勇者編1話の3 織色無し
ここはどこだろう。道中で大きめの柵を乗り越えてきたから、人が住める地域から大きく抜けているのかも知れない。世界の五割ほどは危険地帯の分類に入るらしいから、何も変なことじゃないや。
「居ましたね……」
声が聞こえた。
私が息切れ気味に建物の影から顔を覗かせれば、そこに勇者は佇んでいた。
対峙するは、三体の化物。見つめるだけで潰される自分が連想されてしまうような、人形の巨体だった。血が凝固したような質感の、巨像が一体。更に蜜が人形を成したような魔物が二体。
懐かしい感覚だった。あれだけ綺麗だった街が、荒れている。妙に郷愁を感じてしまう自分が恨めしく思えた。
化物が踏んだ箇所から血は割れ、雄叫びをあげれば、そこいらの鉄柱が柔らかく落ちる。
「覚悟してください!」
勇者は、それらに臆することなく立ち向かっていた。私も参加しなくちゃならない。……街を壊す魔物なんか、退治しなくちゃならない……!
そう思ったけど、建物の角を強く握りながら、踏み止まった。見た限り、とても強力な魔物だ。いつか私の大事な人を殺した化物に酷似している。私じゃ苦戦するだろう。私が参戦して、戦いの中で勇者を見失ったりすれば、本末転倒になる。私は、彼女を見守らなくてはならない。
「ってぇぇええい!!」
勇者は上半身に半捻りを加えつつ飛び上がり、その進路は、巨像への直線をとる。
巨像が、勇者を叩き落とそうと伸ばしてきた腕。それを足場に、更に柔らかく飛んだ。彼女は空中で、腰元に携えた小さな革袋に片手を伸ばす。何かを取り出す仕草を見えた。
革袋から何かが伸びて広がった。
現れたのは、先にわたしも見た、黒鉄の剣。彼女はそのまま身を宙で回転させると、巨像の肩口に大剣を振り下ろした。剣の軌跡になぞって巨像の体に亀裂が生まれていく。
斬るというよりも、割ったのだ。巨像は、為す術も無く腕から順に崩れ落ちる。
「……!」
落下中、勇者には別方向からの拳が迫るが、これは革袋から二本目の大剣を取り出すことで、受け止めて見せていた。勇者は、防御に使った剣を何のためらいも見せず、手から流し落とす。そのまま、手に残した唯一の剣を、両手に構え直した。彼女の瞳は、化物の死に様を見つめていた。
「え?」
私が認識できたその時、既に化物は切り伏せられている。ずしんと、地面が鳴る。
やっぱり圧倒的だ。
残る魔物は一体。勇者は両手に構えた剣で、正とした態度で立ち向かう。
向かい合う化物と勇者。一瞬の静寂はこの刹那にも、崩れてしまいそうだ。
多分、勇者が剣を本気で一振りすれば、ここから見える範囲にある全てのものが斬ら――
「それを殺すのは、待て」
遠くから男の声が聞こえた。
「それは俺の成績だからなぁ!」
ほんの時間差で、化物の右腕が、破片の飛沫をあげて吹き飛ぶ。化物は生き物らしく喘ぎ苦しみ、粘着質な咆哮をあげる。
「やっぱり化物を殺しに来たんだな? 君らは分かってない、分かってないんだよ。俺の事情を」
勇者から見て、化物を通り過ぎたはるか延長線上の道路に、男の姿が見える。頭をかきながら、厭らしくこちらの全てを舐め眺めてきていた。
先に飲食店で出会った人物だ。私は驚きに声をあげそうになったけれど、一方の勇者は、まるで彼の存在に驚く様子を見せない。どうも、最初から彼の存在を分かっていたらしい。
「街を守るため戦うことに、事情も何もありません」
勇者は剣を構えたまま、動かない。
「言い切るつもりかなぁ可愛い方。残念ながら、俺たち学校側には事情も何も 有 る んだよ」
男はこちらへ、とぼとぼ歩を進めながら手近な瓦礫を拾ってみせた。
「こっちとしては、成績に関わるものでさぁ!」
男は、徐々に歩みを疾駆に変え、途中拾った瓦礫を、化物に向け振りかぶった。
空を掻っ切り進む瓦礫は、加速していく。火を纏い光源になる。化物に襲いかかる。
水を斬るような音がしたかと思えば、それは化物の胸部を綺麗に貫通していた。
「仕留め損ねたか」
