魔国 トラウマの克服と虎将軍の笑顔
ぷはっ、と。
私は水の中から、顔を上げるように袋から頭をもたげる。
暫くは、どうもがいても開かなかった口が開き、固くて汚い麻袋から出ることができたのはアドラール様の声が聞こえて、間もなくのこと、だったと思う。
「大丈夫? セイラ?」
袋から出て、最初に目に入ったのはリュドミラ様の黒曜石の瞳。
心配を宿し、眦には涙も浮かんでいる。
私は、多分、力任せに袋に放り込まれて、閉められていたのだと思うけれど、革紐は焼かれて黒焦げ。私を袋に放り込んだ男は、後ろで気絶している? 大きく開いた口から泡を吹いて。
「リュドミラ様……っていうか、ご無事ですか? 大丈夫なんですか?」
「……ごめんなさい。私、恐くて……身体が動かなくって……。でも、貴女が囚われてなんとかしなくっちゃ、と思って……」
見れば、リュドミラ様の首元に微かに、だけど紅い痣のような輪が浮かんでいる。
もしかしたら、なんとか私を助けようと術を使って下さったのかもしれない。
「そしたら……あの方が、助けに来て下さって……」
あの方、と王女が指示した先には、腰に帯びた大剣をほぼ鈍器にしてごろつきたちを叩きのめすアドラール様がいる。そもそも大した武器ももっていなかったようだし、戦闘力なんてちゃんと訓練もされていないごろつきなんて、魔国最高の戦士の一人であるアドラール様の前ではアリンコみたいなものだ。
あっという間にほぼほぼ地面に転がり、唸り声を上げている。
女子ども相手には通用しても、本当の戦士には脅しもハッタリも効かない。
アレ? でも、随分と手加減無しに。
私、てっきりウォルは顔見知りに頼んだんだと思ったのに。
「ねえ、セイラ。彼は味方……よね?」」
今までは武装した男、というだけで悲鳴を上げていた王女が、アドラール様を『彼』と認識し、味方、だと受け入れている。
唇は恐怖で蒼く染まり身体にも微かな震えが残っているけれど。
「はい。あの方はアドラール様。魔王様直属の騎士で、暴走していたリュドミラ様を魔宮で止めて、助て下さった方です」
だから、私ははっきりと宣言する。
彼は間違いのない味方である。と。
安堵の吐息と共に、柔らかい眼差しで大きな虎将軍の背を見つめるリュドミラ様。
もしかして、成功だったりする?
「こ……この、小娘……マジモンで……護衛付きだったのかよ」
「危ない! 下がって! リュドミラ様!」
後から迫るような声に、私はとっさに叫んで、リュドミラ様を押しのけた。
見れば泡を吹いていた男がゆっくりと、まるでゾンビか何かのように身体を起こしてくる。
「でも! こいつを人質に取れば、まだ!」
まだ半身は袋の中に入ったままの私は反応が一瞬遅れてしまう。
上腕を掴まれて手を持ち上げられた。
「痛い! 放して!!」
叫んでみても聞いてくれそうにはない。また、さっきのように吊るし上げられそうだ。
「もう止めて! 勝負はついてるんだから!」
「煩い! まだだ、まだ……」
「セイラ。目をつぶっていなさい」
「え?」
「早く!」
聞きなれた声から放たれる強めの指示に、私は言われるまま、目を閉じた。
次の瞬間、美しい音が聞こえた。
鈴を鳴らすような、ガラスを砕くような、シャランとも、カシャン、とも形容のつかない、ただ美しい音。
そして、気が付けば上腕を掴む、怖気立つような熱が消えていた。
代わりに肌に触れるのは冷たい、石の感触。
それも、即座に砕けて散る。
「もういいですよ」
「ロキシム様?」
「セイラ。無事ですか? 王女様。お怪我は?」
「私は、もうなんとも。王女様は?」
「私も平気です。ごめんなさい。セイラ。また私は何もできず……」
「いえ、急なことでしたから。ロキシム様が、助けて下さったのですか?」
「そうです。まったく。身の程も知らない若造が」
見れば、私の手を掴んでいた男は、真っ白な石像に姿を変えていた。
よく見れば、石像には右腕が無い。昔地球で見た美術品のようだと思ったけれど、美しい美女題材で、芸術品だったあれとは比べ物にならないくらい醜い。
そもそも素材が違いすぎる。
私の横には右腕の容をした石塊が落ちていて……。
何が起きたのか私の頭の中で、ようやく状況が繋がった。
多分にロキシム様が、石化の呪いをかけて動きを止めて下さったんだね。
石化は神殿に行けば、解除できると聞いたけれど、切り落とされた腕は元に戻るのかな?
