空の上から
雪が降った翌日の空はいつもよりも青い。
だから、その日ほど結婚式に相応しい日はなかったと思う。
冬になると私は年下の幼なじみのことを思い出す。同級生の三つ下の妹で、今はもう三十路だ。勝ち気でわがままで、末っ子特有の甘ったれたところがあったけど、ちっちゃい足で一生懸命に後をついてまわるのが可愛かった。
彼女は数年前の冬の或る日に結婚式を挙げた。相手は私の高校時代からの友人である。少し世間に疎いきらいがあるけど朴訥でいい人だ。彼はよく家庭の事情で学校を休む私に嫌な顔をせずノートや諸々の伝達を教えてくれた。
そして頭もよい。私は高校を卒業してすぐに職に就いたけど彼は上京して国立の大学へ進学した。後で聞いた話によると高校を卒業した一年後に付き合い始めて遠距離ながら愛を育んでいたそうだ。
最初、お盆休みに帰省したときに結婚の報告を聞いた際は、寝耳に水でなぜ今まで付き合っていたことを話してくれなかったのかと面白くなかった、が途中から話があまりにも馬鹿らしくなったので、むしろ可笑しくなった。
なんでも幼なじみの一目惚れだったらしい。2年生の春にプリントを届けにきた彼を見て恋に落ち、猛アタックしていたようだ。さそり座の乙女よ。あの男を捕まえたことは手放しに誉めてやる。よくやった。
しかし、いくらなんでも私の妹だと嘘をつくのはやりすぎだぞ。それに数年間騙されたほうもほうだけど。
友人は年下だということもあって告白を突っぱねていたのだが、月日を経るうちに情が湧き少女の熱意に根負けしたらしい。どのようなことがあったのかは濁されたが、週に一回、近所の図書館で勉強をしていたことだけは教えてくれた。隣の席で別々の教材に黙々と取り組んでは閉館のチャイムと一緒に帰る。想像しただけで甘酸っぱい。私は勢いあっての関係の発展だと想像していたから、そんな可愛い交流がされていたのかと内心ニヤついた。
頭をかきながら、ボソボソ語るあいつの耳は真っ赤だったから、本当に彼女のことを大切に思ってくれているのだろう。いつもより話が長かった。
あいつが帰った後に寝ている幼なじみに突撃した。とても驚いていたが、このぐらいは許してほしい。ちょっとした駄々だ。2人が交際しているどころか、面識があることさえ知らなかった。妹のように可愛がっていたのに秘密のままゴールインだなんて薄情じゃないか、と拗ねてみた。目を丸くする彼女に何故あいつを好きになったのか訊いた。
彼女は間髪を容れずに答えた。
「顔よ。」
私は思わず面食らってしまってそれ以上のことを聞けなくなった。
だって友人の顔はあまりよろしくない。なんというか野性味が強いのだ。今回の結婚話を聞いた口さがない者の中にはまるで美女と野獣だ、と言った奴もいるくらいだ。誤魔化された。私は直感的にそう考えた。まあ、いくら気が強くても流石にそのような繊細なことを素面で話すことは気恥ずかしかったのだろう。私たちは家族のように育ったとはいえ、今までその手の話をしたことは一度もなかったのだから。
彼女の態度が淋しかった。だけど同時に安堵した。彼女は好きなものについて自分から話すことはない。大切なものほどひけらかすことはしない。食べ物も同じで、昔は鍵っ子の彼女をよんで夕飯を食べたが、何が好物なのかサッパリわからなかった。
「美味しい?」と聞くと「美味しい。」としか答えなかった。「不味い。」と答えられても困るけど、遠慮しているのか自分から言い出すことはなかった。
そんな彼女が間違いなく好きだと確信できたのはチョコレートだけだった。バイト帰りにチョコレートを買って遊びにいくと、いつもはあたりの強い彼女もどこか優しくなるのだ。
大雪が降った日、私の母が帰り道が危ないからと彼女を我が家に泊めた。本当は子どもをクリスマスに一人で過ごさせたくなかったという親心だと気づいたのはしばらくたってからだった。
寝る前に暖かいリビングで、ソファにならんでホットチョコを飲んだ。彼女があんまり美味しそうに飲むので、私は半分残ったマグカップをあげた。遠慮がちに、おそるおそる受け取った幼なじみをみて、妹がいたらこんな感じだったのかなぁなんて思った。
しかし、受験を控えた彼女を応援したくて連日買ってったらニキビができる、と怒られたこともあった。女の子をいつまでも子ども扱いをするのはよくないのだと勉強になった。
幼なじみにとって彼がチョコレートにかわる大事なものなのだろう。ニキビどころか、幸せ太りでもしてほしい。
帰ろうとすると彼女は引き留めてきた。引っ張られた腕が痛い。でもこの痛みもこれから先は味わうことはないだろうと思うと鼻の奥がツンとした。この子は私にとって妹のような子なのだ。血のつながりはなくても家族みたいに大切な子だったのだ。
そんな子が
「もう少しいて。」
と涙目で願ってきた。いつの時代も、姉と名乗るものは妹の涙に弱い。私は普段なかなか会いに行けないから、その晩は朝日が昇るまで話をした。
式の日は快晴であった。
式の二日前、幼なじみは私にブーケがほしいかとわざわざ尋ねてきた。私は花束はいつも貰っているからなぁと躊躇っていると友人が、
「こいつはお祭りが好きだから。ブーケ争奪戦を観るほうが喜ぶだろう。」
ちょっと待って。確かにそっちのほうが面白そうだが本人の前でいうのはいかがなものかと。
「だから、別の花を用意しよう。」
そういうことならよかろう。
「まあ、わざわざ来てくれたの?」
母も来た。
母の頭には白髪があって随分老けたなあ、と思う。まだ私が学生だったころはパンツスーツにハイヒールをカツカツ鳴らすキャリアウーマンだった。その姿の印象が強いから、時々母が別の人に見えてしまうことがある。目の前にきてやっと気づくのだ。私も呆けているのかもしれない。
よく会いに来てくれるのに薄情な娘だ。たった1人の娘だと言うのに。
母は可哀想な人だ。
私には生まれてこなかった妹がいる。どうして生まれてこなかったのかは小さかったので覚えていない。その後、父が出ていったから誰かに聞くこともできなかった。母が幼なじみに優しくしたのはそのせいもあってだろう。彼女は妹と同じ年に生まれた。
その子が今日、新しい家族をもった。母は朝からずっと泣いている。わが子の結婚式のように泣いている。私がもう結婚できないから。できた妹は姉を追い越すもので、私のかわりに白いウェディングドレスを母にみせてくれた。
母の涙は喜びがこぼれたせいだ。こんなに嬉しいことはない。最後に見たのは悲しみの涙だったから。ありがとう。
どこまでも青い空の下、白いウエディングドレスを着た我が妹は美しかった。花嫁の隣に立つ友人は岩石のような頼もしさだった。
「おめでとう二人とも。」
今日、世界で一番可愛い夫婦が、澄んだ青空の下で誓いをたてた。
私はそれを遠いところから見守っていた。