勇者編1話の2 彼女を見てたら世界が変わる
彼女が根っからのお人好しという話は、聞いた通り本当のようだ。
素性の知れない私みたいな人間の同行を無条件に許可してくれるあたり、人間に対し警戒って言葉を使えないんだろうか、この子は。
「……魔王探し?」
飲食店で向かい同士に座りながら、流し目で私は聞き返す。視線が定まらなかった。
勇者と目を向かい合わせるのもそうだけど、どうも、この空間が落ち着かない。
飲食店なんて、生まれて初めてだ。気が狂いそうなくらいキレイな空間だ、清潔すぎる、ここは本当に料理を食べるだけの場所なのかな。無知な行動はしたくないなぁ……。
「しばらく修行していました。だから今度こそ、私は勇者として、魔王君を倒せるはずなんです」
「魔王、君?」
「あう」
「それで、その魔王は、見つかったのかな」
彼女はあとで口が重くなったように「はは……」と付け足し、それ以上に言葉は漏らさなかった。その表情からして、魔王の捜索状況は芳しくないらしいことは分かる。
「魔王に、勝てるの? ずっと戦ってきたんでしょ? これで本当に決着がつくの?」
聞いてみて、やっと彼女は答えてくれたけれど、笑みに紛れた表情は、どこか苦々しい。
「ううん、毎回、こんな感じなんです。彼をイイところまで追い詰めて、けれども逃げられて……私たちが生まれてニ千五百年ほどは、こんな千日手が続いてます」
「せ、千年単位なんだ……」
言葉の上でしか認識できないような数字だ。私は居心地悪く、椅子に座り直した。
彼女は、どうしてそんなにして魔王を追っているのか。……多分、そんな疑問を口にしたところで、彼女は『わたしが勇者だから』『彼が魔王だから』としか答えてくれないんだろうなって、そんな気はするけど。
「でも今のところは、魔王を探すことよりも、大事なことがありますから」
勇者は言葉を続けながら、途中、食べ物を差し出しにやってきた従業員に頭を下げた。
私の前にも食べ物が差し出される。……細長い容器に入ったこの料理は、何だろう。
目にも綾。装飾じみた、赤、白、黄色、塔を模したかのような、置物に似た料理。こんなのは今まで読んだ本にも載っていなかった。
「パフェです。溶けないうちに、話しながらでも、食べましょう?」
「……う、うん?」
食べられるのかな、コレ。
「さっきの続きです。現状は、魔物の大量発生事件をどうにか解決することが何よりもの優先ですね。……最近は有名な話ですけど、やっぱりこの街が一番、変ですよ」
そこまで話して、彼女はパフェ? を一口。
見る限り、行儀が良かった。
彼女が言っていた話は、私もよく知っている。近頃、大きな単位で頻発している魔物の大量発生。特にこの街は、緊急で特区が設けられているほどの騒ぎになっていて……私もさっきは、魔物を討伐に向かっていたわけで……。
「事件の首謀者は魔王君かもしれません。その場合、やっぱり私は彼を倒します」
魔王に君を付けて呼ぶ辺り、やっぱり何だかんだで仲がいいのかな。魔王と勇者は。
しみじみ思いながらも、私は彼女に倣い、パフェを食べてみることにした。
多少なれない手つきではあったけれど、やわらかいそれをすくって、一口。
驚いた。
「あまぁ!」
媚を売るような高い声が出た。舌がシビれた。冷たかった。
感じたことの無い未知が、カタチが、堅さが、甘さが、口の中に広がり始めて、そして名残と同時に消えていく、「あっ」と。あっという間の感動であった。
「……もちろん甘いですよ?」
「こ、ここ、こんなの初めて食べたよ!? な、ナニなにこれ!」
「パフェですよ」
「それは知ってるけど!」
「な、き、聞いてきたのは音猫ちゃんじゃないですか……!」
今、私の顔はどうなっているのかな。この世界に起こりうる感動に出会った。高揚がありありと表情に浮き出て、笑みが染みでていて、ちょっと顔を赤らめていて。
「でも、そんなに喜んでもらえて、よかったです。私の分も食べて構いません」
私がもうちょっと早く生まれていたら、こんな風に感動することも無かったのかな。
次の一口。……食べ慣れないせいで口の端を汚してしまった。美味しい、本当に美味し――
「――何だ? 君たち」
意識が現実に引き戻される。まず今の状況にはあり得ない、知らない誰かの声だった。
テーブルの隣に、男が立っている。
いきなり何? この人。
「普通じゃあないな。君達からは、強く感じられるものがある」
変態だ!
