悪役令嬢の失恋
「君との婚約は今この時をもって破棄される」
夜会の席でクロードゥエル様が言いました。
……。
「はぁ、それで?」
私は呆れて聞き返しました。
「なんだその態度は、婚約破棄だぞ? 私に何か思うところはないのか? リアンティーヌ」
思うところ……。それはまぁ、ありますね。ここまでこの人がバカだとは思わなかった、とか……。
私、ホールエイブ公爵家の娘リアンティーヌと王太子殿下であるクロードゥエル様の間に縁談があったのは確かです。
私とクロードは共に十八歳。公爵家と王家で家柄の釣り合いもいい。幼少時から仲良く遊んだ幼馴染でもあります。
なので私がクロードの婚約者の大本命であった事は確かですよ。一時は確かに周囲からほぼ確定だと見られていた事は間違いありません。
……ただ……。
私は眉間の間をウニウニと揉みました。
「理由はなんですか? 婚約破棄の理由は?」
私の問いにクロードは胸を張って答えました。
「なんでも私の出征中、君は皇太子代理として振る舞い、専横な態度を家臣たちに対して取ったというではないか! まだ婚約者の身であるにも関わらず、僭越であろう!」
クロードは確かに、半月前まで出征中でした。隣国との戦争に軍を率いて出掛けていたのです。
幸い、戦争は我が軍の勝利に終わり、クロードは帰還して凱旋将軍として王都をパレードしたのでした。もっとも、この人に戦争指揮ができた筈はありませんから、実際は配下の将軍たちが頑張ったのでしょう。
そうですね。私がクロードの婚約者なのだったら、私が王太子代理を名乗るのは僭越だと言えるでしょう。戦争中でお城の人手が足りず、国王陛下自ら頼まれて政治に関わり、混乱するクロードの家臣を見限って自ら官僚達に指示を出したのは専横と言えるかもしれません。
「家臣からの苦情が私の元に殺到しているのだ。これではいくら私でも君を庇いきれぬ。残念だったなリア」
残念と言いながらクロードの口はニヨニヨと笑っています。私と婚約破棄出来て嬉しいのでしょう。
この人は頭も要領も悪く、鈍臭い割にプライドが高く、私が何かアドバイスをすると強く反発するのが常でした。
私の事を煙たがり遠ざけたがり、これみよがしに身分低い女を侍らせて私を挑発した事もありましたっけね。
私と婚約するなどとんでもない、と公言してもいましたよ。念願が叶ったという事なのでしょう。
「……で、私をこの先どう扱うつもりなのですか? クロード。追放? あるいは処刑かしら?」
私が言うとクロードはギョッとしたような表情を見せました。
「な、なにをバカな。そこまではせぬ。婚約を破棄するだけだ。どこへなりと行って他の者と結婚すればいいだろう!」
まぁ、クロードに公爵家の姫たる私を追放する権限などないですからね。それにしてもお優しいこと。政治家としては甘くて不徹底でどうしようもありませんね。
政治というのは情け容赦のないものです。民を泣かし家臣を泣かし、他国を撃ちその民を売り飛ばし、怨嗟の声に包まれても平然としているくらいでないと、政治家など務まりません。
国王陛下や大臣達がクロードに対して抱いていた懸念は正にここでした。彼の甘さ緩さ無思慮さ加減。クロードの言葉を聞く限りにおいて、やはりその懸念は的を射ていたと言わざるを得ません。
周囲の者達は私たちを心配そうに見ています。その視線はしかし、私よりもクロードの方を向いていますね。婚約破棄をされた方より婚約破棄を叫んだ方が心配されているのです。
クロード様に周囲が見えていれば、そのおかしさに気が付いたでしょうにね。私はちょっとクロードが可哀想になってきました。
私は言いました。
「貴方は三つほど勘違いしていますよ。クロード」
クロードの目が点になります。私の言葉が意外だったのでしょう。
おそらく、許しを乞う言葉を期待していたのではないかと思われますね。もしくは私が怒り狂うか。
もちろん、私には許しを求める理由も怒る気力もありません。
「まず、私と貴方は婚約していません」
「え?」
クロードの口がカクンと開いてしまいます。
「だって婚約式をしていないでしょう? した覚えがあるのですか?」
「い、いや、無いが……。しかし君は十八歳だろう? 公爵家の姫は十七歳で婚約する決まりではないか」
そうです。慣例で決まっておりまして、だから私は婚約しております。
「それが二つ目です。私の婚約者はオドベール様です」
「オドベール⁉︎」
オドベール様は国王陛下の次男。つまりクロードの弟です。これを聞いてクロードが納得がいかないという風に目を瞬かせます。
「オドベールは君より三つも歳下。まだ成人したばかりではないか」
十五歳で成人の儀を行うのが王族の慣例です。オドベール様はクロードが戦争に出征している内に成人の儀を行い、すぐに私と婚約式を挙げたのです。
