決戦 それは砂に似ている
少女と総統は、互いに無言で対峙した。
二人が顔を合せるのは初めで、だがその影だけは常に感じていた。
そう、あれはいつか殺し合う相手だと。
「はじめまして、総統。私は聖騎士。とりあえず貴方を殴りにきた」
「やり直しだ」
「は?」
少女は目を丸くした。総統はふんっと鼻を鳴らす。
「そのダサダサな自己紹介はなにか。ありえん。全くありえん。常識的に考えて、ここはもっと二人の戦意を煽るような、そんなものが必要だと儂は思うがな、どうだ聖騎士?」
「分からない。殴り合いにそれが必要?」
「バーサーカーかよ……。聖騎士のくせにありえんわホントもう効率主義っていうかさぁ、もっとロマンとかロマンとかさぁ。皆分かってくれないけど、やっぱりジジイはジジイなりに気になるんだよ……」
「ロマンねぇ」
今度は少女が鼻を鳴らしてみせる番だった。
「あんな幼い子どもを使うのが貴方のロマンだというのなら、私には分からなくっていい」
きっぱりと言い切った。
その子ども含めた全てを叩きのめしてきた奴の言葉とは思えないが、それでも総統には思うところがあった。
「子ども、か。そうじゃな。……かわいそうなパロミ。あの子だけじゃない。この城は、いや、儂らは皆、……」
そこで言葉を区切り、総統は探るように目を閉じる。
過去の記憶、その大海を泳ぐように。
(ああそうだ。楽しかった、楽しかったのだ)
皆が求めていて、それは手探りに、紡ぐように築かれた。
その関係は「幸福そのもの」であった。それは傍から見るかぎりにはありきたりに平穏で、それでも内からしてみればかけがえの無いものだった。
「パロミは――魔女の娘、神獣の子。そして――」
それは砂に似ている。
皆が立つのはぼろぼろの、死んでしまった砂の上だ。かくも儚き砂上の家族だ。
世界のはみ出し者はそんな不毛な場でしか生きていけない。風が吹けば散り散りに痛めつけられる。世界に負けて、砂に飲まれていくものもいた。
だから彼らは城を建てた。砂の城だ。水も木もないこんなところだから、一粒一粒数えるように、祈りを注ぐように建てていった。
それは呪いと憎しみの城。そこには王が必要だった。導が、象徴の王が。
だから、パロミは喚んだ。かわいい孫娘。
そう、彼女は魔女の娘であり、神獣の子である。そして、
「『魔王』の孫。――わしのかわいい、大事なちびすけだ」
憎悪の炎をおのずから焚き続ける無垢なる子。
哀れ彼女の非道の母は魔女であり、その手の知識は書物として本棚に収められていた。
そして彼女はその女と、神獣の合いの子である。
手段は彼女そのものがそうであり、後は望むだけでよかった。
「……ラスボスの正体は魔王だった、と」
それは『抗う者』の希望。『聖騎士』への復讐の礎。
「ほう、驚かんか」
「貴方は、そうだな……禍々しいと言えなくもない、うん。形態をいくつか隠してるのもそれっぽいし、それになにより愛情深いからね」
「愛情の」
ほ、と魔王は笑う。
「そりゃまた逆説的だ」
「あはは。壊れていたり、自己愛だったりするけれど。私の知る魔王という生き物は、大概が情深い者たちであったよ。それがどんな形であれ」
懐かしむように少女は目を細める。紡がれた内容はとんでもないものだが、この娘に関して言えば今さらだ。
魔王はそこでほんの少しばかり沈黙して、「ふむ」と一度だけ頷いた。
「どうかしたの?」
「わしには分からんことがあった。例えば最近怒りっぽい年頃の孫のこととか、わしの高尚な趣味が周りには通じんかったりすることとか。あと、他にもくだらない疑問がいくつかあっての。……そのうちの一つは、お前たちについてだ。『女神』に仕える『聖騎士』――お前ら化け物と、わしら『異能』の違いについてだ」
「……」
「『異能』をそうと断ずるのは『女神』だ。その判断基準は知らんが、大まかになら察することができる」
そこで一度言葉を切った。
少女は沈黙を保ったまま、魔王を無理矢理黙らせようとする様子もない。
魔王は続けた。
「例えばポーリーンのような異世界人、エリザのような度を超えてしまった叡智の塊。アーロンのような特殊能力、パロミのような、通常の生物としての基準を無視したもの。鎧とゴーストでできたナインズもここか。ついでに言えば、儂なんか魔王だしな」
「まあね」
「こうして例を挙げてみれば分かる。どれも、この世界にあってはならないもの。『女神』が司るこの世界の、秩序と規範を外れたもの――この世界を壊す、可能性だ」
