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おんでれ!  作者: 熊と塩
12/24

3.親の顔が見てみたい! 4/4

「痛いものは痛いし、ムカつくものはムカつきますよ? 人は腹が立てば他人を呪いたくなります。それが普通です」

 反論を受け慣れていない杉浦先生は、突然噛み付かれて面食らった。

「杉浦先生は『呪詛』を信じてるんですか? 呪いなんて非科学的だと否定されるかと思ったんですけど。科学も解らないから何でもかんでも信じ込むんですか。地表は平らで、太陽が動いてるんだと言い出しそうですね。弥生人レベルです」

 恩田の口調は普段通り淡々としていて、低い。怖いものは無いのか、こいつ。俺も同じ様な事は考えたが、口に出せなかった。だって相手は杉浦先生だぞ。

 火に油を注ぐとはこの事だ。恩田の挑発で、杉浦先生の怒りは簡単に爆発した。

「おいてめぇ、誰に向かって口利いてんだ!!」

 怒号に思わず耳を塞ぎそうになる。しかしびくりと震えた手は、後ろから遠山に掴まれた。爪が食い込む程に、強く強く握り締められる。

「何ムキになってるんですか? 正鵠を射られて冷静さを欠いてるんじゃ、子供と同じですよ。いい歳こいた大人が……いえ、縄文人が」

 もっと年代が下がってる。

「二人とも落ち着きましょう? ね、落ち着きましょう?!」

 田原総一朗ばりの仲裁も虚しく、とても割って入れた空気じゃない。俺はどっちにも敵わないのだ。

「呪って差し上げましょうか、杉浦先生。どんなのが良いです? それとも帰り道にご自慢の高級車で自損事故とか? それとも毎晩通い詰めているラーメン店でミミズラーメンでも出させますか?」

 どっちも地味に怖い。杉浦先生の生活を把握しているのも怖い。いや、そういう事ではなくて、

「恩田お前、教師に向かってそれは無いぞ!」

「教えられたのは我慢と侮蔑の感情だけです。反面教師というやつですか」

 誰が上手い事を言えと……いやいや、そうでもなくてだ。

 杉浦先生にこれだけ楯突けて、侮蔑を露わに出来るのは、この学校で恩田ただ一人だろう。溜飲が下がる思いはしないでもないが、罵詈雑言は問題を悪化させるだけだ。それにこうも言葉を重ねるのは、普段の恩田のやり口とは違う。

 八つ当たりしているのかも知れない。真実だとすれば他クラスの女子を呪ったのも、杉浦先生を悪し様に罵るのも、遣り場の無い苛立ちが、ちょっとした切っ掛けで発露したのかも知れない。俺と同じだ。

 だとしたら俺は……恩田を守ってやりたい。

 けれどそうした些細な願望は、叶わないのが理だ。

「恩田、生徒指導室に来い!」

 杉浦先生が今にも掴み掛かりそうな様子で脅かすが、恩田は薄く笑みを浮かべた。

「お断りします。吐き気を催したので、保健室に行きます」

 恩田はそれだけ言うと、くるりと踵を返して、悠然と出口に向かっていった。

「待てよ、てめ――!」

 追い掛けようと踏み出した杉浦先生だったが、俺の足に躓いて転ぶ。予測していなかった障害に手を突く間も無かったらしく、どたっと音を立てて倒れた。俺は別に何もしていない、不慮の事故だ――たぶん。

 保健室へ行くと言ったが、本当にそうしたかは知れない。俺も追おうと思ったのだが、杉浦先生からこっぴどく叱られてそれどころではなかった。昼休みが終わる頃に漸く解放されて保健室を訪ねてみたが、恩田の姿は無かった。乾先生は今日も早退だ。だからか、恩田は帰宅してしまったらしく、その後教室に現れる事は無かった。


 三者面談を終えて、俺は電車に飛び乗る。通勤にいつも利用している訳だが、今日はただ帰宅目的じゃない。自宅の最寄り駅で降りて、家とは逆の方角に歩を進める。そちらの方が、恩田の家だ。

 住所を頼りに進むと、駅前の賑わいから少しずつ逸れていく。雑草だらけの畦道、畑が広がり、ぽつりぽつりと日本家屋が遠くに見える。住み慣れた町なのに、別世界に迷い込んだ様な錯覚が起きた。電柱で現在地を確かめながらだが、間違ってない。

 雑木林の入り口に差し掛かった。左右を竹垣に囲まれた、車一台が漸く通れるくらいの細い道だ。その一本しか道は無い。薄暗い空模様の上、樹木がトンネルを作っているのだから、不気味な暗黒を作り出している。躊躇したでも仕方無い、行くしかなかろう。

 おっかなびっくり早歩きで、うねる道を抜ければ、目の前に豪邸が聳え立つ。屋敷という呼び方が相応しいだろう二階建ての奇妙な家。和風とも洋風とも取りがたいのは、壁一面を蔦植物が覆っているからだろう。その所為で景色に溶け込んだ、うっそりとした佇まいはまさに『オンリョウの住む家』だ。言い換えればお化け屋敷。『この屋敷からは生きて帰れない』などというキャッチコピーが添えられたら、身の毛もよだつホラー映画の完成である。

