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青い薔薇、銀の魚4

「わーっ、まてまてーっ」


 楽しげなはしゃぎ声にふと庭を見やれば、子どもが大熊といっしょに雪の上をころがりまわっていた。


 もちろん幻覚ではない。子どもの方は、新しく仲間となった五号ことパロミである。天真爛漫で人懐っこく、エリザにとっては妹みたいなものだった。


 後入りのポーリーンは年上だし、猿太郎はみんなの母親のようだし、なんとなくこの歳になってまだ末っ子感を味わっていたエリザにとって、パロミは待ちに待った存在であった。もうほんとよく来てくれたなといった感じである。

 まあなんかここに来る前は色々とあったらしいが、そんなことはここに来た時点でチャラである。

 重要なのはパロミがどう見たってエリザより年下であるということだ。しかも実年齢はもっと幼いらしい。これで自分も世話を焼く立場に回れるというわけだ。


 ちなみにそんなことをパロミに言ったら、彼女はなぜか嬉しそうに笑いながら、ちょっとだけ涙を流していた。

 色々事情があるのだろう。多分いつか話してくれると思う。


「ぐがう!」

「おりゃー!」


 パロミと拳を交わし合っているあの熊は六号こと熊太郎。

 五号であるパロミに続く、れっきとした仲間である。


 彼はある日、パロミがどこからか拾ってきた熊だった。

 どうやら二人は前々から仲良しであったらしい。神獣の子であるパロミにとっては、熊ぐらいでないと対等にぶつかりあえないのだ。

 そしてその熊が、たまたま遊びに行ったら怪我をして死にかけているということで、パロミは必死になって引きずってきたのだ。


 人間の罠かなんかにかかったのだろうと、治療後に博士は言っていた。


「名前は熊太郎」


 ちなみに、命名はやっぱりエリザの当番だった。猿太郎と統一感もあって、結構気にいっている。

 ちなみに、あいかわらずそれはどうなのかと周りは思ったのだが、熊太郎自身が「ぐぅぐぅ」と頷いて受け容れたようなので、すんなりそれで決定となった。



 猿太郎は同じ獣の、しかも先輩であるということで、よく熊太郎の面倒をみた。

 何がどうなっているのか人類には不明だが、どうやらこの二匹は互いに意思疎通ができるらしく、


「お家から帰ったら、両足をふきます」

「ぐぅぐぅ」

「これが足を拭くためのタオルです」

「がぁ」


 こんな調子でうまいこと共存していた。

 熊太郎はちょっぴりのんきだが、とにかく純粋だった。なんでも素直にうんうん頷いて、よく猿太郎の言うことを聞いていた。


 大小でこぼこの二人がちまちま顔をよせ合って話しあっているのは、まるで絵本のような愛らしい光景だった。



「ポォーーーリィイーーーンッ!!!」

「きゃあ!?」


 後ろから幼児離れした身体能力で飛びかかっていくパロミに、見事引きずり倒されるポーリーン。

 ごろんごろんと雪の上で転がっていた熊太郎もそれを見ると、彼女と同じようにポーリーンに飛び乗ろうと駆け寄っていく。


 悲鳴をあげつつ紙一重でそれを避けると、今度はポーリーンが二人を叱りつけながら追いかけ始めた。

 きゃいきゃい逃げる熊太郎とパロミは、積もった雪を巻き上げながらあっという間に森の奥へと消えて行く。

 いつも通り、特訓と遊びを兼ね備えた、有益な鬼ごっこのスタートである。



 家の窓際から全員の背中を見送ると、エリザはふかく溜息をついてから、マグカップにたっぷり注がれたホットコーヒーに口を付けた。

 相変わらずこういうのが好きな猿太郎が淹れたもので、あの小さな手で器用なことだが、毛の一本もはいっていないのだ。

 素直に美味しい、いや、美味しくなったな、とエリザは一人感慨深く思う。

 昔、それこそまだエリザが物もよく分かってなかったころと比べるとその差は歴然だった。

 自分含め、皆が成長しているのだ。


「やっぱコーヒーうまいわ」

「おいしー?」

「うん、だからおかわ」

「ダメー」


 毛もじゃの手が、大きくバッテンをつける。

 エリザはそれを無視して、後で勝手に飲んでやろうとこっそり思った。


――あたたかなお家、明るい家族、静かな世界。それらをまとめるうまいコーヒー。


 エリザには夢もあって、それに突き進むことができるような豊かな才能もあった。

 博士が捨てようとした書類を盗み見たりして独学で学び続けた結果、今ではポーリーンの体くらいなら直せるようになった。


 幸せだった。それこそ文句一つなく満たされていた。

 だから本当は怖かった。

 安寧と平穏に満ちた現在も、それが未来と繋がっているというだけで恐怖に変わる。怖くて怖くてしかたがなかった。




 ある新月の夜、エリザは特に意味もなく目を覚ました。

 勉強でたっぷり頭を使ってから倒れるように眠るエリザにとっては、すこし珍しいことだった。そのため何かしてみようかと思った。

 考えればなんだか咽喉が渇いている気がしたので、とりあえず下に行って水でも飲もうと決めた。


 台所へ向かおうとした途中で、エリザは異常に気が付いた。


 地下への、あの分厚い扉が開いている。


 暗闇のなか目をこらせば、あいかわらず白衣を着こんだ博士がそのすぐそばに立っている。

 研究に一区切りついて、眠るためにでてきたのだろう。実はこういう時に博士と遭遇したことのなかったエリザはなんと声をかけるべきか迷った。

「こんばんは」は変だろうし、「おやすみ」もおかしい。いつもと全く同じだが、無難に「お疲れ様」で済ますべきか。

――とにかくエリザは、なにか特別な風にしてみたかったのだ。

 結局、躊躇するエリザに気付いた博士が先に声をかけた。


「ああ、エリザ。いいタイミングだね」


 先を越されたエリザは、とりあえず「お疲れ様」とだけ言って博士のほうに近づいていった。


 月あかりの一つもない夜は本当に真っ暗だった。星が震えるようにまたたいているが、それでも夜闇に暮れる人の心を落ち着かせてくれるほどの明るさはない。不思議な真夜中だった。


