4.告白 3/4
「と、遠山……! 何でこんな所に?」
「こっちが聞きたいッスよ。柴が先生追っ掛けて教室飛び出したり、コソコソ職員室に行ったり、どうも怪しかったッスから」
迂闊な奴だ、と柴を睨む訳にもいかない。大して怪しい事はしていないはずだ。
「……勘の良い奴だな」
「言っておくッスけど、諒はもっと鋭いッスよ?」
この前、遠山をここに呼んだ事だろう。成る程、公的な理由があってもお見通しか。
なら話が早い。
「遠山、ちょっと来い」
「何スか?」
生徒指導室に戻りながら、遠山を引っ張り込んだ。
「何スか何スか? まりあも片棒担がされるッスか?」
「いや……遠山、柴が恩田の事を好きになっちまったそうなんだが、どう思う?」
「え、ちょ……?!」
柴が横からわたわたと止めに入るが、それを片手に払い除けて遠山の返事を待つ。
「げぇ、意外」
「ふはは、意外だろう」
ややあっさりではあったが、割と思った通りの反応に気を良くする。
「それで、勝算はあると思うか?」
「うーん、無いッスね」
「ええぇ?!」
こりゃ随分とバッサリいったモンだ。一刀両断された柴は、腹話術の口パク人形宜しく、口をぽっかり開けて目を剥いた。
「どうして断言出来る?」
「だって諒は……ねえ?」
「『ねえ』と言われてもな。まあ、応援しても良いって気にはならないか?」
「無理だと思うッスけどねえ、応援くらいなら……いや、でも、うーん……」
煮え切らないな。遠山も俺と気持ちは同じだろうに、何を躊躇う事があるというのだ。柴が気に食わないと言うなら、少しは察するところはあるが。
「ま、頑張って下さいッスよ。まりあは諒の味方ッスから、お二人でなく」
「何だ。応援してくれないのか」
「諒の決める事ッスから、応援もへったくれも無いッスよ」
まあ、それはそうなのだが。
さて、いよいよ放課後である。
柴には色々仕込んでおいた。まず指定の場所、特別学習棟の裏手に恩田を呼び出す様よく言って聞かせた。その場所なら人目に付かないが、男子トイレが直上にある。時間も指示しておいた。部活だ何だと理由を付けて、俺が三者面談を終えた時間になる様にさせた。つまり、俺が告白の場面を見守っているのに格好のシチュエーションだ。
そもそも恩田がその場所にやって来るのか、その時間まで待っているのか、その辺りは何とも言い切れなかったが、恩田を信じる事にした。そうした類の呼び出しもまた慣れていないはずだからだ。
三階の窓からそっと顔を出して、柴の様子を見遣る。そわそわと落ち着かず、頻りに周囲を見渡していた。恩田や俺の姿を探しているのだろう。残念ながら、俺がここから見ている事を柴は知らない。もし教えたなら不自然に何度も俺を見上げて、恩田に気取られるだろうと判断したからだ。
よしよし、抜かり無い。後は柴の度胸と恩田に期待しよう……
「まさに高見の見物ッスね」
「ぎゃッ」
背後から声を掛けられ、思わず窓から飛び出しそうになった。
語尾だけで誰か解る。遠山だ。男子トイレだというのに平然と入ってきやがった。幸いな事に、俺の悲鳴は柴までは届かなかった様だ。
「……良くここが解ったな」
遠山には反対されたから、作戦内容は教えていない。遠山はさも当然と「尾行したッス」と胸を張った。
「先生の思考を見抜くなんてちょろいモンッスよ。行動起こすなら今日中だろうと思ってたッス」
「そうかよ。どうせ俺はアメーバさ」
「どういう意味ッスか?」
「単細胞馬鹿」
ふて腐れていると、遠山は俺の隣に来て、柴を見下ろした。
「何だか既に駄目っぽいッスね」
「そう言ってやるなよ。アレでもあいつは本気だ」
恩田に惚れた気持ちは本物だろうが、柴は柴犬以下、チワワぐらいの肝っ玉だ。遠目からでも玉の汗が見える様な緊張ぶり。昨日の今日ですぐ告白まで持ち込むのは些か性急だ、という指摘は解るけれど、こうでもしてやらなければ気持ちを打ち明ける事は永遠に不可能じゃないか。