もう一度、石を放つ。先ほどと同じだった、どんどん加速し火を纏う。しかしこの攻撃には化物の側も学習したらしく、瓦礫の射線上に拳を振り上げて防御の体勢に入っていた。
結果的には、化物の頭部が破裂音をあげた。
化物が防御に構えた拳は一切傷ついていない、拳をすり抜ける形で、頭部だけが吹き飛んでいる。
多分、私が知っている魔法だ、運動の時系列操作魔法。石が運動する時系列を入れ替えて、魔物の頭を吹き飛ばす瞬間だけを、先回しにしたんだ。
一息をつけるだけの空白があり、今更、化物の拳に石がコツン。
それをきっかけに、頭部を破壊された無惨な巨体が倒れる。
地響きがした。
「片付いた、な」
男はポケットに手を差し入れながら、大股に勇者の元へと歩んでくる。二人は正面で立会い、お互いに挑発的な視線を送り合っていた。勇者は乱れた前髪の隙間から彼を睨み、彼は見下ろすように薄く笑ってみせる。
「学校の成績のために一人で全部請け負って、もしもがあったらどうするんですか?」
「無いさ。俺は強いからな」
「……だからって」
勇者は剣を地面に垂れ、悲しげに眉をひそめる。
対し男は顔を厭らしくニヤつかせながら、化物の死骸を見やるばかり。
「強い俺は、良い成績をおさめるんだ。それを民間人なんかに奪われるわけにはいかない」
「あの」
「どうした、可愛い方――!?」
息が止まった。何かが割れる音がする。
彼がへらへらと笑っている瞬間にはもう、遥か高いビルから、ガラスが割れて、彼に向けて降り注いでいた。ビルから、小型の化物が飛び出してきたのだ。生物的な光を帯びた茶色の節足が、男を襲おうと飛びかかっている。
「なっ!?」
「まったくぅ……」
男の両隣に、両断された化物の片割れがそれぞれ落下していた。男の背後には、剣を構えた勇者の姿がある。勇者が助けなければ、彼は只で済まなかったことは確実だ。あっさり死んでいたかも。少なくとも怪我を負っていたことは間違いない。
「嘘だろう」
男は、片手で頭を抱えて、目前で起こり得てしまった事実に打ちひしがれる。
あれだけ格好つけておいての、この有様だ。
勇者は何事もなかったかのように剣を収めているから、余計哀れになる。
「貴方の事情は分かりました。その上で、どうかこれから、私たちを戦わせてください」
お互いに振り返り、向き合い、そして勇者はまっすぐに彼を見つめた。
男はポケットから手を戻すことすらせず、目をそらしながら顔を赤らめるばかりだ。
「……デタラメな強さだな。どこで学んだ?」
「私のこれは魔法じゃありません」
「面白くも無い嘘だな。まぁ、助けられたことは礼を言うさ」
「い、いえ……! お礼をいわれるほどのことじゃ」
手を振って男に答える勇者。どうも、お礼はそこまで言われ慣れていないらしい。
「やっぱり、可愛いな、キミは」
え?
「な、何を言うんですか?」
「だってそうだろう? 可愛い。そして逸材だ。つまり、俺と付き合うといい」
はぁ!?
「結局言い出すタイミングは狂っちまったがな。店で会ったときから入学は推薦しておくつもりだったんだ。これほどの才能人を学校関係者として捨ておくわけには行かない。もし公的に化物と戦いたいのなら、俺と同じ特編委員になることを薦めるぞ」
一方的に語る男をよそに、勇者は目を点にして佇むばかり。
「俺としても、手柄を君らに横取りされるくらいなら、同じ生徒として共有させてほしい」
「付き合ってくれって言うのは、どういうことなんでしょう?」
「んん、意味が分からないか? それは俺が君に惚れたからだ。キラッ」
キラッて何だ。
あいつ殺す。
恥ずかしげもなく語る様子を見る限り、どうも彼は世界が自分を中心に廻っているのだとでも誤解しているのだろうか。いやそうに違いないけど。
「ほ、惚れたってどういうことなんですか!?」
「フ、気づいていなかったのか? この天然さんめ。頭を撫でてやろうか?」
首を飛ばしてやろうか。
このままじゃ奴は、勇者の手をとってしまいかねない。駄目だ、見ていられない!
