魔王編第四話の一 信じ愚かな交錯劇
私は、いくら運ばれてきたんだろう。
見渡す限りが荒野で、見える色といえば青空と、地平線を堺には黄色い砂ばかり。
「じっとしていろ」
私の体は、男の手によって地面の上に放り投げられた。
何の枷もされていないし、足の骨を折られるようなこともされていない。どうあっても逃がさない自信があるんだろう。
私は体を引きずりながら逃げ惑うも、崖が目前に来たところで、追い詰められた。
「キミは……何のつもりなの? どうして私をさらったの?」
上目遣い気味に尋ねると、男は風にローブをはためかせながら、鼻で笑った。
「お前が弱かったからだ」
この鼻につく物言い、魔王より粘っこくていやらしい。
「魔王が、お前みたいな人間と行動を共にする訳がない。……となるとだ。お前は『魔王にとって必要な存在だから、魔王と共にいる』、そんな特殊な人間だ。おまけに俺よりも弱いとくれば、人質にはうってつけだろ?」
男の背格好は全てが逆光で覆われていて、実際以上の威圧感を私に与えてきた。私は思わず土を握る。逃げたいけど逃げられない、殺される? 私には人質になる価値がない。
『私を殺せば魔王が困る』とでも言えば、私は人質として生き延びることが出来る。
だけどその選択は少なからず魔王に迷惑だし、何よりも悔しくて仕方がない。だから。
「……私に、人質としての価値なんて無いから」
合わない歯の根を合わせながら、男をにらみつつ言ってやった。
「っ」
顔を蹴られた。
「それならどうしてだ? どうしてお前は、魔王と共にいる?」
「……世界を救いたいから」
「ハッ。魔王が? 世界を救う? バカ言え」
先ほどの蹴りから交代して振られてきた足に、頭を蹴り伏せられた。崖の淵に首がかかり、崖下の光景が私の眼前いっぱいに広がる。木々の一つ一つすら点に見える高さだ。
そして、息を飲んだ。
大地が変形した、街のようなものが存在している。
巨大でありつつ細かく秀麗に刻まれた砂の城、といったほうが感覚としては近いかも知れない。
そうした大地の所々には、地下に続く巨大な穴の数々。何より背筋が反応したのは、その土地を埋め尽くすほどにさ迷う、化物の数。色とりどりの個体が、集団となって、遠目には何とも目に痛かった。
「先に魔王の屋敷で語った場所がここだ。化物の巣だな」
「……こんなに、いるの?」
今まで私が戦ってきた敵とは何だったのだろう、とすら思わされる。
これだけ化物がいるんだから、私がいくら戦ってきたところで、それはもう、誰かの犠牲が消えたりするはずがなかったんだ。自嘲的な気分にすら陥った。
「ここに来れば、流石に魔王だろうと、確実に死ぬだろうな」
「そ、そんな! 魔王が負けるわけ……」
「死ぬんだ」
男はキッパリと告げて、ためいきをついた。
「あの巣には、魔王の力と同レベルの力で、結界が張られているようだ。だからこそ魔王ほどの力が無ければ中に入ることも出来ないが……。逆にいえば、あの中に居る限りは、魔王は結界の中和以外に力を使うことができなくなる」
「じゃ、じゃあ助けなきゃ」
「……どうして?」
腹部を蹴られた。体の中をぐちゃぐちゃに混ぜられた気分がしたと思ったら、私の体は崖から離れた地面に強く打ち付けられる。
「助ける必要がないだろ? 人間にとって、魔王は敵だ」
「そんな」
痛みにまみれながら私の放つ声は、とても苦そうなものだった。
「理想は化物と魔王が共倒れしてくれることだ。違うか? そんなに魔王が大事か?」
彼が尋ねると当時、空間を割るように生まれた炎。「あぁああ!!」私の体が焼かれた。
焦げた臭いがした。私は地面に転がって、立ち上がろうと腕を立てる。
「っ!?」
空気の流れがおかしいと感じた瞬間、腕の一部に傷ができた。次に叫んだ。たくさんの刃が、私の肌を切り裂く。体が弄ばれて転がされた。「っ……」たくさんの傷ができた。全部、彼の魔法ということは確かだ。それでも地面に腕を立てた。
