人国 新しい日々の始まり
私達が人国に戻ったのは、リュドミラ王女の追放劇から約二ヶ月が過ぎようという頃だった。
当時春の終わりだった地上もすっかり夏。汗ばむような陽気になってきた。
あ、魔国は地下世界だからか春夏秋冬はないのだけれど、実は地上には四季が在る。
暦も時刻も魔国と共通。そして、地球世界とほぼ同じ12割なのだ。機械式時計があまり普及していないのでかなり大雑把なものではあるけれど。
これは『神に与えられたもの』をそのまま使っているという話。
私は小説世界に時刻や暦の設定なんてしていなかったから、例によって例のごとく生まれた独自設定だと思うけれど、やはりこの世界と地球世界は何らかの形で繋がっているようだと改めて思う。
異世界ヴィッヘントルク。
元地球人保育士 西尾星羅が転生したのは自分が書いた小説の設定とほぼ同じの不思議な世界だった。
登場人物の多くが一致。世界設定などもほぼ同一。むしろもっと苛酷にはなっていたけれど。
そんな世界に一人の孤児、モブとして転生した私は役立たずとして生まれた人国から捨てられ、というか殺された。生まれ持った家柄とクラスで人生が決定づけられる世界で『サクシャ』という怪しいスキルはゴミだとされ死の谷に堕とされたのだ。
幸い運よく私とリサという妹分は魔王陛下に助けられたけれど、一緒に落ちた子ども達は全滅。その時から私は自分の作ったこの間違った小説世界を書き直す、と決めたのだ。
私は地上世界でヴィッヘントルクを舞台とした小説を完成させてはいなかった。あまり評価が得られなかったので投げ出したのだ。所謂エタった。
元々仕事のストレスを叩きつけるような感じとその場のノリで書いていたので世界設定の一部にはかなり甘さというか雑なところがあった。舞台は試練のダンジョン探索ということもあってあまり問題にならなかった(しても貰えなかった、とも言う)。
五歳でじぶんの立ち位置を完全自覚して約五年。
その時点ではまだ私が設定した『物語』は始まっておらず、出会った『主人公』もまだ子どもだった。
幸い、私は魔国で魔王陛下や多くの人に助けられ、いい人間関係に恵まれる事ができたので、自分なりの『書き直し』を進めてきた。
でも、この世界について知れば知るほど溢れて来る知らない設定、知らない人物。
共通点はあって、物語の開始と共に起きる筈の悲劇をいくつか回避することができた。
国の事情なども複雑怪奇で、一つ問題を解決すると、新しい問題も次々出て来る。バタフライエフェクトのように。
そうしてただのモブだった私が魔国王様の養女。
王女となる事になった時、もう理解せざるを得なくなったのだ。
私が転生したヴィッヘントルクは私が書いた小説の世界ではない。
似て非なる異世界だと。
この世界を変えようとするのなら私は、作者としてではなくヴィッヘントルクに生まれた一人の人間としてやるべきだ、と。
元々、サクシャのクラスだ、といっても大したことはできず、途中で目覚めたのは敵や人物の『ステータス』を見る事くらい。多少レベルアップしたようだとはいえ、今もそれ以外の事ができているわけではない。
ただ、曲がりなりにも地球の、そして物語世界の設定を知る者として役に立てることはきっとある筈。小説では最終的に滅びの運命を辿ることになる予定だったヴィッヘントルクに幸せな未来を作る為に、私は頑張ることにしたのだった。
魔国王女として。一人のこの世界に生きる人間として。
「ここが、人国、ですか。
本当に、空気が綺麗で息がしやすいですね」
「あー、向こうが当たり前だと思ってると、違うって解るな。
こりゃあ、帰ってきたがらない人間が多いの解るかも」
魔国と人国を繋ぐ転移の魔方陣から降りて。
獣人二人はくんくんと、鼻を鳴らしながらそう言った。
私達が来た時はそこまで感じなかったけれど、戦闘種族だからきっと、気配とかに敏感なのかもしれない。
