荒野の聖騎士たち
「できるよね?」
唐突に現れてそう尋ねてきた同業者の少女に、少年は努めて冷静に、「何が」と端的に聞き返した。
少年が少女と再会したのは、彼が思っていたよりもずっと早かった。
以前本拠地で対話してから、一週間も経っていないだろう。
突如として異常発生しだした霊体のモンスターどもを散り散りにするだけの簡単な作業をこなしていると、まるで降って湧いたかのように彼女が現れたのだ。
しかしいきなり「可能か否か」とだけ問われても、さっぱり意図が分からない。
この娘はあまり他者とのコミュニケーションに慣れていない(己も他人のことは言えないかもしれないが、彼女よりはマシなはずである)ので、しかたないのかもしれないが。
少女は神憑り的な(彼女にはそう思えているだろう)アイデアに浮かされているらしく、熱を帯びてはしゃいでいた。ずっと焦がれていたオモチャが、サプライズで突如家に現れた幼児並みの高揚具合である。
そこまで昂る必要があろうか、と訝しげな顔をしている少年に気付いても、少女は気にせずにこにこしていた。
「『抗う者』についてね、いい考えを思いついたの」
「ずいぶん悩んでたもんねぇ、よかったじゃない。祝福するよ、おめでとう。じゃ、僕お仕事あるから」
「なんのお仕事?」
見たら分かるでしょ。
促され前を見れば、幾百とも知れない数の霊体達が、まるで濃霧のように集い溢れていた。それは虫の群れのようにも、海原のさざ波のようにも見えた。
彼らは歓喜に咽び、その身を震わせていた。王の到来を予期し吼える、霞のような獣達。迎えの踊りを舞う、蝶々のような娘達。かつて人だった者たちはまるで絨毯のように、王が現れるその時までひれ伏している。
ひときわ大きな、鮮やかな紫の毛皮をなびかせ、狼が遠吠えをあげた。彼らの王が来る。
一通りまるでショーでも眺めるように傍観してから、少年は振り返った。
「かわいそうな霊体たちを散らせるだけの簡単なお仕事だよ」
「あはは、貴方は本当に強いよね」
少女は猫のようににんまりした。
「私よりも小さいのに、尊敬しちゃうなぁ。絶対に戦いなくないモノなんて滅多にないけど、貴方は別だもん。本当に、強い」
「どーも。君も強いと思うよ。さて、ほんっとーに残念だけど、僕はそろそろ作業に戻らなきゃ。またね」
「待って。私、貴方にお願いがあるの。一つ、たった一つだけ。最初で最後、これだけ」
「なんだい?」
「『抗う者』を、丸ごと異世界に送ってほしいの。あなたなら、できるよね?」
自分を見つめてきらきら輝く目に、目潰しをかけるべきか少年は迷った。
ついでに背後で王が復活したらしく、狂喜がほとばしりさんざめいているが、それどころでもなくなって、少年は嘆息した。
そもそも『抗う者』って誰だよ。
「どういうこと?」
「私、今までずっと聖騎士として働いてきたでしょ。人間じゃない、歯車の気持ちだったの。でも私、なんていうか、『異能』を殺したことはないけれど、そういう問題じゃなかったのかなって思って。私の仲間が『異能』を殺して、私はその命令を出す女神の下の命令を聞いていて、私も彼らの邪魔をしている。そういうの、よくないよね」
「……『抗う者』って、君が担当している組織のことか。うん、なるほど、言っていることは分かるよ。ちゃんと自分の言葉で考えたんだなと思う。でも僕わりと時間ないからさ、もっと手短にしてもらってもいいかな」
「彼らを全滅させる命令には、とてもじゃないけど賛成できない。だけど私が逆らったところで女神が彼らを狙うことに変わりはないし、それだと結局死ぬことになっちゃう。だからいっそ、あいつら丸ごと違う世界に行かしてあげればいいんじゃないかなって!」
「ああ、うん……? まあ、女神をかち割るより現実的かな」
「それで、私はそんなことできないから、貴方に頼もうと思ったの」
少年はたっぷりと黙った。
後ろでは死者の国の歌が、二重三重に空気を震わせている。まともな生者の思考を掻き乱す叫声だ。おかしな生者であれば、その限りではないが。
「普通は無理だよ。そんなことできていたら、それこそ『色々なこと』が、もっと楽に済んでいたはずなんだから」
「そこをなんとかがんばってほしい」