「……魔王は……! 世界を救うって私に言ってくれたの! だから私は彼を助けるの!」
私が一繋がりのつもりで放った言葉は、絶え間ない痛みをこらえながらだったせいで、途切れ途切れの苦しみ混じり。体は焼かれ続けていた。
「お前が魔王と共にいるのは、そういうワケかよ」
断続的に襲ってくる痛みが、一瞬だけ和らいだ。彼が魔法の手を止めたのだ。
「で、世界を救ったその後はどうするんだ? 魔王が第二の災厄になればいいのか」
けれど、痛みは再動した。彼は私をいくら転がしても、傷をつけても、攻撃を止めない。
何度も、踏んづけては肌を切り裂いて、のたうちまわらせて、髪を掴まれる。
「痛いか?」
「……いたい、よ」
泣きそうだった。
「なら認めろ。魔王なんかにすがっても仕方が無いってな。お前の口から言え」
「……やだ」
直後、叫んでも逃がしきれないくらいの痛みが、体中を襲った。
手当たり次第叫んだ。はっとして自分の体中を見回してみたら、見ていて痛ましいほどの傷だらけで、血だらけで。服なんか、朱と傷ばかりで、原型もとどめていない。
「……ひどいよ……」
必死に紡いだ言葉は、命乞いでも犯行の言葉でもなかった。
「お前が認めればいいだけの話だろ? 俺が、魔王の代わりに世界を救ってやる。俺にはそうする義務があるんだ。だからこそ、俺は魔王なんぞという危険な存在は、残せない」
男がいった言葉を深く理解するような余裕は、頭にはなかった。ただ這いずって逃げようとして、だけどやっぱり傷だらけにされた。
私は魔王を信じてここまで来たんだ。魔王と一緒に世界を救うんだ。だから、絶対に裏切るわけにはいかない。いつかの私は、殺されてもいいからと誓ってみせたんだから――
「ほら、バカの魔王が、ノコノコやって来たぞ」
その言葉。痛みが一瞬消えるくらいの強い衝撃で、意識が蘇った。
命からがら這いずって、崖の下を見る。ギリギリにまで目を凝らして一点、巣へと近づく大所帯があった。大量の魔物を引き連れ、先頭に見える白髪の男は間違いない。
「人質であるお前を助けに来たのか、それとも、ただ戦いたいからここに来たのか」
男は二択をあげて、そして私に歩み寄り、そして背中に火を浴びせてきた。
もがいて逃げた、熱い、アツい熱い熱い、私は叫んでいるかも知れない。痛い。
「交信魔法だ。たった今、魔王とコンタクトした」
「……こ、こーしん……?」
「今、魔王の聴覚や視覚には、お前の苦しみが俺の魔法を介して伝えられているはずだ」
火の手がやむ。同時に少しだけ意識に安らぎを求めれば、私にも魔王の見ている光景や音の情報が伝わってきた。大きな巣を前にして、結界を解こうとしているようだ。
逆に魔王にも、私の状態が伝わっているはずだ。体中の傷や、痛みに対する叫びも。
けれど、それでも魔王は、私のほうを一度見る素振りすら見せなかった。
「そんな……」
魔王が私を気にしてくれるはずが無い。
分かりきっていたことなのに、そんな言葉が漏れた。
「魔王はお前を助けないな。それが魔王だ、どうだ、あんな奴が世界を救えんのか?」
「……」
「どうなんだ? お前はどう思う?」
「……救……える」
蹴られた。
いくら私が打たれ強い体質だからって、与えられる痛みを抑えられるわけじゃない。
痛みに耐えられる最大値が高いだけで、感じる痛みそのものは常人と同じなのだ。
そして、彼はそんな私の体質を見破っているらしい。ギリギリまで痛みつけてくる。
「まだまだ痛ぶれる余地があるな。どうする?」
「助けて」
泣きそうで、本当に殺されそうで。動けるものなら四つん這いでも後ずさりでも、どんなに情けなくたっていいから、逃げたかった。
命乞いした。
ひたすら怖かった。これ以上痛いことをされるくらいなら、死にたいとすら思えた。
「嫌なら、魔王を心から切り捨てろ。……あんな奴を認めるな。俺を選べ」
