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人国 『魔王』と『サクシャ』の戦線布告 後編

 これは、ファーストキスじゃない。

 だから。


 別に気にするような事じゃない、と私は自分に頭の中で何度も言い聞かせている。

 そうでないと正直自分を保てそうにない。


 奪われた、もしくは与えられた私への『魔王』のキスは、脳と全身を揺さぶる衝撃的なものだった。固く、閉ざして守っていたつもりの私の唇は、あっという間に長く、固い舌に割り開かれてしまう。

 そしてそのまま、エルンクルス王子、基、魔王エルンクルスは右手で私の捻り上げた手を壁に縫い付け、左手を私の頭後ろに回して自分に押し付けてくる。

 強い「男」の力に、本気に、私は成す術が無い。

 護衛がいるから大丈夫。いざとなれば転移術で逃げてくれば。そんな私の甘さをあざ笑うかように魔王の舌は、私の抵抗を捩じ伏せ口腔内を蹂躙する。狼狽える、逃げ惑う私を捕らえ、絡みつかせてくる。


 歯列の裏、喉の奥。私の唾液を舐め取り、自分を擦り付ける。

 呼吸が奪われているせいか、頭が朦朧としてきた。

 お世辞にも、絶対に、気持ちいい。なんては思わないし感じもしてないけれど、首筋から頭の後ろに向けてぞわぞわと百足が大量に這い登ってくるような怖気に身体が震える。

 力が入らない。脳の酸素も正常な思考も奪われて行くようだ。

 舌を歯で嚙み切ってやろうかと思ったけれど、私が抵抗したらアリーシャ様や、街の人達に危険が及ぶかもしれない。


「犬に噛まれたと思って諦めろ」


 というのは魔王が言うまでも無く、卑劣な男の暴力に屈するしかなかった女性に対する慰めにならない慰めの言葉だけれども、今は本当にそう思うしかない。

 呼吸と共に抜けて行く力を必死で足に入れて、私は唯一まともに動く目で、魔王を睨みつけていた。本当に、それしかできなかったのだけれど。


「!」


 いつまで続くのか、と思った地獄は、突然終わった。

 私と密着していた魔王エルンクルスの体温と重さが、急に消えて身体が自由になる。

 力も気力も、正常な思考も全部持って行かれて、がくん、と膝から崩れ落ち、しりもちをついてしまったけれど、とにかく開放はされた。

 大きく吸い込む空気が美味しい。

 と、上げた眼前に聳えるように立つ、大きな背中が見えた。


「セイラ!!! 大丈夫か?」

「あ……グリームハルト…さ……ま?」


 どうして? 何故かは解らないけれど、グリームハルト様が私の前にいる。

 だから、きっと魔王エルンクルスは離れたのだと、今更ながらに気付いた。


「とりあえず、怪我などは無いみたいだね。

 すまない。直ぐに介抱したいけれど、ちょっと待っていてくれ」


 私の方を軽くみやり、気遣いながらもグリームハルト様の視線と、剣と注意はほぼ全て、眼前の魔王に向けられている。


「何のつもりですか? 魔王エルンクルス!」

「おや。兄上、とは呼んでくれないのか? つれないなあ」

「貴方はもう、物理的にも概念的にもフォイエルシュタインの第一王子エルンクルス、ではないでしょう? 父上は、貴方の廃嫡と王籍の削除。そして国家の敵としての討伐命令を既に国中に発令しました」

「流石父上。仕事が早い。

 うん。異論はないよ。私は魔王エルンクルス。このヴィッヘントルクに住まう全人類の敵だ」

「その全人類の敵たる魔王殿が、何故、セイラを襲うのです?」


 背中からも伝わってくるのは、怒りというか憎しみ。

 いつも、どこか飄々とした様子のグリームハルト様がここまではっきりと感情を露わにするのは珍しい。

 それは私の為だと、自惚れてもいい のだろうか?


「セイラを私の妻にする為、と、言ったらどうする?」

「!」


 言葉よりも早くグリームハルト様の剣と行動が応じた。

 響く鋼と鋼のぶつかり合い。

 どうやら、魔王も剣を帯びていたようだ。

 疾風のように。一心不乱にグリームハルト様は目の前の『敵』に飛び掛かっていく。


 狭い路地裏。搦め手や伏兵の余地は互いにない。

 真っ向からの剣と意思の交わし合いは、わずか数合で終わる。

 互いが間を開けて、相手を見据えるけれど、その表情には明らかな差があった。


「おや、もう終わりかい? 婚約者の唇を奪った不埒者を懲らしめるつもりだったんでは?」

「貴方は……何なんですか?」

「見ての通りの『魔王』さ。物理的にも概念的にも人ではないと、言ったのはお前だろう?」


 どこか歯車がズレているように見える会話だけれど、お二人の間では噛み合っているようだ。グリームハルト様は唇を固く引き縛りながらも剣を構えているのに、魔王は剣を鞘に戻し、腕組み。口角を上げて見守っている。

