魔王編第三話の二 火が駆け抜けて日が消えて
今回から作品タイトルをちょこっと変えます。ご了承ください。
「敵、かな?」
「さぁな。副官であるお前に始末を任せる。基本的には殺しておけ」
私と魔王が出会った座の間で、ひたすら時を待ち続けた。魔王は椅子に深く座りながらドアの方を向き、私はその傍らに固く立ち続けるばかり。正直緊張していた。
途端、だ。体が跳ねた。それだけの、眼を見張るべき光景が現れた。
締め切られた扉が、中央から発火し始めたのだ。火の手が回るのは自然な勢いとは言えず、一瞬で扉の全てが不定形な朱に染められた。遠くから見ているだけの私にも、吹き荒ぶ風のように、熱の余剰が伝わってくる。
「ほおぉ、これは面白いぞ。ネコ、お前は殺されるかもしれないな」
え? と思って魔王の横顔を覗き込む。彼のメガネは目前の火を確かに写していた。
「驚きではあるが、どうやら、客人はお前よりも強い」
直後、爆発音。部屋の奥まで風が吹き抜ける。心臓を鷲掴みにされた気分だった。
扉は枠組みも取っ手も残さず全てが消え失せ、灰燼に帰している。そうして扉が透けた景色に見えるのは、たったひとりの男。目深まで茶一色のフードをかぶっていた。
「見つけたぞ」
表情は伺い知れないが、唯一見える口元から察するに、壮年の男性であるらしい。
薄汚れのローブを着込み、はだけさせていた。年季の入った格好に思えた。
そして言うなら、私がこうして彼を深く深く観察してしまうほどに、この場における彼の存在感は、凄まじかった。一瞬で、私には勝てないと思わされた。体がよだつ。
「鬱陶しい、そう怯えるなネコ。まだ目の前の男が敵と決まったわけじゃない」
「悪いが俺ァ敵だ。今のところはな」
男は想像以上に喋る。景気の良い、快活そうな声だった。
「……ふむ?」
もちろん、敵が人間である限り、魔王ならば簡単にねじ伏せることができるだろう。
私なら、目の前の侵入者にかかったところで、すぐに殺されてしまうだろうけれど。
「魔王。早速だが、まずは質問をさせろ。全ての災厄は、お前の仕業か?」
やっぱり、聞いてくることはそれだった。
「無為な質問だ。俺が本当の事を言うか、嘘を言うか、貴様には分かるとでも?」
「口が減らないな。こっちは質問に答えろと言ってんだ」
男は落ち着き払った声色だが、言葉で魔王を脅しているように思えた。怒りを冷静という皮に包んでいる、という風にしか見えない。
「まぁいい。お前が犯人ではない、という前提に話を進めるとしよう」
男は変わらず表情を伺わせることも無く、魔王が座る椅子の目先にまで、歩く。
この距離なら、私だってやれるかもしれない。目の前の男が敵であろうと味方であろうと、怪しいことには変わりないし、捕らえることができれば最上だ。魔王自身は既に、男をどうこうするつもりも無いのだろう。彼は、私に始末を任せると言っていたのだから。
後ろ手にナイフを携えながら、決意を固めた。
「まず一つ」
壮年の男は足を止めて、私たちの注意を引いた。
「魔王よ、傲慢でいないことだ。化物共は十分に、お前を殺せる力を持っている」
「……それはいきなり、面白いことだな」
二人は会話の最中。私は気構えも万端。ここだ。と言わんばかりに動いた。
一足で男の背後にまで飛び、今度は旋回して男の首を目指し、飛んだ。
「ところで魔王、この娘は誰だ」
かわされた。勢い余ってのめりこんだところを腕から掴まれ、ナイフは男の魔法によって発生した熱で、溶かされる。私自身は、逆に、首から全身を拘束されてしまった。
「おいネコ、何捕まってんの」
魔王が、私の無様な姿を見て笑っていた……最悪だ!
結局役に立てずじまいで、それどころか何でこんな笑い物にされてるの!
「まぁいい。二つ目だ」
男はもがき続ける私を捕らえたまま、語る。
「魔王、お前はすぐにでも、ここから北に向かえ。凄まじいまでに巨大な規模で、化物共の巣があるはずだ。少なくとも、俺ひとりでは何ともならない程度のな」
「今すぐか?」
「今すぐだ馬鹿野郎。さもないと、この娘を無惨に焼き殺す」
「それは構わんが」
構ってよ! 死にたくない! 少しは仲良くなれたと思っていたのに、やっぱり私と魔王の間にあるのは冷めた関係なのかな。勝手だけど、私は悲しくなった。
「殺されてもいいってのは、どういうことだ? なら何のためにお前は人間を連れてる」
男も、初めて動揺を見せているようだった。
魔王が人間と行動を共にしているコト自体が不可解なのだろう。それならば私には、何らかの特別な価値があるのかと、男はそう考えていたはずだ。どうしたって、魔王と私の不思議な関係を察するのは流石に無理がある。
「まぁいい。告げるべきことは告げた。今後しばらくは、動向を見守らせてもらう」
男の目的はなんなのだろう。単に魔王を化物の攻略に利用すること? それとも魔王が災厄を起こした犯人でないことを見極めるため? あるいは両方、かな。
「フン、ここまでよくも勝手なことを。名前ぐらい名乗れ」
魔王も快い相対はできていないようだった。男の命は彼の気まぐれ次第だ。
心配で捕らえられた姿勢から男の顔を見上げると、ニタリと釣り上がった口元が見えた。
「名前なんて、この世界じゃあってもなくても同じことだろ」
目の前の魔王から逃げるようにして、男が後ずさる。
「この娘はもらうぞ。もしコイツが大事なようなら、俺の言う事にでも従えばいい」
「ちょ、ちょっと離してよ!」
私の体は掴まれたまま、解放される様子がなかった。胴を抱え込まれ、どんどん男が背後へ飛ぶと共に、魔王から遠ざかっていく。ちょ、ちょっと待った何この状況。もしかして、このままじゃ誘拐される!? 人質にされるなんて嫌だ、本当の意味で足手まといになってしまう。私は、魔王の副官なんだ! 魔王だって私を必要としてるはず!
「ネコ!」
魔王が椅子から立ち上がって私の名前を叫んだ。
胸に光が溢れた。嬉しかった。やっぱり魔王は、何だかんだで私を大事にしてく――
「気をつけろよー」
ふざけるなぁあ!!
駄目だ! 怒りたい気持ちはいっぱいなのに、男の腕からは逃れられない。肉体強化の一点に置いても、私以上に強力な魔法を使えるらしい。化物だ、化物だ! 魔王が何らかの攻撃を仕掛けてきたとしても、逃げ切る自信くらいは最初からあったのだろう。
「……魔王がお前と行動を共にしている理由は、俺には分からん」
逃走中、男がぽつりと、語りかけてきた。
「そして、人間であるお前が魔王なんかと行動を共にしようとする理由は、更に分からん」
縦横無尽に、屋敷の中を駆け巡る。
「お前は一体、何だ」
その一言を最後に、私は、魔王の屋敷から引きはがされた。