まあ、深く考えるのはよそう。止めて、って言ったのに止めてくれなかったのは自業自得というものだ。
「セイラ!」
「ウォル! 貴方も来てたの?」
「何にも。本当に、何にも役に立たなかったけれどな。
悪い。セイラ」
「え? だって……」
悔しそうに苦笑しながら、手を差し伸べてくれるウォルの手をとり、立ち上がった。
その頃には、アドラール様の大暴れも片づき、男どもは全滅。
後からついてきたらしい騎士団が、捕縛する段階に入っていた。
部下にいくつか指示を向けたのち、アドラール様は、ふう、と大きく息を吐きだすと、背筋を伸ばした。
そして、ゆっくりとこっちに近づいてきて私達。正確にはリュドミラ様に頭を下げた。
「遅れて、すまなかった。怖い思いをさせてしまったことを、騎士として深くお詫びする」
「いいえ。……助けて下さいまして、ありがとうございます。
……アドラール様」
柔らかい、アルトの声が確かにアドラール様の名前を呼んだ。
その瞬間、深々と下げた首を、くい、と上げたアドラール様の虎の顔が、ふにゃりと確かに緩んで見えた。眼が糸のように細くなり弧を描く。口角も上がり、猫、いや虎の微笑なんてなんて見たことは無いけれど、確かに笑っているのだと解るそれは表情だ。
「王女には……恐れられている、と思っていた。
この成りだし、最初に助ける為とはいえ、手荒な攻撃もしたしな」
どこか照れたように指で頬を掻きながら苦笑するアドラール様に向かい合うリュドミラ様の手は祈りのように組まれ、今も、微かに震えている。完全にトラウマを克服した、というわけではないのだろう。
「はい。確かに、恐れておりましたし、今も少し……。でも、私ももう魔国の一員ですので……、恐怖に怯えてばかりいてはいけないと、思うのです。
ですから……今後は、どうぞ、良しなに……お願いできますでしょうか? アドラール様……」
深く息を吐きだし、優美なカーテシーを捧げるリュドミラ様に、今度はアドラール様が膝を付いた。忠誠を捧げる騎士のように。
「こちらこそ。その麗しき黒曜石の瞳にも負けない気高く、美しい心を持つ姫君。
騎士アドラール。
我が忠誠は魔国と、魔王陛下のものなれど、貴女にも我が誠心と思いを捧げよう」
「ありがとう、ございます」
うわ~。
周囲なんか完全に目に入ってない、二人の世界だ。
見てて、こっちが照れてしまう。
ロキシム様もウォルも、他の騎士さん達も、真っ赤になって後ろを向いているよ。
え? あれ? 他の騎士さん達?
「お前達! こいつらを詰め所まで連れて行っておけ。
俺は、王女を家までお送りして来る。……ああ、せっかくの食器なども割れてしまったな。もしよければ、俺が弁償させては頂けませんか? 姫君」
「え? そんな、申し訳ないです」
「どうか気になさらず。許されるのなら、俺も貴女の魔国での新しい生活を寿ぎたいのです。無論、見知らぬ男からの贈り物など気持ちが悪いと言われれば、仕方ありませんが」
「……では、お言葉に甘えます。アドラール様は、もう知らない殿方では、ありませんから……」
うわあ、アドラール様の尻尾が、ピーンと棒を立てたみたいに真っすぐに立っている。
猫と獣人族の感情表現が同じとは限らないけど、これは相当に緊張しつつも喜んでる感じ?
「ありがとうございます。ロキシム。後は頼む」
「お任せを」
「行くぞ、セイラ!」
「は、はい。今行きます。ウォル。また後で」
駆け出してアドラール様の元へと寄った私の頭を、柔らかく丸められた掌がこつん、と叩いた。力も入ってないし、毛並みふかふかで、痛くもないけど……なに?
私が疑問で見上げたアドラール様は、優しい微笑みと、甘やかな花の香りでしか、答えてはくれなかった。




