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おんでれ!  作者: 熊と塩
11/24

3.親の顔が見てみたい! 3/4

 いくらオンリョウと言えど、その姿を一瞬に消し去る事など出来ない。廊下の逆方向には階段がある。二階を回って去ったのだろう。

 単純明快だ。けれど、胸の中にはもやもやとしたものが充満したまま、三者面談を全て終えた。

 この雨はいつ上がる? 職員室へ通じる渡り廊下を歩きながら、窓の外を眺めた。気持ちの悪い小雨は今もなお降り続いている。天気というのは、人が望もうが望まなかろうが関わり無い。でも、この雨は誰かの為に降っている様に思えた。こういう感傷は芥川龍之介的だろうか。

 ふと、視界の隅に黒い影を捉えた。向かいにもう一方架かる渡り廊下の下、ピロティの辺りだ。それは薄暗がりの中、更に蔭る柱の横、なおも真っ黒に塗り固められた人影だった。黒い雨合羽――いや、あれはポンチョだろうか――を羽織った、小さな人物。俺の脳は刹那に外套を腰丈の黒髪に代えて、その映像をこの目に渡してくる。

 恩田だ。もうとっくに下校したものと思っていたが、どういう訳かまだ居た様である。きっと今の姿を誰にも見られたくないと考えただろうから、どこかに身を潜めていたのに違い無い。ならどうしてそんな事をしたのかと思えば、家に帰りたくなかったか、誰かを待っているかとしか推考出来ない。すっかり帰り支度をしたまま立ち尽くしているのを見ると、やっぱり何かを待機している様だ。

 なら、一体誰を待っているのかが気になった。遠山はもう今頃は家に居るだろう。

「親か……?」

 ふとした期待から思わず独りごちる。面談の時間はとっくに過ぎている。それでも親を待っているのだとしたら、それは何とももの悲しいけれど、同時に可愛らしい子供らしさだ。

 しかし、まあ、結論から言えば、俺の推察は外れた。

 暫くの間、息で窓を曇らせながら恩田の後ろ姿を見守っていたが、通りかかった吹奏楽部の生徒に訝しげな視線を向けられるのに気を取られ、目を離したその隙に、ピロティの奧、恩田の前に一台の軽自動車が停まっていた。薄茶色の落ち着いた色をした車だ。ハッとして、やっと親が来たのかと思ったが、それも違う。俺にはその車に見覚えがあった。

 あれは、乾先生の車だ。

 乾先生が恩田の姿を認めて、声を掛けたのかとも思った。しかし、恩田はゆっくりと歩み出し、躊躇うことなく助手席のドアを開け、乗り込んでいった。

 これは何事だ。どうして乾先生が恩田を? 知り合いじゃないと言っていたじゃないか。

 気が付けば、俺は窓硝子にべったりと張り付いていた。

 もう、訳が解らない!


 悄然と保健室の戸を開ける。乾先生は各クラスの病欠状況をチェックしていた様で、ペンを構えたまま椅子をくるりと回して振り返った。

「あら、またサボり?」

 悪戯っぽい微笑み。いつもと変わらない調子だ。

 恩田との関係と、それを隠す理由を確かめに来た……と言ったら、欺瞞的だ。

「昨日は早めに帰られたみたいですね。体調、悪いんですか?」

「いいえ、身内の事情ってやつよ」

 身内、か。乾先生と恩田とが『身内』とは到底考えられないが、深く追及出来ず、「そうですか」と返していた。

 正直言って、怖い。

 乾先生は、はっきりしていて気持ちの良い人だ。そんな人が嘘を吐いてまで誤魔化そうとする。何か事情があるのだとしたら、触れてしまうのが躊躇われる。

 それに、俺は自惚れ屋じゃないから、乾先生が少しでも俺を親しく感じてくれているなら、話してくれると思うのだ。でも、そうじゃない。もし俺から勘ぐって嫌な気持ちにさせたら? それでもひた隠しに突き放されたら?

