青い薔薇、銀の魚、砂の城
聖騎士襲来の翌日。エリザとポーリーンとパロミ、三人きりになってしまった初めての朝だった。
目が覚めてすぐは、三人とも呆然としていた。
どれほどそうしていただろうか、もしかしたら丸一日はそうしていたかもしれない。
それでも動かなければ生きてはいけないので、ずっとそうもしていられなかった。
ズタズタに引き裂かれた心を満たすように、腹にものを詰めこんだ。誰も文句一つ言わず、ただもぐもぐと口を動かし、咽喉を潤した。
苦しい悲しい憎い辛い、寂しい。
そんな単純な感情がいくえにも重なりあい、波のように襲いかかってきた。それに心を押し潰されながら、かといって救いを求める先もなかった。
溺れて呼吸もできないなか、一生懸命縋る先を探した。
「このまま呪ってたら邪神でも出てきて、そこらじゅう滅茶苦茶にしてくれないかしら」
「やめて危険思想」
これだから異能は、とエリザが冗談めかして言うと、ポーリーンもそれに乗るように、「もうっ」と彼女の肩をたたいた。
こうして軽い会話ばかり交わしていたら、その内この泥沼のごとくどうしようもない気持ちから浮かび上がれるのではないかという期待があった。
そんな空気のなか、ただ静かな声が、ぽつりと落とされた。
「わたし、知ってるわ」
パロミだった。
「なにを? 危険思想?」
「悪魔。喚ぶ方法、知ってるわ」
そうだ、彼女は魔女の娘だったではないか。
いつかに語られ、すっかり忘れていた事実に、二人そろって目を丸くした。
「できるわ」
パロミは深く念を押すように、そう言いきった。
乾いた大地、ごろごろと不恰好な岩ばかり転がって雑草の一つも見えないような場所に三人はいた。
眼前には大きな魔法陣が広がっていた。棒と紐でつくった、即席コンパスで描いたものだ。
イモリの黒焼きも赤い蝋燭も何一つ必要ないらしく、パロミは淡々と詠唱を続けていく。よく分からない言葉だった。後で聞いたらこっそり学んだ魔女の言葉であったらしく、いよいよもって魔女という生物への疑念はつのるばかりである。
本当にこれでうまくいくのか。
エリザとポーリーンは二人してそんなことを思いつつ首を傾げた。
なんたって、光景がどこか間抜けなのだ。
岩まみれの荒野にぼけっと広がるお手軽魔法陣、小汚いメモ用紙を片手にもった子ども。なんというか、簡素で、おままごとじみている。
おまけにパロミの声はどこか棒読みだ。威厳一つない、怪しさにもイマイチ欠ける光景であった。
それであっても、魔王は本当に、あらわれた。
そして、その大きな手のひらでもって、ぽん、とパロミの頭を撫でた。
「どうした、おチビさん。風邪ひくよ、」
と。
それが、復讐の標――我らが総統との出会いであった。
そして、魔王がパロミのおじいちゃんになった瞬間でもある。
魔王は、その人柄はともかく、やはりとてつもなく強大な力を持っていた。
「魔王様、この板を切ってもらってもいいですか?」
「お安い御用!! ふおおおお!」
くわっと目を見開き眉間に皺を刻み、彼はひたすら指先の神経に集中する。よく見ればそこには赤い、丸まった炎のような光がともっていた。
そしてその指先をぷるぷる震えさせながら鉄板をなぞっていくと――
「できた!」
監督者のエリザはまっぷたつに切断されたその板を矯めつ眇めつした。
「ちょっと歪んでるね」
「面目ない。歳だからどうしても指先が……」
「まあいいさ。ほれ、次も頼んだぞ」
「任せろ!」
若干使う場面はおかしかったかもしれないが、それでも何はともあれ人不足だったから、彼はありとあらゆる場面で役に立ってくれた。
まず復讐のために必要なのは戦略であると思われた。
長期的にみていかなければ、あれほどの奴らに一泡吹かすことなんてできそうにもなかった。
魔王は「作戦会議か!」とやけに嬉しそうだったが、今となって考えてみると彼のよく分からない、『悪のロマン』とかいう高尚的 (らしい)趣味の一端であった。
とりあえず分かっていることは、第一に、状況が落ち着くまでは決して目立ってはいけない、ということだ。
あの居場所が突き止められた理由はまったくもって不明だが、女神に付き従う聖騎士たちが『異能狩り』をしているという事実、確実にしとめているという事実は知っている。
しかし、その具体的な方法は本人たち以外の誰も知らないのだ。
もしかしたら優れた探知能力だとかがあるのかもしれない。たぶん。
一応博士の技術で誤魔化せるのだろうけれど、それもいつまで保つのかは分からない。
「今ばれたらやられちゃうよね。やり返すにしても気をつけないと!」
「その前によ? あいつらに復讐するとしても、それからどうすればいいのよ……」
復讐といっても、聖騎士はともかく、まさか女神まで弑せるとは思っていない。
だいたいどのような存在かすら想像もつかないというのに、どう手を出せばいいというのか。
そうなるとまた異なる問題がでてきた。
これは復讐云々以前の、根本的な問題だった。
――女神に嫌われた私たち異能は、どうすればこの世界で生きていけるのだろう?
