正義の眼鏡と異能クラッシャー系乙女
白亜の空中要塞――例の聖騎士の少女がそこの最奥を後にしてしばらく、また別の聖騎士がそこに降り立った。
すらりと背の高い、銀のフレームの眼鏡をかけた男だ。白いコートを身にまとい、どこか聖職者然とした格好をしている。
男は彼らの『女神』の前で、膝をつき、頭を垂れた。そうしていると、男性にしては若干長い紫色の髪で顔が隠れ、まるで敬虔な信徒のようであり、懺悔する罪人のようでもあった。
「……」
球体の前に跪く姿はどこか滑稽でもあり、しかし嫌でも伝わってくる真摯さは、触れれば指先を食い破りそうな冷たさを孕んでいる。
「……」
ご神託を賜るだけだというのに、まったく、色狂いならぬ『女神狂い』とはよく言ったものである。
いや、女神というよりも、この男がアホみたく傾倒しているのは正義だとか平和だとか秩序だとか、その情の無さげな面に似合わぬ概念なのだが。
「……」
「……」
「……先ほどから黙って、何を見ているのですか」
「ジュストの仏頂面をねっ」
そう言って親指をグッとたてて見せたのは、黒鋼の鉄兜を被った女性である。
顔の大部分を覆われているため分からないが、声から察するに中年だろうか。しかし兜の下からのぞく、クルリと巻いた赤色の髪は豊かで若々しかった。
「ああ、『黒面』の」
「その呼び方ヤだわぁ……なんか若くない」
黒面と呼ばれた女はそう言いながら、バサリと自分の髪を払った。どうやら細い首元を見せつけているらしい。
鉄兜の向こうの視線が、こちらを気にするようにちらちら向けられているのが嫌でも分かる。
「見ないでください」
ジュストは顔を背けてクールに流すことにした。
割と結構かなり年上な女性にセクシーに攻められたところで、ちょっと勘弁して下さいと土下座したくなる程度である。
「ちょっとぉ、何よその言いかた。それが異能ちゃん達と戦ってヘトヘトになって帰ってきた、カワイソーな乙女への対応なの?」
「……貴女で可哀想なら、あの馬車馬はどうなるんです」
哀れ「馬車馬」と称されたのは、例の休暇を欲している少年のことである。
ジュストは呆れた表情をした。
傷どころか汚れ一つないくせに、なぜそうも堂々と傷ついたアピールができるのか。あとババアがぷんすかと唇を尖らすな。化粧で丁寧に隠された口元の小じわが、うっすらと浮かんでいる……。
「貴女ってのかわいくないわぁ。レディーとかミスーとか、いくらでもあるでしょ」
「ではレディで」
「オッケー」
わざわざ呼ばせておいて、喜んだり気にかけたりしている様子もない。
彼女のこの気まぐれなところが、ジュストは特に苦手であった。何を考えているのかよく分からないからである。まあ、その場その場の勢いで生きているのだろうが。
「ていうか異能ちゃん達、一時期に比べればずいぶん減ったわよねー。昔はいろんなタイプがいたのに、今じゃホント逃げ隠れが専門ですぅーって奴ばっかりだし」
下半身が馬とか、テレポートできるとか、姿を消せるとか……。
つまんないわぁとぼやきながら、黒面は指折り例を挙げていく。こうもぽんぽんと実例がでてくるのは、それだけ彼女が経験を積んでいるという証だ。
そう、この聖騎士団のなかで一番『異能』と称される者達を討ち果した数が多いのはこの黒面で、それは彼女のことが苦手なジュストも認めているところである。
「んで、あのお願いだけど、受けてあげてもいいわよ!」
だからこそ、わざわざ連絡を取り、多大な謝礼の品々とともに申し出たのだ。
「女神を護ってほしい」、と――。
「当たり前です。多少無理してでも受けてもらうつもりでした」
感謝するでもなく淡々と告げるジュストに、黒面はおもわず閉口した。
「……まったく、どうしてそうなんだか」
肩を竦める黒面に目もやらず、ジュストはただ彼らの女神を見つめている。
その瞳に感情はあらわれない。
「これに従えば秩序は守られ、安寧は保たれる。それだけで尊ぶに値するでしょう」
「ただの球じゃない」
という言葉は飲みこんだ。