 好きな人だから、嫌われたくない。これは単なる保身の気持ちだ。誰に対する思い遣りでもない。

「昨日の三者面談、恩田の保護者は来なかったんです」

「あら、そう。困った親も居たものね」

 乾先生はさらりと言う。

「あまり気にしない方が良いわよ。胃の為にもね」

「はは、そうですね……」

 会話を上手く弾ませられないまま、休み時間の終わるチャイムを待たず、俺は保健室を後にした。


 何でもない風を装っているのは、恩田も同じだ。雨は三日目までは続かなかったが、外は未だにどんよりとした曇天だ。恩田は窓越しに灰色の空に目を遣っている。俺の授業なんか聞いちゃいない。

 恩田の様子を、遠山は時々不安げに見ていた。

「せんせーえ」

 女子が突然手を挙げる。

「何だ」

「ここはこの前の授業でやりましたー」

 う……色んな事が気に掛かる所為で、ついうっかりした。授業を始めてからもう二十分も経ってるじゃないか。

「そういう事は早く言え!」

 つい八つ当たりしてしまう。俺も苛立っている様だ。大人気無いったらない。


 四限目、俺が一年生の授業を執っている時、その些細な事件の報せは、慌ただしい足音と共に飛び込んできた。

「先生、大変ッス!」

 体操服姿の遠山だった。余程大慌てで駆け付けたんだろう、この薄ら寒い日に玉の汗をかき、眼鏡が少し曇っている。

「諒が大変ッス!!」

「恩田が?」

 あいつはいつだって甚だしい奴だ。しかし肩で息をする遠山を見て、そんな事は言えない。決して大袈裟ではない危機感を感じる。俺は急遽授業を自習に切り替えて、遠山に連れられるまま、体育館に向かった。

 この時間は確か、一組との合同体育だ。バスケットボール、サッカー、バレーボールの三球技から一つ選び、半年間続ける。男子の殆どはバスケかサッカーを選ぶから、女子の殆どは非選択でバレーに行く。バレーから連想されるのは……

 体育館に到着すると、バレーコートの真ん中で、ジャージー姿の恩田と、あの杉浦先生とが対峙していた。歳凶の生徒対学校の支配者の睨み合いだ。その場に居た全員が試合を中断して、遠巻きに見詰めている。

「遠山……一体何があったんだ?」

「試合中に一組の子が足を挫いちゃって、その子がバレー部で……試合相手に諒が……」

 それで杉浦先生が出て来たのか。

 バレー部は夏に行われる春高バレー予選大会に向けて猛練習中だ。そもそも三年生に参加資格は無く、とっくに引退を迎えているはずなのだが、後輩への指導役という名目で未だに部活参加を強要している。進路でごたごたしているこの時期にも関わらず。

「怪我は恩田の呪いの所為だってのか?」

 一組の女子が、恩田にどんな怨みを買ったのかは知るところではない。だが恩田なら、呪いを掛けて怪我をさせるくらいは容易いだろう。

「でも! でも諒は……!!」

 遠山は涙を浮かべて訴えてくる。

 解らない。恩田には出来てしまうだろうが、本当にしてしまうかは解らない。恩田ならやりかねないと思う。だけど、泣いたりも出来る奴が、人を無闇に傷付けたりはしないとも思うのだ。

「ああ、清水先生。授業を放り出してわざわざですか」

 走り寄ると、杉浦先生は顎を上げて言った。あんたに言われたくはない、とは口が裂けても言えたものじゃない。

「前々からこいつの悪い噂ばかり聞くがね、指導はしてないんですかね」

「す、すみません……注意しておきます」

「その手間は取らせませんよ。生徒指導部の方で処分しますから」

「そんな……!」

 随分と横暴すぎる。『呪いを掛けた容疑』なんかで処分が出来る道理は無いじゃないか。いや、杉浦先生はこの学校の実権を握っていると言って過言でない。この人に手に掛かれば、何でも可能だ。

「……恩田は確かに問題が多い生徒です。でも本当に恩田が呪いを掛けたとは――」

「私は」

 恩田が俺が言うのを遮る。その声は毅然とした響きで、恐らく体育館中に聞こえた。

「私は呪いました」

「恩田……!」

「ボールを当てられたんです、頭に。凄く痛かったです。だから『捻挫でもすれば良いのに』と思いました」

 絶句した。

 どうして……どうしてそんな事を白状してしまうんだ、お前は!

「で? それが何か?」

 杉浦先生を見上げる恩田の目が、ギラリと光る。

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