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青い薔薇、銀の魚3

 自分が産まれてきてはならぬ生き物だったと知ったのは、ちょうどパロミが四歳になったころである。


 その頃彼女の外見は、すでに十歳ぐらいの子どものそれだった。

 背は当たり前のようにぐんぐん伸び続け、気づけば母に抱かれることが難しくなった。食事もやわらかく味気の無いものでなく、大人と同じようなものを摂っていた。

 そして、この成長速度を異様だと認識できる程度には、知能も発達していた。


 パロミと彼女の母親は、人里離れた場所で、木の影に隠れるようにひっそりと暮らしていた。

 滅多に他人が訪れることもなく、たとえ誰かが来たとしても、母は決してパロミを表に出そうとはしなかった。村へ買い出しに向かうときも、パロミを連れていこうとはしなかった。


 そして、パロミがどれだけ母を愛しても、彼女は決してパロミのことを愛そうとはしなかった。


 パロミにとって愛とは水まじりの重たい雪のように虚しいもので、注いでも注いでも積もらずどこかへ消えてしまって、それが本当に存在したのかさえ分からなくなるのだ。


「……」


 一人退屈なパロミは、よく本を読んで過ごしていた。

 家には様々な本があったが、多かったのは世間的に信憑性薄いとされる、オカルトチックなものだった。例えば召喚術、黒魔術、闇魔法、魔法陣、呪術――。

 うさんくさいものだが、母はパロミに隠れてひっそりとそういったものを行使していたので、本物の魔術師だったのだろう。

 井戸から水をくむときや高いところにある物を取るときは、あちらからやって来るようにしていたし、虫や動物を手の一振りで追い払ったりもしていた。


 彼女もまた、『異能』だったのだろう。

 抱えていた事情も経緯も、パロミは母についてなにひとつ知らないけれど。



 そして、ある寒い日の朝、パロミは山に捨てられた。

 文字通り、ぽいと投げ捨てられたのだ。


――切り立った、崖の下に。


 あ、と思ったのは体が風を切り、冷たい空気のなかに放りだされたそのとき、母と目があったからだった。

 母は体から力をぬき、へたりと地面に膝をついていた。安堵したのか自分の所業に腰を抜かしたのかは分からない。

 ただパロミと目があった瞬間、彼女はぎょっとした顔になって、きつく目を閉じてしまった。そして。


「あ」


 今度は思わず声がでた。

 音も立てず、母の背後に、突如あらわれた大きな獣――まるで魔法のように一瞬で姿を現したそれは、母をぱくり、と一口で飲みこんだ。

 そしてすぐ喉がごっくんと動き、哀れ母は嚥下された。


「……」


 ちょっと状況を理解できないまま、パロミはまっさかさまに落ちていった。呆然とする余裕がある程度には、その崖は高かった。


 そんなことをしていようが、雪に覆われた大地は急速に近づいてくる。

 あの獣がそれからどうしたのかも、落ち行くだけの彼女には見えない。

 ただ最後の数メートル、白い雪をくっきりと縁取る自分の黒い影が、徐々に大きくなっていく――。




――翌日の昼ごろになって、博士はようやく『手術』を終えて地下から出てきた。


 そのまま部屋にもどり倒れるように眠ってしまい、目を覚ましたのは夕食前。起こしに来たポーリーンに、かるくシャワーを浴びてくるように言われてからやっと、彼女はのそのそと動き出す。いつものことである。


 ポーリーンは洗濯するため汚れた衣服を回収し、ついでに掃除もしてやった。

 まるで家政婦だなと思っていると、シャワーの音がキュッとやみ、代わりに博士の、女性にしては低い声がポーリーンをよんだ。


「……エリザはどうしていた?」

「すねてたわ。落ち着いてはいたけれど」

「そう」

「……教えてあげたらいいじゃない。なんて、言いたくないですが。……あの子はきっと、自力で辿りつくと思います」


 いくらこちらが止めようとも、エリザはきっとそれを成すだろうとポーリーンは確信していた。持ち前の知性と執念と我の強さを発揮して、きっと『異能』たる博士の知識と技術を自分のモノにするのだろう、と。

 例えそれが受け継がれるべきものでは、なかったとしても。

……そのことを理解しながら、エリザはやってのけてみせるだろう。

 文字通り、己の人生を賭けて。


「うん」


 ぽつりと、水滴を落とすように博士は呟く。

 再び、シャワーのノズルをひねる音がした。湯が床をたたく音の向こうで、かすれるような声が囁く。


「君の言っていることは分かるよ」

「なら、」

「でも、あの子は普通の天才だから……その枠であるべきなのに……」


 変わってしまう。

 苦しげな最後の一言は、聞こえないフリをした。


 エリザは山にすてられていた孤児で、偶然拾った博士が養育しているものの、この世界で誕生した『普通の』女の子。父がいて母がいて、特殊な能力をもたない、この世界が容認している程度の、ただの天才。


