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おんでれ!  作者: 熊と塩
4/24

1.オンリョウ 4/4

「す、すす、スミマセン、間違えましたァ!」

 いいや、間違えた訳じゃない。少しどもったのと声が上擦ったのは、まあ置いておくが、これも計画の内だ。平易に言えば、嘘吐いちゃえ、という事。嘘を言って人を騙したり演技をしたりは上手くないが、そこは国語教師、シナリオを描くのは得意だ。

「実は電子辞書を無くしてしまいまして、そこを偶然通りかかったこいつが一緒に探してくれたんですね、ええ。そうしたらこんな時間になっちゃいまして、ご迷惑とご心配をお掛けしました」

 頭の中に用意したカンペを読み上げるのは難しく、つい早口になる。杉浦先生はきょとんとした。そんな可愛らしい擬態語が似合わない風貌からすると、『ぎょどん』といった感じ。

「いやあ、しかしこいつは気が利いてくれて本当に助かりました。国語の成績も本当に良くて、課題なんか期日の一日前にかなるどぅ――」大事なところで舌を噛み、謎のフランス語になった。「……必ず出してくれるんです。本当に言う事無しって感じで、良い生徒ですよ。なあ?!」

 いきなり話を振ったら、当然「えっ」と驚かれる。

「まあそういう訳なんです。ではわたしはこれで」

 踵を返すなんて颯爽とした動作はもう出来なくて、バネ仕掛けの様な動作で背を向け、棒になった手脚を振ってその場を離れた。傍から見たらロボットじみた滑稽な歩行だっただろう。

 さっと体育館の戸口に隠れて、再び中の様子を窺う。杉浦先生が何か一言女子に向けて言うのが見えた。「大変だったな」か「ご苦労さん」か「面倒だったろ」のどれか。その後で女子生徒は頭を下げて、更衣室なんかに続く別の出口に走っていった。

 ほう、という安堵の溜息と共に、肩の力が一気に抜ける。

 怖かった……怖かったし何だか情け無いやり口だったが、これで良いはずだ。俺の失態に理由があるなら、流石の杉浦先生だって彼女を責める事は出来ないだろう。小言などはあるかも知れないが、少なくとも彼女の面目は守れた。

 極度の緊張から解放されて、思わず「うふ」と笑いが漏れる。

 これが、俺と杉浦先生の違うところだ。後付けの結果論でしかないかも知れないが、そんなところでどうだろうか、恩田さんよ。


 こんなに緊張したのは、研修生時代以来じゃなかろうか。そんな訳ですっかり腑抜けになって、職員室への廊下を歩いていた。

「先生」

 と、嫌に聞き慣れた声が俺を呼ぶ。今し方通り過ぎたばかりの、その声がする方へ振り返ると、やはりと言うか何と言うか、不気味な日本人形が佇んでいた。

「お、恩田ァ?!」

 声がひっくり返る癖が付いてしまったらしい。「何ですかその素っ頓狂な声」と冷たく言われた。

「お、お前まだ居たのか」

「ずっと居ましたよ」しれっと返される。「ついでに、ずっと見てましたし」

「見てたのか?! い、いや、いつから?」

「先生が鼻息荒く教室を出て行った後、一年生の教師に入っていくところから、ですか」

 つまり、最初からだ。

「か、隠れてやがったのか」

「隠れてませんよ。コソコソしてたのは先生だけです。私はずっと戸の横に……」

「怖えよ!」

 こいつの気配を消す能力の恐ろしさよ……進路は呪いの効力も併せて暗殺者に決まりだ、というのはあくまで冗談だが。

「……お前見てると、お化けも信じそうになる」

「残念ですけど、私は一応生き物です。と言うか先生、まだその話憶えてたんですか」

 その話というのは、この幽霊もどきとの第一次接近遭遇時の質疑応答だろう。

「ああ、そりゃお前、自分でした話くらいは憶えてるよ」忘れ去りたい過去ではあるが。「それを言ったらお前こそだろ。お互い様だ」

「忘れませんよ」

「ん、まあ、そうか」

 俺からすると、恩田こそ忘れていそうだと思っていたから、意外だ。しかし、どうして忘れないなんて断言出来るのか、そこがいまいち理解出来ない。まさか、これも呪いか? そう考えたら無意識に体が身構えていた。

