2.不思議 2/4
昼休み。俺は生徒指導室に居る。
生徒指導室は警察の取調室に似ている。と言ってもドラマや映画でのイメージしかないが、良からぬ事をした相手に事情を聞く場、という点で同じ閉塞感があるだろう。内装で比べれば、こちらの方は窓も大きく開いているし、机は長机だしで、こぢんまりとした会議室といった感じだ。勿論、マジックミラー越しの監視室も無い。
だが、まあ、俺がここに入っているのは、取り調べが目的ではないのだ。机の向かいに座った遠山もその辺の事は理解している様で、特に緊張した様子は無かった。
遠山をここへ呼び出したのは、音楽の授業が終わった後、教室へ戻ったのを追い掛けて。名目は出席停止中の授業や出された課題への対応だ。授業内容は誰かにノートを見せてもらって早く追い付ける様に、課題については国語――つまり俺が出したもの――は免除とするが他の科目は各担当の先生に直接問い合わせろ、という旨を伝える。
しかし名目は所詮名目、そんな話なら職員室でも出来た。要するに、職員室では聞きづらい事があったのだ。
「それと、遠山な……お前恩田とは仲が良いのか」
「ほえ。親友ですよ?」ためらいなく断言する。逆に、それが変な事なのかとでも言いたげな顔をされた。「友達はわたししか居ないんじゃないッスかね」
「そうだろうな。あ、いや……恩田は寂しい奴なんじゃないかと思ってたからさ」
本人が寂しいと感じているとは思わない。俺も控え目に表現しただけだ。
「寂しい奴なのは確かでしょうねー」
遠山は屈託無く笑う。悪く言うつもりなのじゃなくて、恩田との間の信頼関係を自覚した、親友同士の軽口だと解る。たぶん恩田の目の前で同じ事を言っても、あいつは怒らないだろう。
「まー慣れたらフツーの女の子ッスよ」
慣れるまでで無理難題だと思う。遠山はどうやって慣れたのだか……いや、それより、
「普通の女の子、か……なら、あいつも恋とかするのか?」
「恋ィ?!」
いきなり素っ頓狂な声を上げられて、寧ろ俺が驚いた。
「……何だよ」
「いやあ、先生の顔で恋とか言われると、物凄い違和感が」
「悪かったな!」
そんな風に言われると何故だか恥ずかしくなってくる。どんな不良面でも恋はするし、それは現在進行中なのだ。遠山は悪びれもせずに「サーセン」と舌を出した。
「で、諒が恋をすると何か困るんスか?」
「困るこたあねえけどさ……ただ、そのお、何だ……恩田も永井先生が、好きぃ、なのか、なあ、って、な、うん」
俺の尻すぼみな疑問を聞くと、遠山は眉間に皺を寄せ、口をぽかんと開けた。つまり呆れ顔だ。
「……何スか、それ」
「ちょ、ちょっと気になっただけだ!」
俺だってこんな事尋ねるのはどうかと思う。第一、ひとに尋ねる事柄じゃない。それも教師という立場のいい大人が、生徒の子供にして良い質問じゃないだろう。
遠山は妙に納得して、「アーハン」と小馬鹿にする様な声を出した。
「つまるところ、嫉妬ッスか?」
「し……ち、違うわい!」
思わず広島弁もどきになってしまったが、恥ずかしげ無く正直に言うなら、そうだ。
無論、俺も女子にモテたいとか、恩田に恋されたいとか、そういう意味ではない。ただ俺の生徒が、それもあの恩田が、永井先生、いや永井あの野郎に俺の知らない側面を見せているというのが、どうしようも無く癪なのだ。あんなに解りやすく好意を示す恩田なんて考えられなかった。寧ろ見たくなかった。俺にとって恩田は、フォースの暗黒面にどっぷり浸かったままで良かったのだ。
でないと、張り合いが無いというか……対抗する意味が無いと言うか……
「先生、そんな事訊かれたって、『はい』も『いいえ』も答えられる訳無いじゃないッスか。友達なら尚更ッス」
「そりゃ……そうだろうが」
「でも先生」ずい、と前のめりに顔を寄せてくる。「諒は先生が思う程、簡単な奴じゃないッスよ」
俺は逆に、体を仰け反らせて遠ざかる。
「それくらいの事は経験で知ってるよ」
「なら認識が甘いって事ッス」
何だか、遠山の口振りはいちいち辛辣だ。やたら元気な奴だと思っていたし、物怖じするタイプでもないと解っていた。しかしここまで突っ込まれるのは想定外というもの。
