄ら寒い。『酷く寒い』はとてつもなく寒い、という意味ではなく、『酷くて寒い』にもなるのです。この主人公のやってること、結構酷くて寒いですからね。

 まぁつまり本当のタイトルは『尊きは偽善と覚悟を語る』になるわけです。ただの駄洒落です。


 こんなくだらない内容ですみません。勢いあまって内容が無いようとか言ってしまいそうです。そんなことを言ったら僕の尊厳は木っ端微塵です。

 とにかく、ここまで読んでくださりありがとうございます。こんな小話でも、どなたかの暇つぶしになれたのなら幸い。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 言葉遊びのレベルが高い。西尾維新風だと思いました。 [気になる点] 叙述トリックが甘いように思います。叙述トリック特有の驚きが薄かったです。 [一言] 文章のレベルは大変高いです。遊んでい…
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