そんなスケールの大きな問いに答えたのは魔王だった。
「じゃあ、世界のほうを変えてしまえばいいんじゃないか」
魔王らしいといえば魔王らしいスケールの大きな答えでを、三人はそれぞれ異なった表情で受け入れた。
パロミは『世界を変える』ということ自体がいまいち分からず、頭のなかに、四角形や三角形になった惑星を思い浮かべていた。
「過激ねぇ」
「今更さ。面白いじゃない」
そこから世界を、自分たち異能が受け入れられるように組み替えてやろうという、とんでもない活動が始まった。
聖騎士に、女神に、あるいは世界に『抗う者』――抑圧されし異能どもの活動がはじまったのであった。
そこからは単純で、正義・秩序に対立するものだから悪の秘密結社と名乗ってみたり(総統の趣味でもある)、試行錯誤しつつなんだかちょっとずれた行動を開始することになった。
例えば全人口になんらかの能力をうえつけて異能にしちまえばこっちのもんじゃね? とか、人々に漬物を食わせて精神操作して異能をうけいれさせてみよう(悪の漬物作戦)、とか。他にも動植物を異能化させる「異能が世界のメジャー化計画」などというのもあった。
割と面倒くさそうな計画ばかり立てていたが、結局どれ一つとしてうまくいかなかった。
その時その時で、例の聖騎士の少女が邪魔しにきたからである。
逆に異能を解いて普通の人間化させようぜ、みたいな計画もあって、こっちはもっぱらエリザの担当だったがさっぱりうまくいかず頓挫した。
異能と一口で言ってもそれこそばらばらなのだから、当然といったら当然であった。
例えばポーリーンの異世界人なんて設定はもう体をいじったぐらいではどうしようもないし、魔王の場合は存在自体がアウトだし、といった具合だ。
やはり博士の生みだした、異能自体を世界から誤魔化す技術の方が便利だったため、もっぱらそれに頼る羽目になった。
そのうち仲間も増えた。
アーロンがまず加入した。
銃器を取りだすことのできる分かりやすいタイプの異能者で、元軍人であるらしい。
一体どこからかは分からないが噂を聞きつけて、腹に風穴あけつつ悪の秘密結社にあらわれた。
恐らく外国のものであろう濃紺色の軍服に、威厳のある顔つきはすこしおっかなかったが、冷静で真面目な人物であると分かってからはすぐ周りに馴染んでしまった。
次はナインズだったが、彼はどちらかというと無理矢理といった感が強かった。
元は肉体を失った何かの魂で、ただフラフラ彷徨っていた。その間会話することはできず、ただ歪んだ存在であるだけに何かしら苦しんでいるらしく、うめき声だけは聞こえていた。不気味である。
そしてうるせぇとキレたエリザがその魂魄をこねくり回して、褐色の甲冑につくりあげてしまった。
彼の最初の一言は、
「除霊でよかったのに……」
だった。
「ですよね」
ごめんなさい、と代わりに謝ったのはポーリーン。
いつものことである。
はじめは絶対に殺されてしまうと思っていた。
途中でばれて、また蹂躙され焼き払われ、今度は恐らく命まで奪われるだろうと、誰もがそう思っていた。
それでも世界はそれほど冷たくなかったらしい。博士の技術のおかげか、もしくは、女神の気まぐれだろうか。
聖騎士もはじめて来たときは、それこそ死に体でもがき抗ったが、拍子抜けなことに、粗方設備をぶち壊したら長居は無用とばかりに去っていった。
交戦したわけでなく、ただ瓦礫に埋もれて引っくり返っていたポーリーンを見つけて、パロミは恐怖と安堵で号泣しながらすがりついた。
エリザも木端微塵どころか消し炭にされた、完徹で仕上げた自分の作品を見て号泣した。
何もかもが恐かった。身の回りにあるもの、全てが幻のように儚かった。
ありえない生き物たちがみている、夢のようなものだ。
青く美しい薔薇、空飛ぶ銀色の魚。
そんな生き物たちが、そんな世界で造り上げたのが、この組織だ。
『抗うもの』
それはまるで砂のように。
積み上げて積み上げて、風に吹かれて飛ばされて、雨に降られて崩されて。
いずれ消えゆく砂の城。
抗って、それでもいつか、消えてしまうものなのだと、皆が皆そう思っていたというのに。
「生き延びた、だから欲が生まれた……」
「……」
再び相対した総統は、少女が語った計画に対し、たったそれだけを呟くと再び黙した。
時間がないと焦れた少女は、再び口を開く。
「――私が立てた作戦は今の説明通り。異世界への移動なんて、貴方達には願ってもない条件だと思う。移動先については後で話し合おう。まあ、というより、私が貴方達を殺したくないから移動してほしい。こちらの言い分は以上」
少女がきっぱり言い切ると、総統は疲弊した老人のように、ゆるゆると頭を振った。
しかし何も言わない。
焦れて、半ば挑発するように少女は溜め息を吐く。
「貴方達に勝ち目はないって、わざわざ言わなくても分かってるくせに?」
総統はただゆるりと微笑んでみせる。
孫に見せるかのような柔和な顔であるが、少女は今まで誰にもそのような顔をされた覚えがないため、それにも特に何の感情も浮かばない。
「儂らに勝ち目はなくとも、一発決めてやることはできる」
「悪足掻きって?」
「いや。――喋り過ぎたな。パロミらに怒られるとこじゃったわ」
空を見上げる。
日の傾き具合から、大体の時間が分かる。
「まだ早い時間だな」
「はあ?」
「ふん、もう一度殴り合おうではないか。勝ったら言い分を聞いてやる」
総統が両手を掲げてにやりとする。魔力が奔流し、マントがひらめく。
頭上に現れた杖の先端が少女を狙い定める。
「聖騎士、最後の仕事かな」
少女はエウリュデカにそっと語りかける。
――お兄さんはもっと好きだが、やはり戦うのも好きなのだ。
少年も既にここへ訪れているようだが、まだぎりぎりの時間はあるだろう。
速攻で決めてやる。