這って逃げても、顔を恐怖に引きつらせても、男の手は止まらない。
彼が私に手をかざすと、また、私の知らない魔法が発生した。
……すると、私の、少しばかり上品でない叫びが辺りを引き裂くのだ。
そんな中でも変わらず、魔王が見ている景色とやらが、彼の魔法を解することで私の中に流入してきた。そして今、両手を空に向けてかかげた魔王は、辺りを閃光に包んで結界を破ってみせる。指差し、一気呵成に、仲間の魔物たちを巣の真ん中に向けて走らせた。
魔王の姿勢は、戦闘を楽観しているとしか思えないような、まったりとした動きだった。命の危機を認識していないのだろう。悠然とした歩みで、自ら巣の奥へと踏み込んでいく。
「自分の危機も自覚せずに余裕だな。このままじゃあ、確実に死ぬ」
いつもの魔王だ。前回までも、今回も、自分が一番に強いと信じているんだ。だからどんな状態にあっても慌てない、自分の勝ちを信じて疑わない。
今の自分は、結界の解除を維持している以上、何の力も使えない存在だというのに。
そして私は、そんな彼の副官だ。彼を、殺してしまうわけにはいかないんだ。
「まおうが、しんじゃう……?」
「ああ」
「お願いだから、助けてよ」
自分でも気づかないうちに、男が着るローブの端を掴んで、すがっていた。
そして遅れて、涙声であることに気づいた。言葉の発音もハッキリとしない。
「どうして俺が?」
「……お願い」
「自分の顔を鏡で見ろよ。血で汚れて、おまけに涙でぐしゃぐしゃだ。そこまでするこたぁない」
「お願い」
「自分の命より大事だってのか。アイツのことが」
どうして、どうしてと聞かれて、すぐに答えが出ないのが私の頭だった。
ここまで、ただひたすら無意識に魔王を助けようとしていたけど、ここで改めて悠長に理由を考えてみた。……すると、何故かやっぱり、助けなきゃという思いが強くなった。
「魔王が、世界を救ってくれるから」
「それはさっきも言っただろ。魔王が世界を救ったところで、奴の支配が始まるだけ――」
ただ単に、彼が放つその言葉が許せないのだと理解した。
「ならないし! 私がしないから!」
強く言葉を吐くと共に、立つはずがない足を、地面にむけて突き立ててみた。ひどく震えたけれど、痛みなんて無視してしまえば体は意外にも動くんだ。
「キミには、分からないよ。魔王の存在を、魔王なんて名前だけで決めつけないで。私は今まで、彼の良いところや人間らしいところを、少しずつでも見つけてきたの!」
やろうと思えばどこまでもやれた。男は少なからず、私が立ってみせたことに驚いているようだった。それはそうだ、人が魔王のために、ここまで出来るはずがない。
「私にとって魔王は大事な仲間だよ! 仲間として、私は魔王のことが好きなの!」
彼に顔を近づけて、額がつきそうな距離で断言した。傷付いた体の出来る限りで叫んでみたんだけど、体中の傷が疼いた。後に辛く、声が漏れる。
「人が魔王を、だと?」
それでも、彼が助けてくれないなら、私が魔王を助けにいくまでだ。
未だに魔王は負けるつもりを知らずに奥へ奥へと歩いている。いくら、味方の魔物が協力な戦力といえど、敵が非力な魔王に一撃を浴びせられるくらいの隙はある。
助けるんだ。私は崖に向けて、ゆっくりだけど徐々に、加速度的に、走った。
「行くのか、お前」
「……当然だよ」
走る。意思だけで動く足はいつもよりひどく遅かったけれど、でも、やれた。
「行けば死ぬかもな」
「それくらい知ってる!」
「……お前、名前は?」
「……ネコ!」
崖から飛び出した。青空に体を放り投げたのだ。空に包み殺されるような、とても巨大な感覚を得て、そして絶頂感を感じながら体が落下していく。私は空中で振り返った。
私の体が降下するにつれて、目前の崖が迫上って、男の姿が視界の上端へと見えなくなった。
ついには見えなくなる。
「俺が少し、魔王を誤解していたのは、認めてやるよ」
そんな声を最後に。