 そんな余計な事を考えて勝手に背筋が寒くなるのを感じながら、門扉のドアブザーを押した。スイッチらしからぬ弱い手応え。その不安通り、ブザーが鳴った様子は無い。壊れてやがる。

「お邪魔します……」

 ギギギ、と嫌な音がする門を開け、伸びきった雑草の隙間に庭石を探しつつ、ドアに至る。屋敷は間近に見ると物凄い圧迫感がある。気のせいだと言い聞かせながらノックした。

「すみません、どなたかいらっしゃいませんか? すみません……」

 声を立ててみるが、恩田家はしんと静まりかえっていた。留守だろうか。

 恩田は直帰したのではないかも知れない。例えば行きつけの古本屋があって、黒魔術の本を探しているとか……或いは青い顔をしたマスターの居る喫茶店でドロドロのコーヒーを啜ってるとか……ああ、そうだ、そうに違い無い。ここに恩田は居ないのだ!

 急に怖じ気づいた俺は踵を返し、颯爽と屋敷から離れた。だって怖いんだもん。

 庭先の中程まで行った時、背後から鍵の外れる音がした。そして錆びた蝶番の軋む音。 ごくりと唾を飲む。

「どちら様ですか?」

 期待した様なおどろおどろしいものではなく、明るい声がした。恩田のではないが、聞き慣れた声。

 振り返ると、その人は口に手を当てて驚いた。いや、驚いたのはこっちだ。

「い、乾先生?!」


 屋敷の内装は、外観と打って変わって、実に質素で清潔だ。蜘蛛の巣の一つでも張っていれば逆に納得出来ていただろう。

 いや、何よりも意外なのは乾先生の存在だ。だだっ広いリビングに通されて、そこらのホームセンターで買ってきたみたいなテーブルに着き、白衣を脱いだ乾先生と一緒になってマグカップで温かい紅茶を飲んでいる。俺にとっては異常極まりない状況で、酸欠になるかと思うくらい心臓が激しく脈打っていた。

 暫く続いた重たい沈黙を、乾先生が破ってくれる。

「……ごめんね、嘘を吐いて」

「ああ、いえ! 良いんです……先生にも、色々と事情があるんだと思ってましたから……」

 俺の馬鹿! その『事情』を聞くべき場面で壁を作りやがってからに。お陰で気まずくなったじゃないか。乾先生が目を伏せてしまったぞ。

「お、恩田はどうしてます? 大丈夫、ですか」

「ええ、平気。少し苛ついてただけよ。学校抜け出した事だって悪いと思ってるわ、きっと」

「そうですか……それなら良かった」

 何が良いのか、自分でも解らない。大変なのはこれからだ。理不尽さは知ってるが、あの言い様は恩田に非がある。杉浦先生はすっかりお冠だ。ただじゃ済まされないだろう。

「杉浦先生の事なら問題無いわよ。わたしが何とかしておく」

「『何とか』って、具体的には?」

「怪我をしたバレー部の子を診たけど、よっぽど気を抜いてたみたいね。体育館履きの踵が潰れてた。シューズをちゃんと履かないで運動したら、足を挫いて当然よ。自業自得の事故ね。大した事無い怪我だし、明日には普通に歩けるわ」

「はあ、でも……」

 だからって、恩田がお咎め無しになるとは思えなかった。

「清水先生、わたしを誰だと思ってる? 保健室の先生よ?」ふふん、と勝ち気に微笑む。「わたしが全く問題無いと言ったら無いの、怪我については。対して、何の専門的知識も無い杉浦先生は、呪いだ祟りだ言って女子生徒の一人を責める。どっちに理があると思う? 今度の事は杉浦先生が大袈裟に騒いだけ。理不尽な処分には反発するよ、あの子だって、わたしだってね。相手が杉浦先生だったとしても、私的感情に任せて生徒を好き勝手にはさせないわ。それが本当の学校風紀ってものじゃない。兎に角わたしに任せなさい」

「こ……心強い」

 あっはっはっは、といつもの調子で笑う乾先生は、本当に頼もしかった。笑い声の合間に「杉浦先生には弱みもあるしね」と言ったのが気に掛かったが、敢えて訊くまい。

「それにしても、清水先生は優しいね。あの子の為にわざわざ来たんでしょう?」

「いえ、俺はただ担任として当然の……」

 ちょっと格好いい事を言おうとした瞬間、こめかみの辺りに何かが高速で飛んできた。

「あ痛ッ!!」テーブルの上に転げ落ちたそれは、藁人形だ。胴の辺りから突き出したのは、五寸釘。「あ、危なッ」

「おばさんは本当におしゃべりですね」

「お、恩田……!」

 あれから着替えてないのか、未だにジャージーを着た恩田がリビングの出入り口に立っていた。

「お前、心配して来てやったのにこんなもの投げ付けるとは何だ! と言うか、乾先生に向かっておばさんとは何だ! お姉さんの間違いだろう!!」

「あ、清水先生、良いの良いの。本当に『おばさん』だから」

 乾先生は立ち上がって、恩田の傍に歩み寄ると、少し前へ押しやりながら肩に手を置いた。

「この子は姉の子供……つまり姪にあたるわけ」

 恩田は乾先生をちろりと見上げて、実に鬱陶しそうな顔をした。

 言葉を失う。とうとう窒息が始まった様だ。

 事実は小説よりも奇なり。

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