新門のじいさま
「おい。近藤」
勇が廊下を歩いていると後ろから声を掛けられた。
慌てて振り向くとそこには担任の、英語教師 勝大海が立っていた。
「何でしょうか。勝先生」
「ちょっと職員室まで来い」
そう言うと、勇を伴って歩き出す。
職員室に着くや、机の上に置いてあった紙を勇に手渡して、どっかりと腰を下ろした。
「進路調査表出してねぇのお前だけなんだ。まぁ、函館の病院に入院してたからしょうがねぇんだがよ。来年のクラス分けにも絡むんで早く出しな」
勇はその紙をじっと見た。
「一学期みたいないい加減なこと書くんじゃねぇぞ。なまじお前は成績がいいから困るんだ。文系が強いが、今からでも十分理系にも行ける奴だからな」
勇は学年片手以下の成績を取ったことが無い。校外模試の成績などたいしたものなのだ。
「その気になれば赤門だっていける」
勇は顔を上げた。
「先生。私、医者になろうと思います」
「医者?医学部か……。まぁいいんじゃねぇか。で、」
「救急医療に関わりたいんです」
勝はその言葉におっという顔になる。
「また、ハードな所を志願するなぁ」
「わたしは、大切な人を無くさずにすむようにしたいんです。一人でも多く」
「……函館で何か掴んできたのか。まぁよかったな。でも親には了解もらってこい」
「はい」
勇はぺこりと頭を下げると職員室を出ていった。
その姿を見送って、勝は禁煙用のパイプをくわえた。
「今度は、思うことを貫けたらいいよな。俺も出きる限りは手ぇ貸してやる。あん時、してやれなかった分までもな」
パイプを動かしながらぼそりと呟いた。
勇が廊下を歩いていると背後から抱きついてくるものがある。
「いっさみっ」
語尾にハートマークがつきそうなくらい軽い言葉。
「ヨーコ。なに?」
えへへぇと笑いながら勇の頭のうえに顔を乗せるとスリスリと頬ずりする。
「ねぇ、今度の日曜さぁ……池袋いかなぁい。ねぇ」
げんなりとした顔で勇がため息をついた。
「執事喫茶は……いいよ……。気恥ずかしくてさ」
「そこじゃないからっ。でも、あんたの方がお嬢様っぽいのよねぇ。あたしより」
勇の相方、松平容子はかの会津藩のお殿様、松平公の直系だそうだがおよそそんな感じがしない。
家に帰ればれっきとしたお嬢様なのは容子の方なのだが。
本宅に行けば、年数回は家臣団の方たちが会いに来るという。ほっておいても家にはちょくちょく西郷という家臣の方が顔を出し、なにかれと容子にいっていくのだそうだ。
「五月蠅いのよねぇ……。強面で、おじさんで、ごつくて……」
ほっておくと際限なく愚痴を言う。
「勇はいいわよ。旧幕臣の会ではあんたの周り新撰組関係でしょ。若いしイケメンだしさ。歳也にそーじちゃんに原田の佐之さんでしょ」
「永倉の新君もいるよ」
勇の家に下宿している佐之と新は親戚筋に当たるのだが、こと、新には小さい頃からよくいじられていた勇は新には今一歩引いた態度になる。
「で、来てた?はがき」
容子の言葉に頷く。
「その旧幕臣の会でしょ。またパーティーだって。あんまり気乗りしないんだけどな」
「ということは今度あんたがいくの」
「うん。父さんも兄さんも武道の会合だって。だからあたしに振られた」
「なら、あたしも行こうかな。父さんが仕事はいっててでれないって言ってたから」
「そこじゃ勝先生も来るのかな」
「来るんじゃない?でもパーティーだと……」
「出てくるよね。多分」
「多分……じゃなくて絶対だとあたしは思う」
二人はある人物を思い浮かべてため息をついた。
「お元気だからなぁ」と、勇。
「普通は歳取れば枯れるもんじゃないの?」と、容子。
「……あの爺様に、それはないない」苦笑いしながら勇が手を振る。
ある人物の高笑いを二人、脳裏に再生させながら再びため息をつく。
それは、師走に待ちかまえる試練だった。
そして。
師走のとある日曜日。
都内のあるホテルで旧幕府軍の子孫、関係者が集まるパーティーが開かれた。
近藤家の代表として勇が来ていた。大人しい色合いのシンプルなワンピース。
父も長兄・次兄も別の会合のために出席できないし、父が皮肉屋の三男に出席をさせないためだった。以前三男に出席させたとき、相も変わらずの毒舌でひと騒動起こしてきていたのに閉口してのことだったが、勇には気が重いことではあった。救いは……。
「勇っ」
離れたところで手を振る容子だった。華やかなスリーピースのスーツを着ている。背があるからえらく栄える。モデルなみのスタイルだから格好も決まる。
「ごめん遅れた」
「いいのいいの、あたしも今きたとこ」
「あら、珍しいわね」
勇と容子が話しているところに、凛とした声が響いた。慌てて二人振り返る。
「篤子さん」
「いつこちらに?ドイツに行ってると聞いてたんですけど」
にこやかに立っているのは、艶やかな笑みを浮かべた徳川篤子だった。
ばりばりのキャリアウーマンで、外務省勤務の外交官。ドイツに赴任している。凛とした美人なのだが未だ独身だった。
「あちらはそろそろクリスマス休暇よ。ちょっと早いけどこっちにも仕事はあるしね」
艶然として微笑む。
「日野高校のバスケ部として全国で名をはせてるって?あたしも鼻が高いわ」
二人恐縮しながら篤子と話しているときだった。
二人の背後に近寄った人影が、するりと二人のお尻を撫でた。
「きゃぁぁぁ」
「ひゃあっ」
二人同時に悲鳴を上げる。
慌てて振り返ったとき目の前にいたのは一人の老人だった。矍鑠とした彼はにこにこしながら両手を見ている。
「やっぱり若い子の尻はいいのぉ。張りがあって形がよくて。二人ともの尻はプリンとしておるぞ。では、もう一回」
勇達が息をのんだときだった。
二人と老人の間にいくつもの人影が割って入った。
「新門のご隠居。ご冗談も過ぎますぞ。姫様に手を出すなど」
「辰の爺様。これ以上ちょっかい出すならけがするぜ」
容子の前に立つのは西郷頼一。会津家臣団の長だ。容子の家にちょくちょく来てお説教をしていくという人である。周りには数名の強面で壮年の男達が人垣をつくる。
勇を背にかばっているのは土方歳也だった。歳也の側には原田佐之と沖田総司も駆けてきていた。そして藤田一・永倉新と井上源太達もいた。青年達が勇をかばっていた。
「やれやれ。年寄りの楽しみもわからんとは。器量が小さいのぉ」
ひょうひょうとした物言いに、
「ご隠居!」
「爺さんっ」
歳也と西郷が同時に怒鳴った。
「容子ちゃんはいいとして、勇ちゃん。歳也君に胸を揉んでもらわんとでかくはならんぞ」 ご隠居と呼ばれた老人は、はっはっと笑いながら離れていく。
「なっ」
勇は絶句する。
「どうせ……小さいですよっ」
勇がいじけた。最大のコンプレックスである。
「心配すんな。俺がッ」
と言いかけて、歳也は周りに気がつき耳を紅くして黙り込む。
「そうよねぇ。失礼するわ。まるであたしのは張りがないみたいな言い方」
思いがけないことを言ったのは篤子である。
周りの者が全員絶句する。
「篤子……さん」
「以外だったよ……ね」
勇と容子は二人顔を見合わせた。