外伝 パロミと母のはなし
本当はパロミの名前なんて存在しなかった。
したかもしれないが、誰も呼んでくれなかった。であればそれはもう無いのと同じである。
母は愛してくれなかった。しかたない。ヘソで繋がり腹を痛めて産んだ我が子とはいえ、愛せない、そんな女もいる。この世には、抱えられたまま表にでない事情がいくらだってある。
あちらはパロミに心を開かず、パロミもすり寄らなかった。そういえば本で読んだことがある。親に見放された子はそれでも親に愛されたいと、健気に振る舞う。それが痛ましい現実なのだという。
パロミにそんな気が起こらなかったのは早熟な故か、それともこの獣の半身のためか?
人を想えないだろうと思った。心から。
なぜならそのやり方をパロミは知らない。隔離され、孤独を当然として育った獣の成れの果てをパロミは知っている。
──パロミ、君は知らないものがあるね。
手術後、身の上を語り終えたパロミに、博士はそう声をかけた。
それが全ての原因だよ、と。
半獣生最大の精神的修羅場を迎えていたパロミは、陰鬱として悲観的に呟く。
「それは愛ですかそれとも母ですか。獣の私に、届くものなのですか」
博士はきょとんとした。
「君はもう気づきはじめているようだよ」
笑って、それきり。なにも答えてくれなかった。それでもパロミはいいや、と思った。
そこには喋る猿がいた。
「パロミ、ココアのむ?」
サイボーグがいた。
「気づいたらこうなってたのよ。後悔はしてないわ」
思春期ヒステリーがいた。
「エリザって呼び捨てていいわよ」
おもちゃみたいな鋼の魚が浮いていた。青い薔薇が雪の中咲き誇っていた。
友達ができた。家族ができた。
世界に許されたように幸せだったのだ。
パロミはある日、思い出したように、博士にあのときのことを尋ねた。
人を愛せないのではないかと呟いたあのとき、知らないものがあると、それが全ての原因だと言った、『それ』とは一体なんなのか。
「それは異能の孤独感というものだね」
なんてことないように博士は言った。
「この世界は女神のテリトリーにある」
女神、とパロミは呟く。
世間離れしたパロミですら知っている。聖騎士団に守られた、正義と秤の女神。この世界の秩序――。
「その女神は昔、どこかで敗北を喫したらしい──詳しい事情は知らないが。さすがにどう研究しても、そこまでは求められなかったからね。とにかくその敗北のせいで力は中途半端、この世界を完全には囲い込めていない。私たちのような異物、つまり『異能』が発生する原因もそこにある。そこで手足のように使える者を求めた──」
そんな『手足のように使える者』――聖騎士らの、具体的な条件などは分からない。
それこそ『異能』並み、いやそれ以上の戦闘能力を備えていることら分かるけれど、異能と聖騎士を分かつ要因までは、まだ誰にも見出せていない。
「とにかく、この世界で私たちは部外者だ。それはここで誕生していようがいまいが関係ない。女神が望んでいない以上はね。……そんな、女神の加護を受けられない『省かれ者』達に共通する意識がある。それがこの、君も感じているだろう言いようのない孤独感だ。世界に受け入れられない孤独、異能の孤独感」
この世界の誰も、決して自分を受け容れてくれない――。
「だから君が寂しいのも悲しいのも、世界から距離を置かれたと感じた悲観から生まれた過ぎない。獣だろうと人間だろうと関係ない。それは、君のせいじゃなかったんだよ」
優しく頭を撫でられて、パロミは潤みそうになった目を誤魔化すように、拗ねた素振りをする。
「なんでもっとはやく言ってくれなかったの?」
「意味がないからね。こんな知識を頭で理解しようが、それで満たされるわけではない。より悲観的になる可能性もあったしね。――それになにより、私はあのままの君に、真っすぐに幸せになってほしかったんだ。そんな過去、忘れてしまうくらいに……。それに君も、私が言ったことなんてすっかり忘れていただろう?」
なんて、確信とともに言われてしまえば、パロミは「むぅ」と答えるしかなかった。
母もそうだったのだろうか。彼女は純粋な魔女だったから、もしかしたらこの世界に、あるいは女神にその存在を認められていたのかもしれない。
しかし神獣の子を腹におさめ、産んだ後は違っただろう。彼女は言うなれば、パロミという異物の元凶だからだ。
きっと娘を恨んだのだろうな、と思う。
パロミだってあの人のことをさして好きにはなれなかった。あまりにも空虚なパロミだが、深く深く恨んだことさえあった。
単純に、なぜ生んだのだ、と。
しかし今は感謝している。
呼ばれる名前。祝われる誕生日。私の周りの人々、大切な家族。
パロミは彼女の墓をつくった。小さな、簡素な墓だった。
あの人がどのような埋葬文化を持っていたのかは知らないので、熊太郎に墓石を運んできてもらって、それで建てた。
熊太郎はそれから墓石の横に、獲ってきた魚を四匹並べた。猿太郎は森で見つけてきた花の種を植えた。雪の中でも、なんとか小さな花を咲かせるらしい。彼らは墓が何かよく分かっていないのだ。
エリザは墓前でひたすら愚痴愚痴言いながら、「まあパロミを産んだことだけは褒めてやるよ」と、舌打ちがてらぼやいていた。
博士は無言で手を合わせていた。
パロミは死人にかける言葉を持たなかったので、ポーリーンに教えてもらったよく分からない祈りの言葉を捧げた。
許しはしない。許すほどの意志をあなたに抱けない。
でも、感謝はしている。
これが最初で最後の墓参りだろう、とパロミはなんとなく思った。
それから、パロミを一人にさせてやろう、と言って、少し離れた場所でこちらを待っている、自分の家族を見た。
賑やかで、優しくて、あたたかい。ここが私の新しい居場所だ。
「――さようなら、お母さん」
いつぞやぶりの言葉をかけて、そのあまりにも久しぶりの響きに少し泣いてから、パロミは自分を待つ、大切な家族のもとへと戻ったのだった。
パロミの可愛いファンアートを読者の方からいただきました。
2017年11月6日(月)の活動報告にあります!
ありがとうございます!