「うんうん」
「だがそれはお前たちにも言えることだ。類を見ぬ化け物。それは聖騎士も異能も変わらない。それを分かつ一点、それだけが長年の謎だった……」
少女は黙った。それは偉そうにも意図的なものだった。
得心した魔王はにやりと笑った。
「お前たち、超えれるな。次元を、世界を、超えることができるな」
「……」
「沈黙は肯定と取るぞ、わし短気だし」
「お好きなように」
「ふん。魔王なんてもの、そうそう会えるもんでもない。だとしたら答えは一つだ。……して、聖騎士よ、なぜそれを儂に伝えるような真似をした?」
聖騎士の少女は回答せずふと天井を見上げた。なにやら祈るように呟いたがそれは一瞬で魔王には何も聞きとれなかった。
それでもよかったらしく、少女はふっと息を吐いた。
そしてその手に槍を掴む。雷がその身を包んでいた。
「…………おしゃべりが好きね、お爺さん。そろそろこの槍、振らせて欲しいんだけど?」
「く、クククッ。そりゃ申し訳ない。年寄りの性じゃ。ゴホン! ……では、周りに通じんわしの趣味――悪役のロマンにのっとり、自己紹介をば」
魔王は愉快げな哄笑を止めた。
頬は笑顔にひきつったままだがその白んだ目にギラリと炎が宿る。まるで彼の纏う真紅のローブのように。それもばさりと払われなびく。
魔王の握る杖の先に暗闇の帯がまとわりつき、空間自体が取り込まれていくかのように歪みだした。
かくしてこの城の主は高らかにその名を告げる。
「我こそはこの城の主にして、異能共の長。秩序に抗う弱者どもの救世主、混沌を統べる魔王!! 女神に仕えし愚かな聖騎士よ、ここが貴様の墓場だ!!」
最高に楽しそうな名乗りだった。
全身に活力がみなぎり、これぞ生の劇的瞬間と言い切れるほどの快感。
自身の美学に基づいたその輝きは一生涯忘れ得ぬ永遠の刹那となるだろう。
しかし愉悦みなぎるその一瞬、それこそが隙だった。
「ぐふぅ!!」
遠慮の欠片も感じられない腹への一撃。
そこを突いた槍を、なぜだか少女はぱっと消した。
そして両手を上にあげ、高らかに叫んだ。
「よし魔王。一度争いの手を止めて、私の話を聞いてほしい!!」
「ふざっけんなああああ!!!!」
最高の瞬間、悠久たる魔王生をかけてもよいほどの最高の楽しみを無粋な真似でぶった切られ、キレぬ魔王はいなかった。
そして少女は空を舞った。
魔王怒りの一撃はその華奢な体を吹っ飛ばし、その身はいくつもの天井を突き破り地下から出た、かと思えば地上も超え、高らかに空へと打ちあげられた。
それは悪のロマンを祝い、無粋な輩に鉄槌を下す魔王に喝采をあげる、花火の如く。
「そりゃ怒るわ」
呆れた、というより半ば茫然自失としてしまっている男は呟いた。
「でも理由があったんだよ、しかたないじゃん」
「総統はそういうのすっげー嫌うからな。俺らも気を付けるようにしてるし。まあ適当だが」
少女とこの男が出くわすことは今までだって何度かあった。それこそ唐突だと驚かされる場面もままあった。
しかし、今回のエンカウントは一生忘れられないだろう……なんたってこの娘、空から降ってきたのだ。ミサイルさながら唸りをあげる勢いで。
外、というよりゴミ捨て場に来ていた男は、それを目撃した瞬間泣いた。いや涙は出さなかったが。死ぬ気でゴミ箱にあったマットレスを敷いて布をひっぱりだしてトランポリンみたいにしようとした。しかし少女はずれた場所に落ちてくるし、男は全力でキャッチするしかないしでもう死ぬかと思った。
結局どうやってかしらないが途中で勢いを殺してくれたおかげで、男もぺちゃんこミンチ化して死ぬことなく受け止めることができたのだが。
おまけに落ちてきただけでなくこの娘、呪われてそうな黒っぽい霧をその身にまとわりつかせていたので、それをみた男は今度こそ気を失いそうになった。
このちょっと気色悪い霧は、彼の上司、というより組織のトップである総統の能力によるものだからだ。
昔、とくに意味もなく「フハハハー」と変な笑い声をあげつつ飛びだしてきた総統がその杖にこんなものをくっつけていた。それを見た周りの反応は「なんか呪われてそうでキモい」「B級ホラーっぽい」というもので、かわいそうに総統はちょっと涙ぐんでいたのだ。
いろんな意味で情けないその光景を忘れられるはずもない。
「なんだお前、負けたのか?」
「場外とられるようなゲームだったら負けだけど、そうじゃないから」