私の説明を聞いてクロードは唇をひん曲げて笑いました。
「そうか、残念だったなリア。君は王妃になり損ねた。相手がオドベールではな」
クロードがそう考えるのも無理はありません。
というのは、オドベール様は国王陛下の愛妾の子だからです。つまり庶子なのですね。勿論、生まれてすぐに王妃様の養子になっていますので、王位継承権は与えられていますけど。
しかし、クロードはまたも思い違いをしています。
「それが最後の一つです。クロード。次の国王は貴方ではありません。オドベール様です。ですから次の王妃には私がなります」
「へ?」
私の言葉を聞いてクロードの表情が真っ白になってしまいました。その間抜けな顔を見て、私は思わずため息を吐いてしまいました。
「貴方がいけないのですよ? クロード。貴方がもう少ししっかりしていればこんな事には……」
私に最後まで言わせず、クロードが私に噛み付くように叫びました。
「な、なんだそれは! どういう事だ! 王太子は私ではないか! どうしてそんな話になっているのだ!」
私の言葉を疑いもしません。素直過ぎるのも人間としては美徳かもしれませんが、王族としては不安材料になりますね。
「……ですから、貴方は次期国王として不適格だと見做されたのですよ」
短慮であり怠惰であり、やる気も向上心も認められず、奢侈で呑気でエコ贔屓が過ぎる。
女癖も悪くギャンブルを好み、横領を悪い事だと考えていない。
考えが甘く易きに流れ決断力がなく優柔不断である。
私が常々苦言を呈していた彼の欠点が問題視され、遂に大臣たちから国王陛下に強い勧告が上がったのです。
クロードを可愛がっていた国王陛下も庇いきれず(王妃様は亡くなっています)廃太子に同意したという訳なのでした。
クロード以外に王子は一人、オドベール様がいるだけでした。しかし年齢はともかく血筋が問題でした。オドベール様の実母のご愛妾は伯爵家の娘でしたからね。
ですからその血筋の補強に公爵姫である私が、オドベール様に娶せられたのです。
全てはクロードに内緒で(彼を推す者達もいましたので)行われました。たまたま戦争が起こりまして、国王陛下はクロードに出征を命じます。
クロードと彼を支持する家臣達が王都を離れた隙にオドベール様の成人式、立太子式、そして私との婚約式が行われました。あっという間でしたね。
王都に帰って来るまでクロードに事態を把握させないために、王太子府の掌握はオドベール様ではなく私に任されました。もちろん、オドベール様と国王の命を受けての事です。クロードの家臣に文句を言われる筋合いはありません。
クロードに凱旋将軍の栄誉を与えたのは国王陛下の最後の親心というものなのでしょう。
この凱旋パーティの最後にクロードの廃太子とオドベール様の立太子が発表される予定でした。
……まぁ、貴族はみんな事情は知ってるわけですけども。知らぬはクロードと一緒に出征したクロードの支持者ばかりです。
私の説明を聞いてクロードは顔を真っ赤にして憤怒の表情を浮かべました。
「そんな事が許されるものか! 父上! 父上はどこだ! 今の話は本当か! 父上!」
クロードが叫びますが、国王陛下とオドベール様はまだ入場していません。会場を怒り狂って歩きながら叫ぶクロードの様子に会場の皆様は騒然となってしまっています。
……気持ちは分かりますけどね。
私は思わずため息を吐きました。
国王陛下のなさりようはいかにも酷いです。クロードがたとえ王太子に不適格であったとしても(それは事実でしょうけども)、国王陛下がクロードと話して因果を含め、納得させてから廃太子を行うべきでしょう。
それをあんな騙し討ちのような……。いえ、ようなではありませんね。あれは騙し討ちです。
クロード本人というよりクロードの支持者や家臣。特にクロードの母の亡くなった王妃様の実家であるバーラム公爵家に有無を言わさぬための策謀だったのだと思います。
そのためにクロードが後見人のバーラム公爵と家臣を引き連れて戦地に向かった隙を狙ったのです。……私のお父様であるホールエイブ公爵の主導で……。
つまりこれはホールエイブ公爵派によるバーラム公爵派の追い落とし策という事なのです。王妃様の実家であるバーラム公爵家は、クロード様が国王になった場合、外戚になります。それを嫌ったお父様が、クロード様の廃太子にかこつけてバーラム公爵家の排除に動いたのです。
つまりこれは政変なのです。クロードはどちらかというと王国掌握を企んだお父様の野心に巻き込まれたのです。
……そして、私も……。
「貴方が、私の事を愛してくださったなら……。クロード……」
心の奥底を曝け出せば、私はクロードと結婚したかったのですよ。
私は、この自信過剰でキザでおっちょこちょいで素直で明るく楽天的な、このどうしようもない男が好きだったのです。