男は私たちを眺めるように見やってくる。街の人達より、どうもしっかりした服を着込んでいるようだった。しかし髪型は自由な印象で、額の半分は髪で隠し、全体は無造作にぱらつかせている。とてもじゃないが、一欠片も優しい印象を受けはしない。
「特にそっちの可愛い方、どれだけ力を隠しているのかも知れない」
「私? 私は別に力なんて隠してなんか「お前は死ね」」
初対面に死ねって言われた……!
「ん、と。どなたでしょうか」
勇者がパフェから視線を逸らし、男にキョトンとした顔で尋ねる。
「君ら、どういうことかな? 委員会どころか、学校の生徒でもないな。……素性は?」
「い、いや素性なんて……。私たちは怪しい者じゃありませんよ?」
男に対しては勇者が応答してくれているけれど。……私には、よく分からない会話だなぁ。
パフェを一口食べてから、私も会話に加わった。
「ねえちょっと! さっきの死ねってどういうこと!」
「お前は死ね」
ちょっと傷ついた。
対し男は、それを気に病む様子もなく、ゆっくりゆったりした喋り方。立ち方一つから伝わってくる尊大な態度。男の印象は、時に比例して、確実に悪い方向へ傾いている。
「……」
しかも何でこの人、勇者を見つめてるの……? それが一番腹がたつ。
「最近、独自で化物討伐を行っている馬鹿共の正体は、もしかすると、君らのことかな」
「……はい」
「あまり誉められた行為じゃないなぁ? これ以上行動を起こすなら――」
男が言葉を止めた。瞬間的に訪れた静けさの中で、微かに、何かが鳴っていることに気づいた。男の胸元からだ。
「――チッ」
*
結局なんだったんだろう、あの男の人。急に走り出して、店の外に行ってしまった。
「多分、学校の人です。何の目的があったのかは、ちょっと分かりませんけど」
男に対する心象は良くなかった。あの男、勇者を見る目が変だったもん。
「警告してくれたんだと思います。危険なことはしないで、って」
……店のドアをくぐりつつ、勇者が笑顔でガマ口財布の口を閉じた。
私は、為す術も無くその背中についていくしかない。他に行くアテもないし、彼女から目を離すわけにはいかないし。それに、勇者のことが好きだし。使命感だ。
これからどうなるんだろう、なんて希望と不安が入り交じり……。
しかし、店から出た途端から、ふと、全部の気分が吹き飛んだ。
何かおかしい。風に異変を感じた。遠くから、響き鳴る音が聞こえてきた。
意識をハッと切り替えた瞬間に、街を割るような警告音が、近くの鉄柱から鳴り響く。
『緊急。特級避難。市民の方々は、本放送の範囲内から、速やかに市中第三地区に――』
平和が一瞬で崩れた。街の人達は、ざわりと一仕切騒ぐと、急ぎ足に逃げ出して波を起こした。
流れて行く人波に取り残され、私はぐるぐると辺りを見回すしか無い。
鉄柱からの音声は引き続き、場所の名前と思しきを告げている。何度も、何度も。
「音猫ちゃん」
口を強く結んで、遠くを見据えている様子の勇者。彼女の目は、既に危険を打ち滅ぼすことしか見ていないようだった。
「あとで戻ってきますね!」
手に持った財布をわたしに押し付けると、人波に逆行して駆け出す。
勇者の背中が遠くなるのはあっという間だった、全力を駆使しなければ追いつけそうにない。
状況はよく掴めないけれど、本当に掴めないけれど、それでも私の心は決まる。
とにかくこんな状況だからこそ、私は彼女の側にいなくちゃいけないんだ。彼女に会う前から、それだけは心に誓っていたんだった。
決意と同時に、わたしの足に充足する活力。人目も気にせず飛び出した。彼女を、追いかけなければ。