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隣の家  作者: 一未
4/4

贅沢な朝

深夜2時。

開いていた参考書をパタリと閉じる。

深い夜は、小さな物音さえも大きく感じる。

私はそれが嫌い。…… だから。

いつもテレビを点けているか、音楽を聴いているか、どちらか。


そろそろ寝なくちゃいけない。

明日だって早起きだ。

でも、ここまで、どうしても勉強しておきたかった。


自分で自分を追い詰める。

ノルマを決めて自分に厳しくしないと、すぐに抜かされる。

順位なんて気にしないで生きれたら楽なのにな。


なのに、私はそれが気になってしまう。

何のために勉強するんだろうって思う時もあるけど、それをしないでいたら、どうしていいかわからないかもしれない。


大学に行くため?

将来のため?


何もかも投げ捨てて、お化粧しておしゃれして彼氏がいて。そんな生活も悪くないんだろう。でも、できない。


布団にもぐりこみ、目を閉じる。

メールチェック忘れたけど、どうでもよかった。


一、二、三……。

深い眠りはすぐに訪れた。


**


携帯のアラームが鳴る。

ひとりで起きることには、慣れている。


いつもそうだから。


キッチンに行き、ホットミルクとバターロール一個。

バターロールは、スーパーの割引品がほとんど。5個で100円に20%引きにシール。たまに、50%引きもあると、かなりなお得品になる。賞味期限なんて冷凍しちゃえば気にならない。

それが私の朝食。

365日かわらない。

これと決めておけば、楽なのだ。


トーストーにしようか、ご飯にしようか。

ご飯なら、ふりかけは何がいいかとか。

トーストなら、何のジャムがいいかとか、それともバターがいいかとか。

卵は必要かとか。

迷うことは無駄だと思うから。


そっと、キッチンの隣の部屋の襖が開いていた。見るとはなしに、見てしまう。


…… 母が寝ている。

そして、隣に…… 男が寝ている。


父じゃない。新しい男。週に一、二度の訪問者だ。



別にかまわない。母は独身だし、父はとっくに死んでる。

別にいい。恋愛は自由だし。



私には関係ない。



けれど、この家でセックスだけはしてほしくない。そう思う。

朝くらいおきて「いってらっしゃい」を言って欲しいなんて思わない。

そんな言葉、いらない。


それよりも私が欲しいのは、大学へ行くためのお金。

参考書を買うお金。

ゼミに行くお金。


お金、お金、お金。


**


足音をさせずに歩くことを覚えたのは、父が死んで間もなく。母が知らない男を連れてきた日からだ。


「緑、この人ね、パート先の主任さん」


そう紹介した主任さんは、頭の禿げたおやじ。

お父さんの方が断然、かっこ良かった。

なんて言えず、曖昧に私は挨拶をしたように思う。


その日から、男が入れ替わり、この新顔は私の知る限りじゃ五人目だ。

不倫なのか、そうでないのか、興味はない。どの男もたいしたやつじゃない。

それなのに、母は男にくっついて生きている。


醜い。とまでは言わない。

けど、ああはなりたくない。


…… だから。

勉強をしてるのかもしれない。


男を頼らずに生きる力が欲しいから。



**


襖の隙間から垣間見た母の寝顔。

なかかの美人と評判の顔は、目を閉じていると、疲れた老婆のよう。


父がいなくなってから、母はスーパーに勤め、禿げおやじのせいかどうか知らないが、そいつと別れた途端にスーパーを辞めた。

そのあと、小さなお店を開いた。いわゆる水商売だ。


必然的に、夜は私ひとりになった。

始めたばかりの頃は、朝は私を起こしてくれてたけど、段々にそれがなくなっていった。

気づいたら、いつもキッチンテーブルには、お店の残り物が申し訳なさそうに朝食としておいてあった。


朝から食べたくもないメニューが並んでいると、吐きそうになった。


あの日は、確か参観日だった。

朝は起きない母だけど、参観日には必ず来てくれていた。美人の母は、生徒と父兄の注目で、それが恥ずかしいような、嬉しいような。

その時だけは、自慢の母だった。


帰り道。

シンプルなワンピースを着た母と近所のスーパーに寄った。


パン売り場で足を止める。


「アタシ、朝はこれでいい」


20%引きのシールが貼られたバターロールの袋を指さして私が言うと、母は


「じゃ、これ買おう。いつも、残り物でごめんね。朝、起こさなくてごめんね」


私にごめんねを繰り返しながら、バターロールの袋をひとつ手にしてレジに並んだ。

その姿は、確かに人からみたら綺麗な女かもしれない。

けれど、さっきまで自慢の母が、バターロールの値引きを喜ぶちっぽけな女に見えた。


父が死んだことで私と母の生活がこんな風に変化してしまったと、嘆きたい気分だった。

 