 ……つまり、さっきの一合で魔王の実力を把握。勝てないと理解した。

 剣をそれでも降ろさないのは、私達を背中に庇っているから。

 一方の魔王は、戦う意志も必要もない、と判断し示している。

 つまり、情けをかけられているのだ。私達は。


「まあ、心配しなくても、さっきのは冗談だ。セイラは魅力的な理解者ではあるが、連れて帰るとミアが多分気を悪くする」

「ミアは、一緒にいるんですか?」


 肩をワザとらしく竦めて見せる魔王に、私は聞いてみた。

 私にあれだけのことを言って行った以上、エルンクルスを魔王にしてそのまま放置なんてことはしていないだろう。


「同じ『魔宮』で暮らしいているという意味では、ね。

『運営』の仕事がある、と色々と忙しそうだよ」

「『運営』……」

「私がここに来たのはミアの指令で、セイラの体液を採取する為だ。生体データと、ミアは言っていたかな?」

「生体データ?」


 グリームハルト様は首を傾げるけれど『私』には解ってしまう。

 採取したデータで何をするつもりなのかは解らないけれど。


「できるだけ、生のものを劣化なく、と言われていたし、血液などは怪我をさせるのが可哀相だから。まあ、役得として楽しませては貰ったよ。既に分析して送信済み。

 ここで私を殺してもデータは戻らない」

「貴様!」

「ああ、セイラ。それからグリームハルトもこれは、僕からの忠告だと思って聞いておくといい」

「な、なんです? 急に……」

「婚約は早めに解消することをお勧めする。

 君達は相性が最悪に悪い。結婚すると必ず不幸になる。自分達も、周囲もね」

「な!!」


 逆に真顔になり、煽ってくる魔王エルンクルス。

 発達障害は治っても、性根の悪さは治っていないっぽい。


「余計なお世話です!」


 思わず進み出て、啖呵を切る。少なくとも魔王にそんなことを言われる筋合いはないもんね。


「私もグリームハルト様も、他人の指図で好きになったり別れたりなんかしませんから!」

「そういうことです。用が済んだのならお帰りを」


 思いっきりあかんべをしてやると、私の横にグリームハルト様が寄り添ってくれる。

 そっと。

 私の手に彼の思いと優しさが重ねられた。


「グリームハルト様……」

「間もなく王国騎士団の精鋭が、こちらにやってきますよ。

 ここに来る前に連絡を入れました。いくら貴方でも人海戦術で来られたら手こずるのでは?」


 勝てない、と感じていても怯まず私を守ろうとしてくれている。

 嬉しくて私は手を握り返す。

 そんな私達をみやり、魔王はただ、沈黙のまま静かに笑い、そして肩をワザとらしく竦めて見せた。


「まあ、なんとかならなくもないが、今日の所は用も済んだ。

 撤退するよ」


 まるで、兄弟が友達に挨拶するように軽く手を振る。


「またね。セイラ」

「また、なんて無いですよ。私は例え魔王や『運営』が相手でも、この世界と人々を守ります」

「それは、頼もしいな。まあ、今は、ご挨拶、と言うか宣戦布告だ。油断は禁物。我々はいつでも君達の喉元に手をかけられる、ってね」

「こちらこそ! 次に攻めてきたら。

 ううん、次に私達の前に現れたら、全力でぶっ飛ばしますから、覚悟しておいて下さい!」


 グリームハルト様に勇気を貰って、私は魔王に喧嘩を売る。

 今回は油断したけど、二度目はない。絶対に。


「解った。……ただ、さっきの忠告は覚えておおき。

『兄』から弟妹へのささやかな……ね」

「エルンクルス!」


 ハハハハハ、と高笑いを残して魔王らしく、エルンクルス元王子は消えた。

 転移術も持ってるのか。

 大人モードのミアもできた筈だし予想できなことでは無かったけれど。

 今後、注意しなきゃ。


「セイラ……」

「グリームハルト様!」


 魔王を見送り肩の力が抜けた私は今度こそ気を失いそうになったけれど、グリームハルト様は大きな腕で支えて下さった。そのまま、すっぽりと腕の中に包み込まれる。


「助けに来るのが遅れて、ゴメン。

 辛い思いをさせたね」

「いえ。絶対に負けない、って思ってました……から」


 ……あったかい。

 無理矢理身体に押し付けられた、魔王のソレとは全然違う、男の人の体温に安堵して。


「セイラ?」

「だいじょうぶ、です。だい……じょ……」

「セイラ!!!」


 私はグリームハルト様の腕の中で、全てを溶かした。

 魔王の忠告も悪夢も、全て……。


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