「諒が来なかったら、どうするんスか?」
「そうだな。そん時ゃ柴の肩叩いて『明日があるサ』だろ」
「明日も来なかったら?」
「同じ事をやる。柴自身が恩田を諦めるまで続ける」
「それ、柴の為になるッスかね」
「どうだろうな」
何度繰り返したって構わない。好きだと思う気持ちがあって、好きだと伝える機会を得られるのなら、何度でも何度でも、試してみるべきなのだ。
たぶん俺は、柴に少しばかり自己投影している。恩田を乾先生に置き換えて。
そう考えると、何だろうか、つまりこれは自己満足なんだろうか。柴と恩田で模擬実験したいだけなんだろうか。恩田の為にもなるというのは、偽善だろうか。
いや違う。俺を投影している相手は、恩田でもあるのだ。
恩田は孤独だ。天涯孤独なんて格好良い言葉は使えないだろうが、それでも、寂しい。俺も寂しかった。
慣れというのは恐ろしくて、普段は寂しさなど感じないが、ある時ふと思うのだ。自分は何て憐れなんだと。それこそ惨めな自己陶酔かも知れないが、そうした自惚れを口走る相手が居ない場合の心理は実に陰惨なもので、どういう事だかより孤独になろうとし始めたりする。「俺の気持ちは誰にも解らねえ」という、身も蓋も無い論理で全てを片付けてしまうからだ。本当は身近な理解者を求める癖に、欲求が強すぎるあまりに誰をも近付けない壁を作り出す。孤独とは要するにそれだ。
なら、踏み込もうとする誰かを受け入れる機会があって良いじゃないか。好きだと言ってくれる誰かを好きになる、そんなチャンスが訪れたって良いじゃないか。
好きだと言いたいし、好きだと言われるのを待っているんだ……俺は。
「……気持ち悪い」
「何がッスか?」
「いや、ただの独り言だよ」
本当に、どこまでもただの独り言だ。
「今日は晴れたなあ」
昨日までの曇り空が嘘の様な、爽やかな夕方だ。こんなさっぱりした空の下に顔を突き出して、一体何を考えてるんだかと馬鹿馬鹿しくなった。俺はただ、恋愛相談してきた生徒を手伝ってやっただけ、それで片付ければ済む話じゃねえか。
「先生、一つ言っておきたいッスけど……」
遠山は急に、一段低い声で言った。
「もし、これが諒の為にもなると思ってるなら、それは無いッス」
「ああ……」
折角上手くまとめたというのに、蒸し返された様で軽く苛立った。まあそれを遠山にぶつけたら八つ当たりになるだろうが。
「……まあ、そういう考えはもう持たない事に決めたんだ。結局恩田次第で、何でも良いんだろうしな、変わるきっかけってやつは」
「今のままの諒じゃ駄目なんスか」
「駄目って言うか、あいつ自身が困る事になる。あいつの将来が心配で……いけないな。言った端からまたやってら」
どうもこれは性格らしい。恩着せがましいったらないな。
「だったら、先生」
遠山が身体ごと俺に向き直る。俺は顔だけで見返した。
「先生が諒を好きになってやっても良いんですよ」
「は? 何だそりゃ」
笑えない冗談だ。どうして今まで何度も呪い殺されそうになった相手を好きになる?
生徒としては酷く気になる奴だ。けれど、だから何という訳じゃない。そもそも女として恩田を見た事なんて一度も……いや、あるか。まあそれにしたって、ただの餓鬼だと思ってたのに意外と、なんていう娘の成長を垣間見た親父みたいな心境でしかない。
恩田が恋愛対象になる? ハッ、有り得ないね。絶対に、絶対にだ。
「……お」
噂をすれば影というものか、漸く恩田が現れた。こちらには気付いてない様子で、柴に歩み寄っていく。柴の方は恩田の姿を見付けるなり、気を付けの姿勢で硬直した。本当に解りやすいヘタレだ。
壁に反響するお陰かどうかは知らないが、特別な努力を必要とせず、二人の会話は聞こえてきた。