食堂の悪者たち
男は宿の部屋に入ると、買ったばかりの安物の服に着がえた。こうなると、どこからどう見てもそこらへんにいる町人Aである。
それからふと思い出したように、脱いだ戦闘服のポケットを漁る。なんの変哲もない黒い布きれを取りだすと、それを右手首に巻いた。
ちょうど夕食時であるため、宿の食堂は大変賑わっていた。
男はすこしきょろきょろと辺りを見回したあと、数人が腰かけている大テーブルへと向かった。座っていた女性が男に気づき、振りかえった。
「よう」
あげられたその手首には、男と同じように黒い布がまかれていた。
この町は(今はなき)悪の秘密基地から一番近くにある。そして宿屋は限られた数しかない。
以上のことから、基地崩壊から行き場を失った戦闘員達がこうして集うのは、ごくごく当たり前のことだった。
悪人たちは目印に、右手首に黒い布をまくことになっている。
ちなみに昔の目印は、黒いブーツを履くことだった。出費がバカにならない上に季節を選ぶため、そのときの皆のブーイングはすさまじかった。
目印なんて必要ないんじゃないか、という案もある。オシャレとして目印と同じものを身につけた一般人を、うっかり仲間と間違えてしまったら恥ずかしいし、何よりも、仲間たち全員が顔見知りであるからだ。
だからこの食堂のそこらにも見知った顔がちらほらあったが、何人かは手首に布をまいていない。
「すいませーん!」
「あ、はい、今行きます!」
今ウエイターを呼んだこのテーブルにいる仲間Bがあげた手にも、布はまかれていなかった。
「アンタさ、布ぐらいまいたらどうなんだ? まったく、一瞬他人の空似かと思っちまったじゃない」
先ほど男に向かい手をあげた女――以下仲間Aとする――が、愚痴っぽく言うと、仲間Bはウエイターに注文を書いた伝票をわたし、肩をすくめた。
「そんなこと言ったって、取ってくる時間がなかったんだってのー。黒い布なんて売ってねぇしさ、ゆっくり探してたらいい宿取られちまうしさぁ」
「つーかさ、今日のあれ最速記録じゃね? ま、あれ基地っつーか正直、ただの漬物工場だもんな……」
仲間Cは視線を遠くへやった。
彼は頭がよく常識もある人間のため、たびたび組織の現状に頭を悩ませていた。
しかし最近ようやく慣れてきたようで、今では呆れを通り越し、達観した雰囲気で組織を見つめている。大人になったもんだ。
「やべぇよな、二時間もかかってなかったぜ、絶対。お前らはよく目印持ってたよな」
その言葉に、メニューに視線を落としていた仲間Aが、「あ?」と顔をあげた。
あいかわらず目付きの悪い女だ、と隣に座っていた男は思った。
「目印の話だよ」
「ああ。そろそろ来るかなーと思って、ポケットにいれてあったのよ」
「俺も。思いだしたのはさっきだけどな」
だいたいこちらが悪事に本腰をいれようとすると、聖騎士の少女は現れる。
いつもはそれから数日ほど余裕があるのだが、今回は特に速かった。もしかしたら世界が平和で、彼女にも時間があったのかもしれない。だからあんなにのんびり――といっても少し言葉を交わした程度だが――していたのかもしれない、なんて、男はあれからちょっと考えていた。
「いや、俺もそろそろ来るだろうなーとは思ってはいたんだけど……」
仲間Cがそう言ったところで料理が運ばれてきた。酒はない。飲みたいが、「次の悪事の目途がたつまで酒は飲まない」という、暗黙のルールといおうか、ジンクスといおうか、とにかく掟があるからだ。
頼んだ料理をつまみながら、雑談はいつまでもぐだぐだと続く。
今の生を謳歌するために、明日の英気を養うために。