青い薔薇、銀の魚1
ポーリーンが目を覚ましたのは、金属同士のぶつかる鋭い音が耳元で聞こえたからであった。
ドリルで削るような音、ガチャガチャ何かを組み立てるような音。どれもかなり大きな音だが、それですら、どこか遠くで聞こえてくるような――。
重たい瞼でゆっくりと二、三度瞬きをし、視界をはっきりさせる。
薄暗い室内の、金属板を繋げてできた天井が目にはいった。工場、という単語がぽんと頭に浮かぶ。
しかしやけに鈍痛がする頭を動かす気力もなく、ただその異様な光景をぼうっと見つめた。
「すまない、起こしてしまったかな」
低く、しかし柔らかな声が聞こえる。
視線だけを向けると、白衣を着た女性が立っていた。ほんの少しきつい面差しの美人だ。男のように短くした茶色のショートヘアーがよく似合っている。
「……ここは?」
「私の家だよ。とりあえず、かるく説明しておきたいことがいくつかあるんだ。言葉はきちんと聞こえているかい?」
言われるがまま頷いた。なんとなく、頭のなかが靄がかっている。
しかしそれでも聞かねばならぬ気がした。
それからその女性は淡々と、ポーリーンは獣に首筋を食いちぎられ瀕死であったこと、それからエリザという少女に助けられここまで運ばれたこと、そしてその命を救うため、肉体をサイボーグ化されたということを告げた。
より詳しい事情は、また後で話してくれるらしい。
とりあえず非現実的なことが次々とわが身に降りかかってきたことと、とにかく命は助かったのだということだけポーリーンは認識した。
女性には「勝手なことをして申し訳ない」、とやけに深く頭を下げられたが、ポーリーンはただ、死ぬよりはマシだったと思った。というより、まだぼんやりとしてそれ以上何も考えることができなかった。
死にかけたせいか人体改造されたせいかは分からないが、どうにもうまく頭が働かない。
そんなポーリーンの状態を察したのか、女は「もうしばらく眠ったほうがいい」と言い残して去っていった。
その白い背中を見送っているうちに、ポーリーンは再び眠りに落ちていた。
白雪積もる家の外を、エリザは窓縁に頬杖をついてながめている。
たまに自分の鼻息がかかって、ガラスがふんわりくもるのがちょっと楽しい。
無邪気なエリザの視線の先には、一株の薔薇が咲いている。
あれはエリザよりも先にこの家に迎えられた存在なので、俗に言う『先輩』というものなのかもしれない。
エリザはそれからしばらく窓ガラスに「ふーふー」と息を吹きかけて遊んでいたが、それでも地下室に続く分厚い鉄の扉の取手がまわされる音を耳にすると、ぱっとその場からはなれた。
「はかせーっ」
「エリザ」
「よっこらしょ」と重たい扉を持ちあげて現れたのは、白衣を着たショートカットの女性である。
駆け寄るエリザの頭に、落ち着きなさいの意味をこめて手をおいたが、それでもこの子どもははしゃぐのを止めなかった。
「お疲れ様! 終わったの?」
「ああ、一応ね。人間相手にここまで施したのは初めてだけど、うまくいったと思うよ」
「さすが博士」
団欒する二人のかたわらを、すい、と一匹の魚が通りすぎた。優雅で繊細なひれを揺らすその姿は金魚のようだが、その色はまるでメダルのようにぎらぎらとした銀色である。金魚はそのまま我が物顔で、天井近くを悠々と旋回している。
「はかせ、エリザ」
と、その金魚の下を通ってとことこと歩いてきたのは、一匹の猿であった。つぶらな瞳は輝いて、エリザよりも小さく華奢な体は白く、少しクセのある体毛で覆われている。
愛玩用の、ただの普通のペットですと言わんばかりの風体だが、
「三時のおやつに、クッキーをもってきた」
と人語を操り、その言葉通り両手に甘いにおい漂わせるバスケットを抱え、しっかりと二足歩行で歩いている。
「ありがとう、三号。じゃあ紅茶でも淹れようか」
「ココアー」
「ココアー」
「じゃあミルクココアにしようね」
「わーい!」と、まるで双子のようにそろって両手をあげて喜ぶ一人と一匹。
みんなそろってテーブルに移動する途中で、エリザは博士の白衣をかるくひいた。
「博士、三号じゃなくて猿太郎だよ、猿太郎」
「分かったよ。すまないね、猿太郎」
「しょうじき、どっちも、五十歩百歩」
どうやらどちらの名前もあまりお気に召していないらしい。
博士はそれもそうかと声もなく笑い、名付け親のエリザは「そうかなあ?」と首を傾げている。ついでに、こっそりクッキーをつまんだらしく、口元に食べカスが残っている。
猿太郎だなんて一見、適当に付けたようにみえる名前だが、実は結構な自信作だったようだ。
「そういえば、ちゃんと二号にエサはやったのかい?」
「オイルを一日に五グラム!」
「そうそう、ありがとう」
二号、とそう呼ばれた金魚は特に気にするでもなく、ただ気ままに宙を泳いでいるだけである。まあ見かけはともかく、知能は完璧にただの魚だからしかたがない。
銀色の金魚が宙を泳ぎ、小さな猿が言葉をあやつり、家の片隅では分厚い鉄の扉が他人を拒むように鎮座している。
なんとも受け容れがたい異常で奇妙な光景だが、それでもあたたかい家庭の団欒が、そこにはあった。
そんな和やかな家の外、しんと寂しいくらい静かな雪のなか。その冷たさすら構わないように薔薇は堂々と太陽の光をあびて、花びらの艶やかさを誇っている。
その花びらの色は、晴天時のような、澄みきった青色をしていた。