…… その日から私の朝食は、バターロールになった。

**


静かに玄関の鍵をかけ、学校へと向かう。

駅から電車に乗る。駅までは歩く。

自転車でもいいけど、歩くことは寝ぼけた頭を冴えさせる効果があるような気がして、片道15分。毎朝歩く。


駅前には、ブルーの看板「須川ベーカリー」

そこから、毎朝、かわらない焼き立てのパンの香り。

スーパーの安売りのバターロールが胃袋から消えて、焼き立てパンをほおばりたくなった。


時々、そう。

時々。

私はここでパンを買う。


それはお昼用のパンだったり、おやつだったり、夕飯用だったり。

基本、お財布と相談する。なぜなら、スーパーのパンの方がだんぜん安いから。

ここのパンはご褒美みたいなものだ。


たくさんのパンの中、私が一番好きなのは、やっぱりバターロールだ。

特別な朝だけ、母はここのバターロールを買ってくれる。


小中と、いつも。

遠足とか運動会とか、それから、各学期のスタートと終わり。

特別な朝は、年に数回。


それが私の贅沢な朝だった。


**


冬の真っただ中。

どうして、こんな季節に受験をするのだろうかと思ったりする。


「明日のお天気」が今まで生きてきた中で一番気になった。

正確に言えば、一番じゃなく二番かもしれない。

小学校の頃、遠足の前夜と同じくらい。


「明日はおおむね晴れでしょう。受験生の皆さんは明日センター試験ですね」


なんて、余計な事をいうアナウンサーの声が少しばかりうるさく感じてテレビを消した。


…… やれるだけのことをやったつもり。

ゼミもなんとか行かせてもらえた。


お金の出所は、母の経営するお店からなのか、男からなのか。

訊く気にもならず、ただ、振込用紙だけを母に渡していた。

受験料もしかり。


それでも、家計を考えて私は国立を志願した。


いつもより早めに寝るため、夜中に必要のない物音で目覚めないため。

あたためたホットミルクをゆっくりと飲む。


ひとりの夜には慣れている。時折、鳴る携帯は、ひとりをかき消すメールだったりする。

友達いないわけじゃないし。


既に推薦で大学が決まった友達から、メールが来たりもしていて、それはそれで嬉しいものだ。

メールに返信をしていると、何かに追われているように着メロが鳴った。実際、追われているわけじゃなく、それは、私の心が落ち着いていないせい。


♪♪♪


「もしもし」という私の声より先「明日は晴れだってね。良かったね」母の声が聞こえた。明るい元気な声は、お店にいるせいだろうか。


いや、母はもともと。

そう、もともと、明るく元気。

美しい母は、父がいるころ「美人のママ」「元気で明るいママ」で有名で、私はそれが自慢だった。


父の葬儀から、変わった環境の中。

それでも……母は、時折見せる悲しい顔を隠して、いつも明るく元気だったのだ。


私が気づかなかっただけのこと……。


「そうみたいだよ。今日はもう寝るから」

簡単に電話を切ろうとする私に

「緑ならやれるよ。がんばれ!」

と言ってから、何を考えているのかカラオケで歌い始めた。



♪♪ 桜サケ。君の…… ♪♪




「嵐じゃん」



「耳痛いから切るよ」

途中で電話を切ったのは、本当に耳が痛かったから。


電話を切ると痛い耳を軽くさする。不思議とさっきまでのざわめきが消え、穏やかな気持ちになっていた。


布団にもぐりこみ、一、二、三。

すぐに眠りについたのは、きっとホットミルクのせいだろう。


母の歌声は、まだ。

耳に残っていたけれど……。



**

アラームが鳴る前に目が覚めた。さすがに緊張しているのかもしれない。

淡々とかわらない朝のように、着替えをし、足音をさせないようにキッチンへ行く。


寒さで冷えているはずのキッチンが暖かい。

暖房がついていて、キッチンテーブルに伏して母が寝ていた。


テーブルの上には<合格祈願>のお守りと、鋭く削られた鉛筆が二本。

新しい消しゴム。


それから……

須川ベーカリーのバターロール。


今日はかなり特別らしく、須川ベーカリー特製のいちごジャムも置いてある。


母の肩にそっとショールをかけ、起こさないように朝食をとる。

甘酸っぱいいちごジャムが口の中で広がり、あったかいホットミルクとよく合う。


…… やれそうな気がする。大丈夫。

自分に気合を入れて、寝息をたてている母の手にそっと手をあてた。

禿げたマニキュアが少しばかり動き、それでも母は寝息をたてている。




足音を忍ばせて、そっと、家を出る。




ポケットにお守り。

筆箱に鉛筆、消しゴム。


胃袋にバターロール。


私の贅沢な朝。

天気予報は当たり。

…… 晴れた一日がスタートした。


<完>

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