 『普通』、という言葉は、ここではなによりも重たい意味を持つ。


 ポーリーンは、よく分からない円や線がたくさん書かれた書類が溢れんばかりにつまったゴミ袋の口をしばり、片手でそれをもった。

 紙もこう枚数が多いと重いはずだが、いまや普通の女性でなくなったポーリーンには何も問題はない。

 身体が潰れるように倒れていた少女一人を右肩に、夕食のために狩った鳥を左肩にかついだまま全力疾走で帰宅しても、息一つきれない程度のパワーはある。


「――博士。今日の夕飯は鳥のソテーです。それから野菜たっぷりのポトフ」

「うん」

「猿太郎と、私と。……それから、エリザでつくりました。あの子も、あなたを待っています」

「……」

「先に、下にいますね」


 ポーリーンは部屋を後にした。溜息をついてドアの前でたたずめば、廊下の静けさが耳をうつ。うす暗がりのなか、ほつれたスリッパのつま先に視線をおとす。


 エリザがあそこまで執拗な理由は、単なる持ち前の知識欲や突っ張った意地だとか、彼女自身のためだけではない。

 そう、機械化されたポーリーンが、これからも生きていくのに、メンテナンスを必要とするため……。


――エリザは気が強いし不真面目だけれど、優しくて、責任感も強いから。


 そして、このドアの向こうにいる博士も、そのことをよくよく知っている。エリザの成長を静かに喜びながら、だけどそれを悲しんでいる。エリザを愛しているからだ。

 ポーリーンだってそうだ。あの近ごろ手がかかってしょうがない妹を、とても大切に思っている。


 できることなら普通に生きてもらいたい。

 私たちみたいな『異能』になんて、なってもらいたくない。


 こうして願うだけなら簡単なのだ。




「純粋な人族ではない」


 博士の告げた言葉に、二号以外のみながそろってその手を止めた。

 二号は変わらず、自分の餌箱にもられたオイルをちびちびと舐めるようにすすっている。まあ所詮魚なのでしかたがない。


「詳しいことは分からないが、恐らく、半獣だろう。おまけにその父親は神獣である可能性が高い」


 半獣というのは、人間の胎をかりて生まれてきた獣人である。外見は人そのものであるが、筋力等の能力は獣人そのもの、つまり人間より遥かに優れている。しかしその一方で遺伝的原因なのか短命・病弱で、村や町では問題になる以前に死んでしまうことがほとんどである。

 これ自体はまれに差別対象になることもあるといえど、別段珍しいものではない。

 問題なのは――


「しんじゅ?」

「シンジュウ。まあ、神様のように強力な獣、と認識しておいたらいいだろう。その生態には未だに謎が多く、仮設も検証不足なものばかり。堂々と語れる論を、残念ながら私はもっていない。ただ一つはっきりしているのは、その力故にこの世界では排除される対象となっているということだ」

「はいじょ?」

「バイバイということだ」

「うん」


 本当に分かって頷いているのか微妙な表情の猿太郎はさておき、博士は話をつづけた。


「神獣が人間と交流するという話は聞いたことがない。脅したのか取引したのか愛があったのか。それは不明だが、とにかく一人の女の胎へ、自分の分身をおさめた。そして、あの娘が生まれた。信じられないがな」

「あの子は大丈夫なの?」

「ああ。凄まじい治癒力を持っている。あの崖から落ちたにも関わらず、エリザのようにサイボーグ化する必要がないくらいだ」


 あの崖がどれかは分からないが、この近くの山はどれも高いものだ。ぱっと思い浮かぶどれもが険しくそそり立っている。

 普通の人間なら潰れて、肉塊になってしまうだろう。


「ちょっと待って。なら博士は一日中何してたのさ?」

「普通の手術だ。なかなか容体が安定してくれなくてね。まあ、初めてだが、うまくいってよかったよ」


 それホントにうまくいったの?

 と聞きたかったのはエリザだけではないだろう。ポーリーンも視線をさまよわせている。


 地下から出てきた五号――新入りが、目もあてられないような姿にされていたらどうしよう。いや。初めて手掛けたらしい一号こと、庭に咲き乱れるあの青薔薇でさえあれほど美しいのだ、恐らく大丈夫だろう、が……。


 猿太郎はただそんなみんなの様子をみて、きょとんと首を傾げていた。


「ポーリーン、どういうこと?」

「――あたらしい仲間がふえたってことよ」


 端的に答えた。「わあ」とあどけなく手を叩いて喜ぶ猿太郎に場が癒されたところで、夕食が再開された。


 エリザの担当したチキンはすこしばかり焦げていたが、誰一人文句を言わなかった。

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