「ちょっとそこ! 待って!」
私が建物の影から姿を晒すと、二人は面白いようにこっちを見てくれた。
「え、あ、音猫ちゃん」
「誰かと思えば。お前はさっきの泥臭い方か。お前はいい、帰れ」
「うるさい黙ってよあっち行って! このナンパ男! ナンパしないでよ!」
「お前にはナンパしないぞ」
「分かってるよ!」
男は訝しげに眼を細めわたしを見つめ、しばらく黙りこくる。
「あぁ」
しかしようやく、明快そうに顔をパっと明るくしながら口を開き。
「ははーん。でも、駄目だ。お前もまぁまあだが、どこか泥臭くてな、好みじゃない」
自分で投げた石が世界一周して後頭部にぶつかって死ね!
「落ち着いてください二人とも」
奴に噛み付いて殴ってやろうと体は震えたが、理性を最低ラインを保たせてくれたのは、勇者の言葉だった。男はふふんと笑いながら、私を見下してくる。とにかく人を挑発するために造形されたような顔つきだった。
「それで、君、すぐ返事を聞かせてくれないか。入学するのか。それとも入学するのか」
選択肢無いじゃん。
「……入学、ですか」
「拒否するつもりなら、どんな名目であれ、これ以上特区での戦闘は許されない。俺の成績がどうこう以前に、君らの行動はあまり褒められたことじゃないからな」
脅されているような気がしないでもない。特区の空気
「その前にキミは何者なの?」
「俺か……? いや、このブレザーを見れば普通分かるだろ、学園の生徒だ」
学校って普通、勉強を習うところだと思ってたんだけど……。ハッキリとした知識もない私には、その言葉を鵜呑みも否定もできなかった。
「学校外の人間で強い魔法を習得してる人間は多い。……が、それにしたってさっきの戦いは異常だ。魔法も極力抑えて戦っているようにも見えた。逸材だな」
「そんな、私は」
「入学してくれるなら、学校としても大きなプラスになる。特編の委員で仕事さえすれば、授業料等は給金で十二分にまかなえるだろうな。返事は今聞けそうかな?」
「……学園、ですか。確かに魔物討伐に公的な参加ができるのは……嬉しいんですけど」
「入学したらもれなく俺とクラスメイトになれる」
その特典はむしろマイナスじゃないの。
私が傍から見つめている間に、話は勝手に進行している。とりあえずどうすればいいんだろう、目の前の男を蹴っ飛ばせばいいのか、それとも勇者に入学を勧めるべきかな。
学園に敵は居ないだろう。勇者にとってはその方が今後、安全かもしれない。
「入ろう? 学園」
駆け寄って、彼女の手首を握った。急すぎる話かもしれないけど、悩んでる余裕はない。最善の選択をしなくちゃ。
「音猫……ちゃん?」
目をパチクリさせる勇者には、疑問よりも何よりも、呆然とした光が感じられた。
男はその間、事務的な様子で胸元から取り出した機械をいじり、そして私たちを見る。
「そこの泥臭少女。俺はお前の方は推薦するなんて一言も言ってない」
「!?」
「そうそう、自己紹介が遅れたな? 俺の名前は、ナシロ イオリだ。推薦の旨は伝えておいた。明日までに手続きの準備をしておくから、翌日の午後には、学園に来てくれ」
私無視された。
「俺はもう行く」
彼は格好つけているらしく、別れの合図に腕を振り上げながら、私たちに背を向けた。
そして、少しずつ遠ざかり始める。早く帰って欲しい。そして帰らぬ人となれ。
「じゃあな、また明日」
「……ばぁかばぁか」
せめてでも、と、格好つけた背中に小声の悪口を飛ばしてやった。
彼は黙ったまま、建物の隙間から漏れた日に照らされつつ、一人、去りゆく。
「音猫ちゃん、どうしましょうか。まさかこんな機会があるとは思いませんでした」
先の戦闘によって乱れた髪を流しながら、隣の勇者が問いかけてくる。
「当分魔王探しをしないなら、私は入学した方がいいと思うよ。その点では推薦してくれたあの人にも感謝しなきゃならない、かな? お礼して背負い投げしよう」
「落ち着いてください」
あの男の名前、ナシロイオリ、だっけ? 勇者が学園に入学するとしても、あの男だけは警戒せねばならない。勇者に何をするか……。
ナシロイオリ、ナシロイオリ。この名前は絶対忘れないように、頭に叩き込まねば。
ナシロイオリ、ナシロイオリ。何度も頭の中で復唱した。
ナシロイオリ、ナシロ……イオリ?
あれ。