4.告白 2/4
「ああ、恩田か。恩田ね……恩田だァ?!」
思わず大声を上げると、タイル貼りの壁に反響する。「ひィ」と柴は悲鳴を上げて掃除用具入れに逃げ込もうとした。
「お前は正気か? どうかしてんじゃねえのか?!」
「わわわ……そんなに言わなくても良いじゃないですかぁ……」
歪んで開きにくくなった戸と格闘した挙げ句、諦めて張り付く様に萎縮した。何と非力な奴。
しかし……
「理解出来ねえ。どうして恩田だ、恩田のどこが、きっかけは?」
「一気に聞かないでくださいよぅ」
実に情け無い顔をして、柴は質問に答えていく。
「恩田さんって、格好良いし……」
「待て。格好良いって何だ?」
女子に対して格好良いと言うのは、大抵がやはり女子だ。男らしい時、女子共通の敵である男子を打倒した時に――と言うのも何だか矛盾した気がする――使う。少なくとも柴はそこそこに男子だし、恩田はそんなキャラクターじゃない。
「昨日、ぼくも体育館に居たんです。バレー好きだから……」
「ああ、なるほど」
つまりこの場合、生徒全員の敵である杉浦先生に勝ったから『格好良い』のだ。
「それにいつも、その……先生を言い負かしてるし」
「ああん? ありゃお前、負けてると言うかだな……」
勝負じゃない。仮に勝ち負けで割り切らなければならないなら、俺はいつも不戦敗だ。
「だいたい、何だって俺にそんな相談持ちかけて来るんだ。俺は教師だぞ。お前だって他に相談する友達が居ない訳じゃなかろうに」
「だって先生……恩田さんですよ?」
と、一言だけで合点がいってしまう。俺の友人がオンリョウに恋をしたなんて言い出したならきっと、「目を覚ませ、お前は悪い呪いに掛けられているんだ!」と頬を張っているだろう。それくらい尋常でない。
しかし柴の気持ちも、まあ解らないでもない。
今でこそ何だか気持ちの悪い物であるとか、和製ホラーの象徴的存在として扱われがちだが、日本人形とは本来可愛い物であって、日本人形風の恩田も外見だけ見るとなかなかに可愛らしい顔立ちはしている。要は印象の問題だ。一遍好印象を抱くと、暗澹とした雰囲気の向こうを見通せる。それがある種の盲目だ、というのが恋であって。
「……解った、応援してやる。校内恋愛を禁止する校則は無いしな」
「本当ですか?! やった」
「ああ。ただし、詳しい話は後で聞いてやる。昼休みにでも職員室に来い」
柴は文字通りに小躍りして喜んだ。いちいち動きがコミカルな奴だ。
「それってつまり、どういう事?」
「ですからね、あいつの相談に乗るにあたって、傾向と対策を乾先生にお伺いしようと」
「あの子にアピールするには何が効果的か教えろ、って事かしら?」
「その通りです」
俺だって考え無しに柴に返事した訳ではない。乾先生という心強い味方あってこそだ。
「……あのね、清水君。あの子の面倒は見てるけど、わたしは親じゃないのよ? それに親だったら尚更協力しにくい話じゃない?」
「なら女性としての意見でも良いんです。何か助言が欲しくて」
「世間一般の女の子の考え方が、あの子に当て嵌まるとは思えないけど」苦笑いを浮かべながら問い返される。「何だか随分と積極的じゃない?」
「そうですか?」
「嫌々ながら仕方無く、って感じには見えないわね」
俺だって、柴にあんな相談を持ちかけられるとは存外だった。そもそもから俺は色恋沙汰だとか、女性の機微だとかには疎いという自負もある。だから俺の恋はなかなか上手く行かんので、そんな俺は「俺が知るか、勝手にしろ」と突っぱねるのが正しい対応だったと思う。でも俺は、
「俺はただ……恩田は恋愛をした方が良いと思うんですよ」
「この前も聞いた気がする台詞ね」
「いや、この前とはちょっと事情が違いまして……」
以前の永井先生に関する疑惑は乾先生には話していなかった。まあ、俺の取り越し苦労だった訳だから、今更話す必要もあるまい。
「恩田はオンリョウなんて呼ばれてますけど、逆に、取り憑かれているのは恩田の方だと思えませんか? 呪いとかこっくりさんとかに」
「そうとも言えるね」
「俺はあいつが心配なんですよ。もう進路の事を考えなくちゃいけない時期で、将来が物凄く近くまで差し迫っているのに、あいつは現実を見ていない。昨日の一件でそれがよく解ったんです。こんな時に問題起こして、停学だの退学だのになるのはまずいって発想が無いんだって。自分を大切にしようとか、未来を見ようとか、考えられない奴なんですよ、あいつは」