「何です?」

 怪訝そうにされる。日本一けったいな奴に不審がられるとは心外だが、どうも呪いではないらしく安心した。

「いや、別に……そうだ、お前、見てたなら解っただろ? 俺と杉浦先生との違いがさ」

「そんな誇らしげに言える事ですか、アレが」

 正直、自分でも涙が出るくらい恥ずかしい。ああいう方法しか思い付かなかったし、思い付きだったにしては上出来だとは思うのだが、格好は良くない。

「まあ、良かったんじゃないですか」

「何だよ、存外に高評価じゃねえか」

「先生のハードルはどれだけ低いんです? 私はあの子が泣きを見なければ、後はどうなろうと良いんです」

 俺の行いより結果か。それは確かにそうで、俺も同じ気持ちだ。あの生徒が困った事にならなければ、俺が杉浦先生に何と思われようが知った事じゃない。しかし、

「お前もあいつが心配だったのか?」

 他人に無関心で誰がどう傷付こうが無関係、という顔をしてはいるが、こんな遅くまで残っているのだから、恩田なりにあの生徒を心配していたのだろう。でなければとっとと帰っていたはずで。

 恩田はすぐに言い返してこなかった。言い淀んでやっと口にしたのは、

「……私の事はどうでも良いでしょ」

 という、らしくない奥歯に物が挟まった様な口振りだった。

 ハハァン。俺がアメリカ人だったら、ニタついて片側の眉を吊り上げているところだが、それほど表情筋は発達していない。だから胸の内だけでそうした。

「心配りだの気遣いだのは、表に出した方が得だぜ?」

「何を馬鹿言ってるんですか?」

 口調こそ普段通りの冷めたものだが、『馬鹿』なんて安易な言葉を使ったのはやっぱり恩田らしからぬ事だ。

「隠す必要はねえだろ。お前だって女の子だからな、同じ女の子に優しい気持ちになったって誰も笑わないぞ。それが自然だからな。もっと素直に生きろよ」

 こいつが捻くれた人間だという意識は確かにあった。恩田は恩田なりに、無感情さに対して素直に生きているとは思うが、思い遣りまで余計な感情の様に扱うのはやりすぎだと思うのだ。

「先生……」

 どっしりとした低い声が、俺の言葉を堰き止める。いつもの暗くて怖い恩田の声に戻っていた。

 しまった。ついつい調子と図に乗って、いい気になってしまった。本質的に杉浦先生なんかとは比べものにならない程恐ろしい相手なのに、つい気を抜いてしまった。『なんたる失策であることか!』というのは、俺が好きな井伏鱒二『山椒魚』の初めの一文だが、そんな空気を読まない一節が、こんな冗談にもならない場面で頭の中に充満した。

「今実験をしてるんです」

「じ、実験? 何かな? 水上置換かなあ……」

 聞きたくない。聞いたら終わりだ。聞かさないで下さい。耳を塞ごうにも金縛りに遭った様に身体が動かないから、現実逃避して意識を塞ごうとした。だが、そう上手くはいかない。

「先生も言ってましたよね、呪いは言葉の力だって」

「ああ、うん、言ったねえ……」

 言った言った。全く何を言ってんだかねえ、はは、ははは。

「言葉である以上、相手にも聞こえないと意味無いですよね? 呪詛を使わない呪いもそうなんですよ。例えば藁人形を使ったものだと、相手に藁人形を送りつけないと、効果が出ないんです」

「あー、そうなんだー、へー」

 やめて。もうやめてあげて。それ以上聞かされたら俺、死んじゃうかも知れない。俺の心が遠くの方で悲鳴を上げている。

「でも、相手に知られなくても掛かる呪いがあるかも知れない。それを探して、実験してるんです」

 もしそんな呪いがあったら、もう何でもありだな……と言うか、恩田がそんな方法を見付けてしまったら、どんな大量破壊兵器より強力だ。恩田を手にした国が世界を掌握するレベル。そうなったら恩田人造計画とか、オンリョウ抑止論とか、恩田の傘とかを世界中の識者が真面目顔で話し合って、第二次冷戦が巻き起こりかねない。怖すぎる。

 無理矢理巫山戯た方向に思考を飛ばそうとしても、目の前の現実から逃れる事は出来なかった。

「先生、実験台になってくれますか?」


「おや! 清水先生、もう宜しいので?」

 遙か彼方からお爺ちゃんの声がする。いやそんな馬鹿な、祖父はもう何年も前に他界したはずだ。これは幻聴だろう。

「清水先生、まだ顔が真っ青ですがな。もっと休んだ方が良いですよ。薬飲みました?」

 精神安定剤の事か。そう言えば、あの薬剤師のおじさんが見事なハゲなんだよな。見る度に叩きたくなる。まあ、そんな人最初から知らないんだけど。

「先生? 先生?! ……ああ、だめだこりゃ」

 乾先生、今からまたお世話になります。

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