将来の婚約者として幼少時から一緒に遊ばされ、喧嘩をしたり泣いたり怒ったり喜んだり笑ったりした、あの頃からだんだんと彼を好ましく思うようになっていたのです。
彼が私を疎むようになろうと、その無能がだんだんとハッキリしてこようと、周囲が彼を王太子の座から追う計画を立てようと。
私はクロードの事を愛し、彼を庇い、彼と結婚しようと抵抗しました。
ダメでしたけどね。お父様には逆らい切れません。それに、我がホールエイブ公爵家にとっても、我が王国にとっても、お父様の計画が最善であるのも明らかでした。
結局私は泣く泣くオドベール様と婚約しました。するしかありませんでした。オドベール様は幼少時から私を姉のように慕って下さっていましたから、彼の事が嫌だとかキライだとかいう事はありません。
ただ、クロードの事が好きだっただけです。
クロードが戦勝将軍になった事で、私は少し希望を持ちました。この功績があればクロードの廃太子は取り消されるかもと期待したのです。
しかしお父様の計画はそう甘くありません。お父様は王都に戻ったバーラム公爵と交渉し、公爵をクロードの後見人から降りさせたのだそうです。
バーラム公爵もクロードの無能さに嫌気がさしていて(戦地でもわがまま三昧だったようです)、国王にするには不安だと考えていたそうですね。お父様が二、三の権益を譲ったら意外にあっさり引いたということでした。
こうして、クロードには味方がいなくなってしまいました。その状況で、今日のこの宴を迎えたわけです。
この宴が終わればクロードはもうお終いです。捨て扶持をもらって伯爵辺りに納まるか、それを嫌って抵抗すれば修道院にでも送り込まれて幽閉される事になるでしょう。
……あんまりだと思いました。クロードが可哀想過ぎます。彼は確かに国王には不適格な能力の持ち主ですが、悪い人間ではないというのに。
どうして彼は王家に、そして私は公爵家に生まれたのでしょう。いっそ二人とも庶民に生まれれば、王の資質など、王妃の資質など問われずに、幸せに結婚出来たのではないでしょうか。
……せめて私一人でも彼の味方でありたい。
この宴で私が彼を讃え、愛を伝え、クロードがそれに応じてくれれば、それが既成事実となって、私は彼と結ばれる事が出来るかも知れません。
そんなに甘い話ではないとは思いますけどね。もう私とオドベール様の婚約は神の御前で成立しています。今更「婚約破棄」など出来よう筈がありません。
それでも、無駄になったとしても私は、私だけはクロードの味方であると示したかった。
そう思って、そう思い詰めて、婚約者であるオドベール様と入場すべきところを一人で先に入場するという無作法な事をしてまで、私は彼の前に進み出たのです。
その途端に飛び出したのがクロードの婚約破棄宣言でした。
……呆れるしかありませんでしたよ。王都に戻って以来、王宮には微妙な空気が流れていた筈です。国王陛下もオドベール様も、王宮のクロードに会いに来ていない筈です。バーラム公爵すら顔を見せていないと思います。
勘の良い者なら状況を察する事が出来た筈です。しかしクロードは一切気にする事もなく家臣と遊んでいたようですね。その過程で私がしていた事を吹き込まれたのでしょう。
さすがに、もうダメでした。
彼の味方でいよう。彼が堕ちるなら私も付いて行こう。そのくらいの想いを抱いていたのに、彼は私を拒絶したのです。
仮初でも笑うとか、親しげにするとか、愛情を見せるとか。そうしてくれれば、私はどんな事をしてでも彼と離れなかったでしょう。
しかし、あの態度。私に一切の好意がない、憎んでさえいるというあの態度を見て。
さすがの私も一気に心が冷めてしまいました。
悲しいとか苦しいとか、そういう気持ちは通り過ぎてしまい、単に冷静にフラットな気持ちになります。テーブルをひっくり返して狂乱するクロードの姿を見ても心が動かなくなってしまっていました。
……これで良かったのでしょう。
今更、私に出来る事は何もありません。私を捨てた彼を、私がこれ以上手を尽くして救う義務もありません。愛さえあれば、そういう義理や損得勘定やそういうモノを飛び越えられるのでしょうけど、私には彼に対する愛情はもうありません。
仕方のない、やるせない思いは残っていますが、その内消えるでしょう。
ある意味、彼の「婚約破棄宣言」は私を救ってくれたのです。あれがなければ私は彼を愛し続け、彼に縋って、自らも破滅の道を辿る事となったでしょうから。
……私は遂に衛兵に押さえ付けられ、それでも見苦しく騒ぎ立てるクロードを最後に一瞥して、入場してきたオドベール様の元へと向かったのでした。
七月三十日に新作「逆転令嬢シェリアーネ ドラ息子の家庭教師をしていたらイケオジ侯爵にプロポーズされまして」が発売されます!よろしくお願いいたします!