きっとそうだ。いや、そうに違い無い。俺は喋りながら少しずつ確信を得ていく。
「恩田は、自分で自分を追い込んでる様に見えるんです。あいつだって本性は脆いだろうに。自虐行為じゃないですか。そんなのまるで、リストカットを見せ付けられてる気分ですよ……だから、あいつには支えになる相手が必要なんだと思います。強い奴でなくても、立派じゃない奴でも良いんです。ただ、誰かを好きになって、誰かに好かれて、自分を見る目を持つ様になってくれれば……」
自分の熱弁ぶりに、自嘲気味になる。論理的でも理性的でもない、どこからか涌いて出た怒りに似た感情に任せて口を動かしていた。馬鹿じゃないか。
「……何だか傲慢ですね。勝手な大人だ。殆ど思い込みで決め付けて話してました。まだあいつとちゃんと話した訳じゃないのに」
急に恥ずかしくなって鼻の頭を掻くと、乾先生は「ううん」と首を横に振ってくれた。
「あの子の事、想ってくれてるのね」
「そりゃ、こう見えて担任の先生ですから」
冗談めかして笑ってみせるが、乾先生は真面目な顔を貫いた。
「清水君の考えは間違ってない。あの子の為にもなると思う。だけどね……」
そこで一度言葉を切って、意を決して様に継いだ。
「だからって言って応援しても、その男の子の恋は実らないわよ。絶対にね」
「どうしてです?」
さっきは、親じゃないから解らない事もある、という話だった気がするのに、今度はきっぱり断言するなんて、どういう事だろう?
乾先生は俺の問いには答えず、代わりに、
「清水君が裏に居たんじゃ、尚更よ」
「は、ははは、ですよね」
まあ俺が相談役では役不足だろう。それでも何かしてやりたいという気持ちに嘘偽りは無い。
何か他にも言いたげな乾先生だったが、言葉を飲み込む様に溜息を吐いた。
「……一つアドバイスするなら、うじうじしてる男はまどろっこしくて嫌。思わせぶりなのも面倒で駄目ね」
自分の事を言われた様で正直ドキリとしながら、「はい」と間の抜けた返事をした。
何と解りやすい奴だ、柴よ。授業中にも関わらず、恩田に向けて熱視線を飛ばし続けている。恩田の方は気付いているのかいないのか、俺の話を聞いているのかいないのか、相変わらず窓の外を見続けている。きっと柴の目には、この姿さえ神々しく写っているのだろう。
「え、ええ?! いきなり告白ですか……?」
「そうだ。うじうじしたって仕方ない、ガツンとお前の気持ちを伝えてやれ」
いつも生徒指導室が空いているというのは、学校が平和な証だ。柴相手に椅子は使わない。入るなり戸口の前で男の立ち話だ。
「妙に気を引こうとしたり、思わせぶりにしたりは逆効果だと思わないか?」乾先生の受け売りを尤もらしく披露する。「お前にそういう器用な真似が出来るとは思えんし、『鉄は熱い内に打て』ってことわざもある」
「確かにそうですけど……でもぼく、自信無いですぅ……」
「『ですぅ』じゃねえ、腹括れ。『お前が好きだ』とスッキリキッパリ言い切ってしまえ。よく考えてみろよ、相手はあの恩田だぜ。きっと言われ慣れない台詞に違い無い。驚いたり戸惑ったり照れたりする顔は見物だと思わないか?」
「趣旨が変わってきてますよぅ……」
確かにそうかも知れない。が、そんなのは重要じゃない。
「鳴り物入りで告白したんじゃ意味ねえだろ。『ああやっぱりね』と思われたら負けだ」
「うぅ……出来るかなぁ……」
「出来る! はなっから無理だと思って掛かったら何も出来ん。だから出来る! ほら、お前も言ってみろ、『出来る!』」
「で、出来る……」
「出来る!」
「出来るッ」
「デ、ビール!!」
「出、来ーる!!」
よし、完全に乗せられたな、柴。これくらいしないと一歩も踏み出せないだろうから、丁度良い。俺は柴の肩を抱きながら言った。
「その意気だぞ、柴。さあ決戦は放課後だ。急すぎるとかそんな弱音は吐かないだろうな? さあ、英気を養ってこい」
「は、はいィ……!」
よしよし、その調子だ。
笑いながら生徒指導室を出る……と、目の前の壁に一人の女生徒が立っていた。恩田ではない。
「何かの悪巧みッスか?」