「お帰りなさいませ。セイラさん。いえ、セイラ様。お待ち申し上げておりました」
地下室に用意された転移陣の間。
青白い光の中に人影が見える。
事前連絡はしておいたし、転移魔方陣の起動には人が立ち会う決まりだし。
何より、見知った人だったから、私は躊躇うことなく転移陣から飛び降りて駆け寄った。
「ただいま戻りました。
お久しぶりです。ジュスターさん。こっちは変わりなかったですか?」
「はい、村は特に大きな問題や滞りも無く。旦那様も今日、お戻りになる予定です」
私達を出迎えてくれたジュスターさんは魔国に属する人間の一人。
人国で貴族の館に仕えていた執事だったらしいのだけれど「知ってはいけないことを知ってしまった」という理由で無実の罪を着せられ、死の谷に落とされた人。
子どもの救出の為に用意していたセーフティネットのおかげで一命をとりとめ、魔国王に忠誠を誓い、魔国の人国情報拠点、アインツ商会の初期メンバーに選ばれた。商会長であるヴィクトール様の片腕で番頭のような立場。今は魔国の民が隠れ住むアインツ商会の拠点村の村長でもある。
きっちりと整えられたシルバーブロンドに深緑の瞳が優しい。確か五十歳と言ってたっけ? 口ひげが上げられた口角と共に揺れている。
「まずはお休み下さい。
旦那様も夜までには戻られると思いますので、夕食を共にして今後の打ち合わせと情報共有を行って欲しいとのことでした」
「解りました。いつもありがとうございます。
新しい仲間も増えたので、彼らを紹介して受け入れをお願いしたいですし」
「準備はしておりますので、ご安心を。
ああ、でも実は今日、一人有翼族の女が産気づいておりまして、少々騒がしいかもしれません。女達の多くがそちらに行っているので、夕食は私が……」
「え? 出産? 私も手伝いに行ってもいいですか?」
話を遮るのは申し訳ないけれど、最優先事項が入って来たので、私は思わず前のめりになる。
「よろしいのですか? 魔国からの移動でお疲れでは?」
「大丈夫です。転移陣で立っていただけですから」
「そうして頂けるなら、女達も助かる事でしょう。
有翼族の出産は難産になりがちですから」
「解りました。リサ。アリーシャ様。手伝って貰ってもいいですか?」
「勿論!」「何でも言いつけて下さいませ」
私が転移魔方陣の中にいる二人に声をかけると、両方とも快く頷いてついてきてくれた。
「あ……俺達は?」
「男の人は産室に入れないから、ジュスターさんと一緒に待機してて。荷物とか運んでくれると助かる! ジュスターさん。二人をお願いします」
「かしこまりました」
所在なげな男の子二人をジュスターさんに丸投げして、私は村長の家からそう遠くない所に建てられている産屋に向かう。
勝手知ったる自分の村。
見れば確かに周囲は人だかり。心配そうな男の人を、周囲の男性達が励ましているようだ。
「あ! セイラさん!」
「おい! セイラさんが戻って来たぞ!」
「セイラさん、じゃなくって様って呼ばないと。確か魔王陛下の養女になられたんだ」
「そういうのはいいですから。私も手伝いに入ってもいいでしょうか?」
白鳥の羽を背に持つ心配顔の男性に、私は問いかけた。
多分、この人がお父さん。
「できるならぜひ。初産で凄く辛そうだったので、お願いします!」
「解りました。お母さんも、赤ちゃんもみんな頑張ってますから、お父さんもしっかりしていて下さいね」
「は、はい」
それから私は中の人達にも声をかけて許可を貰い、産屋に入った。
エプロンをして、髪を隠して手を消毒。
リサとアリーシャさんにも同じようにしてもらって、女性の側に寄って手を握った。
「頑張っていますね。あと少しですから」
「セイラさん……はい。頑張ります」
見れば出産はそろそろ終盤。
新しい命の誕生まで、もう少しだ。