怒らせたのかも知れない。友達のプライバシーを侵されそうになったら、怒って当然だ。俺も興味本位でないとは否定しきれないし、悪い気はしている。ここは大人しく引き下がる事にするべきか。
「……解った、悪かったよ」
「じゃあ、戻って良いッスか? 諒とお昼食べる約束してるんで」
「ああ、良い。下らねえ事で時間取らせちまったな」
それじゃあという事で、遠山は席を立つ。俺も立ち上がるが、変に体が重たかった。
失望、落胆……そうした一言では上手く言い表せない、微妙な感覚だ。そうした曖昧さまで含めるなら、『がっかり』が一番しっくり来る、そんな感じ。
廊下へ出たところで遠山と別れた。俺は職員室へ、遠山は教室へ。しかし、職員室の戸に手を掛けた時、遠山から声を掛けられた。遠山はまだそこに居て、こちらに振り返っていた。
「ねえ先生、諒に直接聞いてみたらどうです?」
「ば……馬鹿言え! 自殺行為じゃねえか。いや、命が幾つあっても足りねえ」
そんな事をした日には、ありとあらゆる呪いを掛けられそうだ。想像するだけでも、まず死ねるレベルの胃痛が襲うだろう。
「そうッスか。なら良いッスけど」
それだけ言って、遠山は立ち去っていった。
何なんだ? 友達だけあって、恩田の影響を受けているのだろうか。物凄く後味が悪い。恩田の方も遠山に影響されて、もうちょっと明るくなればいいのに。
ああ、ちょっと明るくなった結果が、永井先生へのあれなのか……
呼吸が全部溜息になる。思わず年寄りじみた声を上げながらデスクに着くと、小平先生――本物のお爺ちゃん――が温かいお茶を勧めてくれた。
「また胃が痛くなっちゃうでしょうから」
いきなり予言めいた事を言う。
「何でです?」
「ほれ」と指差した先、俺のデスクの上に、二つ折りにしたルーズリーフがあった。B5サイズで罫線の無いタイプ。
何だこりゃ、と手に取り、開いてみる。
清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一清水太一――
文字列が目に飛び込んできた瞬間、ルーズリーフを再び閉じた。赤のボールペンで書いたらしい、真っ赤な文字が整然と並んでいたのだ。
「……恩田の仕業ですね」
「でしょうなあ」小平先生は、とは言ったものの、断言はしなかった。「事務室の方に昨日届けられたみたいですよ」
「届けられた?」
「ええ、落とし物で」
「……」
『弱り目に祟り目』というのはまさにこの事を言うのだろう。見るからに凶悪な落とし物があったらすぐに処分する様、学校全体にお触れを出すべきだ!
しかし、昨日か。恩田が職員室へ来たのは、これを探していたからかも知れない。相手に知られず呪いを掛ける実験をしているとも言っていたが、こいつの事か?
取り敢えずジャケットのポケットに仕舞っておいた。
「おや? 平気ですな」
平気なのがおかしいという風な物言いだった気がするが、今はもう、恩田の呪いが怖くなくなっていたのだ。
「まー慣れたらフツーの女の子ッスよ」
という遠山の言葉が思い出される。俺の場合は逆に、普通の女の子だと知ってから、呪いに慣れてしまった感じ。
折角下ろした尻をまた持ち上げた時、小平先生が「行ってらっしゃい」と訳知り顔で手を振った。
「それでも胃は痛くなるんだ?」
湯たんぽを抱えながら保健室に来た理由を話すと、乾先生が快活な笑い声を立てる。恩田が永井先生に云々、という部分は上手く濁しておいた。言い触らして良い事柄ではないだろう。
「少しですよ。それに、これは純粋な痛みです。受け持ちの生徒がオカルトに傾倒しちゃってるっていう、教師らしい悩みから来る」
あくまで、呪いを掛けられたのが原因じゃない。恐らく、もう呪いは効いていないのだ。乾先生は「今更?」と茶化して首を傾げた。
「で、これがその不幸の手紙ね」
先程のルーズリーフは今、乾先生の手元にある。俺はそれこそ瞬きをする間しか見ていられなかったが、流石乾先生はまじまじと眺めつつ、くすりと笑う。
「なるほどね」
何がなるほどなのか解らないが、乾先生は何かを理解したらしい。