言っても、ジュストが怒ることはないだろう。本人曰く、この球体を擬人化して見ているわけでないらしいからだ。
ただの便利な、大事に扱うべき道具だと言い切っている。
しかしそれでも、この男は少々心が病んでいるようで、いまいち把握しがたいところがある。この球体を深層でどう思っているのか――それは本人も分かっていないだろう。
元々人間の心なんて矛盾したものだ。それを鑑みても、危ない橋をわざわざ渡る必要はない。
結局それ以上めんどうになって、黒面は何も答えなかった。
しかし、それをジュストが気にかける様子はない。ただ女神を見て、自分に語りかけるように、言葉を噛みしめる。
「誰にも、手出しはさせない」
ゆらりと、その瞳にはじめて強い色が宿った。
一方、その空飛ぶ建物の屋上に、一人の少年が座りこんでいた。右耳に手をやり、何やら機械を抑えている。まあ、いわゆる盗聴器である。
その機械が最後、ジュストの「誰にも、手出しはさせない」との言葉を伝えて壊れた。
高かったのに。
「……」
バレて壊されたのか、強い力にあてられたのか。
さすがに詳しい理由は分からないが、逃げ出すに越したことはない。少年はさっさと宙に身を翻し、その基地から離れることにした。
空を進む少年の手には、迷彩色のゴツイ通信機が握られている。レトロな形のそれを口に近づけ、しばらくマイクテストをした。
「あーあー。聞こえますか? コチラ『馬車馬』、どうぞー」
「ば、ばしゃ? あ、うん、どうぞー」
言い得て妙なあだ名に目をぱちくりさせてそれに応えたのは、毎度おなじみ槍使いの少女である。
彼女はあれから色々悩んだあげく少年に連絡を取り、協力に漕ぎつけたのだった。
「エー『紫眼鏡』にはなんとなく察知されている模様。で、『黒おばさん』を援護に呼んだようです、どうぞー」
紫眼鏡はジュスト、黒おばさんは黒面だろう。なんとも分かり易いあだ名である。
というよりも、二人に特徴があり過ぎるのか。
「……うーん。思ってたよりもずっと動きが早いね。女神にでも吹き込まれたのかな?」
「それだとしたら厄介だな。さすがにあの球を壊す気はないよ、僕」
原理も歴史も分からないアレに、わざわざ手を出す勇気も動機もない。それはこの槍使いの少女としても同じである。
ぼやく少年の声を右から左に聞き流しながら、少女はしばらく黙って、
「……でも二人なら、まだやっちゃえるか」
あっけらかんと結論を出した。
一応同じ組織に属している同士なのに、刃を向けることに躊躇はないらしい。なんとも無情で過激である。あっさりしているどころの話ではない。
「……けっこうヤル気満々だよね。別にいいけどさ」
「情熱的で一途な家系なんだよ」
どんな遺伝だ。
「……それならしかたないね」
この子戦闘中とか絶叫しそうだな、と少年はなんとなく思った。
「とにかく。それじゃ目的のおさらいをして、計画を練ろうか」
「えっと、目的は第一に、悪の組織壊滅を阻止する。懲らしめるくらいならいいけど、殲滅はひどいと思う。第二に、その後も女神の手が伸びないようにする。たぶん何度も神託を下してくるから、一回がんばって防いだだけじゃ意味がないと思う」
少女は自分に下された神託を思いだし、少しげんなりした。彼女がいつも相手にしている、あの悪の組織の壊滅――さすがに、老若男女問わず殲滅してしまうことはないだろう。
それから本当は、あの黒いお兄さんに別の就職先の斡旋もしてあげたかったのだが、さすがにそれは目的にいれなかった。
「うん、とりあえずその二つだね。とりあえず情報集めて――って、そういえば、あの悪の組織の名前は何だっけ?」
「えーっと、確か『抗う者』だったかな」
「短いなー」
普段全く耳にしないものの、シンプルなので一応覚えていた。
しかしこれを聞くと、まるでこちらが圧政でも敷く悪者みたいだ。あちらからしてみれば、そうに違いないのだろうが。
「じゃ、詳しいことはまた後で。切るね」
「うん、またね!」
そこで通信は切れた。