少女はその霧を、土埃を払うついでにパッパッと退けた。男はなんとも言えない気持ちでそれを眺めていた。
おいそれだけで消えるなよ霧、と思ったが男もこの少女にパッパッとされたらそれだけで致命傷になるな、と思い直した。
あのビリビリはちょっとばかり男のトラウマになっていた。
「なんだまた行くのか?」
「時間がないからね。――ね、お兄さん」
「ん?」
「答えは考えてくれた?」
予測できていたのだろう、動揺するでもなく男は「んー」と自分の頭をかいた。
それを見守っていられず、少女は平然を装いながらそのへんの砂粒を眺めていた。珍しく胸が高鳴っていて、しばらくは何故こんなにも動悸が激しいのだろうと自分で思ったほどだった。
それが恐れだとか緊張だとか、そう言ったもののせいであると気付いたころ、やっと男は口を開いた。
「なあ、いったいなんだって結婚だとかそういった話になったんだよ?」
「女の人なら嫁入りって手があるから、男の人なら婿入りかなって思って」
あっけらかんと言われ、男は溜息でもつきたくなったが、不安そうな顔をされたくなかったので飲みこんだ。
「あのな、確かに仕事がどうとか言ったけどさ。俺のことなんて気にしなくていいんだ、死なない限りなんとかなるし。だけど、お前はまだ若いんだから、そういったことを決めるには早すぎると思うんだ。今まで知らなかったことが、お前にはたくさんあるんだろ? だからこれからは――」
「ストップストップ! もう、お兄さんったらオジサンみたいなこと言うんだから!」
「あーもー聞けよ、俺はお前のことを心配してだなぁ」
「はいはい。お兄さんはいい人よね」
「いい人って、大して関わりもない奴のことをすぐそう決め付けるのはよくないぞ。俺だって悪の組織の一員で――あ? おい、だいたいなんだって俺と結婚なんざしようなんて思ったんだ」
「なんでって――お兄さんは、私のことを殺そうとしたことがなかったし。仕事も、探してたし。それに……」
少女は何事か言いかけたが、結局口をつぐんでなんでもない、と首をふった。
自分の事なのになぜか訝しげな顔をして。
男もそれ以上は尋ねなかった。
「……。最低限って感じだな」
「何が?」
「はぁ……、自覚もなしか。弱ったな」
結局、深いため息をついた。
「あのな、結婚ていうのは互いに好きあった二人がな、色々将来の計画だとか、えー、お世話になったところへの挨拶だとか……、あとは、なんだ? ――よく知らんがとにかく、そういうもんなんだ! 分かったか?」
「利益と打算で裏付けされた夢いっぱいの契約関係だって黒面は言ってたよ」
「そんな人の言うこと聞くのはやめなさい!」
親みたいに叱りつけると、少女は困ったような顔をした。
「……」
――寂しいんだろうなぁ、
男は途方に暮れる迷子のようにうろうろ視線を揺らす少女をみて思った。
寂しい。
その言葉を何度か頭のなかでだけ繰りかえす。
なんとなくだが、彼女の気持ちは分かるつもりだ。
親戚縁者なんて一人もおらず、それなりに仲のよい友人はいたものの、それでも孤独感は足裏の影のようにつきまとうものだった。
求職してここに(ちょっとした手違いこみで)就き、まあまあ――いや、わりと楽しく暮らしてきて、アットホームだとかそういった感覚を理解できる、今だからこそ。
この少女が本当に言いたかったことを分かった気がした。
(誰かに、側にいてほしかったのだろうな、)
別に結婚だとか、そういった大袈裟なモノでなくてもよかったのだろう。
彼女のそこに恋情が入り混じっているかはともかく、それ以前にとりあえずこの娘は寂しくて寂しくてしかたなくなって、懐いている自分に声をかけたのだ。
「まあ、そうだなあ、うん――」
この少女が一体全体何を考えているのか、それは分かるようでいてさっぱり分からなかったりもしたが。
それでも、その裏に隠された想いみたいなものは一応、理解できたので。
「結婚は無理だけどさ。側にいるよ。それでいいか?」
「――う、うん! いいっ! もちろんいいよ!」
支えてやりたいと思ったのは確かなのだ。
それに、この娘の嬉しげな姿は、見ていて和む、安堵する。それだけ分かれば十分だろう。その後のことは、またその時に考えればいい。
「またデートしたいな」
「また?」
「一緒にお祭り行ったじゃない」
男が笑って、「今度は屋台もまわるか」と言うと、少女は「うん」と何度も何度も頷いた。その言葉を噛みしめているようだった。