「あはは気軽に言ってくれるなぁ。今までなんとも思ってたけど、君のこと割と苦手かもしれない」
「そこをなんとか」
敵味方問わず周りに強い奴ら溢れ過ぎていて、この娘はかなりの世間知らずとなっている。不可能という言葉は知っていても、それを心底理解して体感したことはないのだろう。
本気になっても出来ないことなんて、そうそう無いような者ばかりなのだから、当然なのかもしれないが。
爛々と答えを待つ真剣な瞳に、少年は渋々考え直す。
適当にあしらってもよいが、それだと見抜かれた挙句、生涯付き纏われそうだった。
(……『抗う者』、ねぇ。うん、そんな奴らもいたなぁ。確か揃ってこの世界を改変しようとしていて、この世界に愛着は薄いだろうから、まあ、切り離し易いといったら切り離し易い。この世界自体で生き延びようとする異能どもとはそこが違う。それで、組織全員繋がりは強い、と。だったらまとめるのも比較的楽かな。強い幹部が数人いるし、そいつらの力も利用して、異世界人もいるらしいからそれで方向が決められる、かもしれない。それで、あいつら全員まとめて異次元へ? クソ、平然と無茶のたまってくれるよな。移動にふさわしい場所があればいいけど、あー、うーん、それに使う媒介が、)
少年はのん気に不気味のオーケストラを見学してる少女に視線をよこして、「あっ」と声をあげた。
少女が振り返れば、彼はどこか算段がついたのか、ぽんと手を打っている。
「……確かに、できなくはないよ」
「ほんと!? ありが、」
「ただし君が、その槍を捨てるというのであれば」
「え?」
少女は目を丸くした。少年は構わず続ける。
「その槍に、『抗う者』全員を送る憑代になってもらう。……あー、簡単に言うと、彼らが出て行くときの架け橋になってもらうって感じかな。もしくは――僕への捧げ物?」
「すごいなぁ。……そうすれば、本当に、できるのね?」
少女は猛禽のように鋭く少年を見つめた。
彼はさらりとそれを受け流して笑う。
「普通だったら無理だよ。でも今は勤勉な聖騎士たちのおかげで、ほとんど異能がいないから……その際立った異常っぷりから、世界から離れやすくなっている。と思う。多分。きっと。恐らく。そして、その槍は神話時代のものだからね、彼ら全員分にはぴったりだ」
エウリュデカは、乙女の園の守護者の武器である。守護者とはつまり門番だ。狭間を、境界を司る者の武器であるのだから、これほど相応しい憑代も他にはないだろう。
少年がつらつら説明すれば、少女は割とすぐに決断し、頷いた。
そして、誰よりも長い付き合いである己の獲物をきつく握りしめ、なによりも頼もしかったそれとの別れを想像した。
少年の挙げた条件は、ひどくシンプルなものだった。
1.転移させる対象を、エウリュデカで打つこと。
2.途切れず素早く打ち、全体の流れを繋げること。
以上二つだけが、少女に課された。
説明としては、もたついて流れが切れてしまえば敢え無く終わってしまうということ。特に、別の聖騎士に感づかれたら面倒になるので注意すること。これくらいだろうか。
少年は一応協力してくれていた。その態度こそあまり積極的ではなかったものの、少女にとっては大変な助けになった。
これが他者の力か、と少女は初めて感心したのだった。
通信機でジュストなど他の聖騎士の様子を探ってくれたり、主に計画を練ってくれたのも彼であった。
他にも、作戦は出来る限り口外するな、と言われた。
少年も少女も、全聖騎士の能力を把握しているわけではない。というより、全聖騎士がどんなふうになっているかすら碌に知らない。ジュストや黒面が何をしているか分からないし、できるだけ用心すべきだろう。
また、何が一番恐ろしいって『女神』についてである。あの球体、思考も感情もないようなただのボールに過ぎないのだが、イマイチ底が知れないのだ。なんというか、全てを見通されているとでもいおうか。
少年はアレについてなんとなく察しているようだが、少女には教えてくれなかった。
とにかく、少女がおかしな行動や発言をして、それに女神が目をつけたら――なんて、考えたくもない。
何はともあれ。
斯くして少女は、電光石火の勢いでこの本拠地を叩き潰しているのであった。