 それでも博士はいつも通りで、だからエリザもいつも通り、本当になんの気負いもなく安心して彼女の側に行けた。

 なんだか雰囲気がやわらかかったので、研究が満足いったのだろうとエリザは思った。

 そんなエリザを見て、博士は暗闇のなか、ちょっと微笑んだようだった。


「おいで、地下につれていってあげる」


 思わず動きを止めるエリザをよそに、博士はいつもと変わらぬ足取りで地下の階段に足をかける。


 この家で、エリザが足を踏みいれたことのない唯一の場所がそこだった。


 エリザはサイボーグでもなんでもない、ただこの雪山で拾われただけの捨て子だから、ポーリーンたちと違ってそこに行く必要性もきっかけも無かった。

 勉強したいからと、懸命に願っても、ここにだけは絶対にいれてくれなかった。


 なのに。


 心躍らすべきだったのに、エリザは怖気付いたようにその場から動けなくなった。

 ぽっかり空いた暗闇は底が見えず、ただ博士の白衣だけが導のようにぼんやりと揺れている。

 エリザの手は白衣を追おうにもぴくりとも動かず、ただ横でだらりとぶらがっているだけである。


 博士。博士。おいていかないでください。

 子どものようにエリザはそんなことを思った。

 私の手を引いてください――。


 不安に駆られるエリザをよそに、彼女は階段を降りていく。闇のなか浮かび上がる白が、吸いこまれるように小さくなっていく。

 その深淵に目を回しながらエリザがうつむいていると、足音が止んで、もう見えないがおそらく振り返ったのだろう、衣擦れの音がした。


「エリザ、おいで」


 そこではっとして、やっと呼吸ができたかのような心持ちでエリザは頷いた。


 何を恐れることがあるものか。博士はいつもと変わらない。私を待ってくれている。師匠で、親代わりで、かけがえのない人だ。

 だからエリザは早く彼女に追いつかないといけなかった。


 嬉しくなったエリザは、なぜだか分からないがもう一度頷いて、それからようやっと階段へと足を踏みだした。


 途端、ぶわりと熱風が吹き上げ、エリザの顔をあおった。


 思わず数歩下がり顔を腕で覆い隠すと、その手首を誰かが引いた。この細く冷えた指先はポーリーンのものだ。


 ポーリーンはエリザの腕と、もう片方にパロミの腕を掴み、その家から全力で飛びだした。



 燃えあがる家、飛び回る黒面の女――ひるがえる銀のマント、黄金の剣。


 一番お兄ちゃんだからと言って家に引き返すように飛びこんでいった猿太郎は、そのまま戻らなかった。

 熊太郎は皆を守るため体を張り、めちゃくちゃに暴れ回って、そしてそのまま深く切り捨てられた。

 博士は囮となって地下室へ飛びこみ、家もろとも粉微塵に自爆した。


 青い薔薇は燃え尽き、

 銀の魚は地に落ちた。



 新月の夜、闇に身を浸しながら三人はひたすら逃げた。


 逃げて、逃げて、待ち合わせの場所に向かって、みなを待った。



 誰も帰ってこなかった。



 追手が来るかと怯えたがそれすらなくって、


 結局三人は、三人だけになってしまった。




「――ざ、エリザ。起きて、エリザ」


 体を控えめに揺すっているのはパロミだった。

 珍しくポーリーン以外に起こされたエリザは新鮮な気持ちで目を覚まして、それからぼけっと瞬きした。


「エリザ、だいじょうぶ?」

「ああ」


 心配そうにパロミが首を傾げる。念願の妹。歳を取らぬ子ども。

 当時よりわずかに成長したが、未だあどけない姿はその精神にも影響するのだろうか。子どもっぽさは抜けきらぬまま、それでもしっかり者に育ってくれた。

 いい子だろうと、皆に自慢したいほどに。


「ああ」


 抱き寄せれば、小さな体は腕のなかにすっぽりと収まる。やわらかな髪が頬をくすぐった。

 無言でいると、慰めるように無言のまま背中をとんとん叩かれた。これではどちらが姉か分かったものではない。


「ちくしょう――」


 なんだってこんな目に。怨嗟吐かずにはいられない忸怩たる思いで、パロミの温かな体を抱きしめる。


 しばらくの沈黙のあと、パロミはぽつりと呟いた。


「エリザ、次の戦いはあたしが行くね」

「は? いったいなんで、」

「いつもの流れでしょ。七号アーロン、四号ポーリーン、九号ナインズ、それから五号の私。エリザは、一応もともとは戦闘員じゃないし。貴女は博士でしょ」

「……あたしはね、悪の科学者よ」


 軽口を叩くにしては、その声は力ないものだ。


 パロミはくすりと笑ってから、エリザのわずかにアルコール消毒臭い白衣に顔をうずめ、うっそりとした瞳が彼女から見えないようにした。


(それに、子どもにだって恨みくらいある)


 焼け落ちる家。崩れ落ちる友。あの黒面――。


 忘れ得ぬ憎しみぐらい、どんないい子だって持つことはできる。


 それでも今すぐエリザから離れることはできず、パロミはしばらく、まるで息を潜めるようにじっとしていた。

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