人国 差し出された救いの手
光の無い牢屋に舞い降りた救いの光。
「大丈夫かい? 君。ケガはないかい?」
「シャルル王子様……?」
「ああ、僕の事が解る? よかった。説明の手間が少し省ける。
待っていて。今すぐにそこから出してあげる」
第四王子シャルル様は、私を気遣うように声をかけると
「今すぐ、ここを開けて、彼女を出せ!」
外部分から連れて来たらしい見張り、もしくは看守にそう命令して下さった。
「そ、それはできません。彼女を牢に入れて出すなというのは第二王女アルティナ様の御命令にございます」
怯えたように看守は首を振るけれど、シャルル王子の眼差しと口調は厳しい。
新緑の瞳が微かに昏く深みを帯びる。
「お前、王子と王女、どちらの命に従うんだ?」
「そ、それは……」
少年とはいえ、王族の、思惑と意思を宿した問いに看守は明らかにたじろいで、いや慄いている。
ここは中世異世界、男尊女卑とまでは言わないけれど、女性の幸福は良い夫の元に嫁ぐこと。そんな意識が定着しているから、男性王族>女性王族ではあるのだろう。
加えて
「全ての責任と、姉上の対応は僕が責任を取る。君に咎はいかないようにするし、万が一問題が及んだとしても必ず適切な対応を取ると誓おう。
だから、出せ。これは王子としての命令だ」
「は、はい……」
緩急を取り混ぜた適切なフォロー力とカリスマ。
シャルル王子は、十歳とは思えない『王族』としての能力で看守の心を奪い取り、私の閉じ込められていた牢屋の鍵を開かせることに成功した。
「頼むよ。ベルナ」
「お任せを。シャルル様。
大丈夫でございますか? セイラ様」
ふらつきながら、なんとか独房から外に出た私に、コートのようなものを着せかけ、支えてくれたのは初老と言ったら失礼だけれど、五十代は過ぎていそうな、恰幅のいい女性だった。
私が子どもとはいえ、一応女性だから直接触れたり、関わったりしないように気を配って連れて来てくれたのかもしれない。
「大丈夫です。お助け下さいまして、心から感謝申し上げます。シャルル王子様」
私は膝を付き、王族への礼を捧げた。
「ああ、無理をしないで」
自分に膝を付くのは当たり前、そんな傲慢な王族のイメージからは想像もつかないような謙虚な笑みで彼は首と手を横に振った。
「謝らなければいけないのはむしろこちらの方だ。王族のトラブルに一般人である君を巻き込んでしまった。ウォルにも頼まれていたのに、自分の事で手一杯で対応が遅れ、君を辛い目に遭わせたことは恥ずべきことだ。許して欲しい」
「え? ウォル?」
そうして頭を下げて下さったシャルル王子様、でも私はそれよりも先に、意外な所で出てきた、意外な人物の名前に首を傾げる。
まさか、ここで、その名前が出て来るとは思わなかった。
「……君の婚約者には色々と世話になっているんだ。まあ、その話は後でいずれ。
とりあえずは、まず身を清めて。身支度を整えるといい。
君が牢に閉じ込められてなんだかんだでもうすぐ1日になる。アインツ商会には僕と姉上、両方から連絡を送ったから、そろそろ動きがある頃かも知れない」
そう言うと、シャルル王子は有難くも私の為に、入浴の準備を整えて下さった。
この世界で普通の一般人は入浴の機会など滅多にない。お湯を沸かすのが大変な労力なので使用人を連れて来て準備して貰える王族貴族以外は、身体を濡れたタオルで拭いたり、冷たい水に身体を浸したりするのが精一杯だ。
でもここは、王族貴族の子弟の通うアカデミア。
不潔な姿で対することは不敬に当たるので、職員や使用人の為に大浴場のようなものがありお金を支払うと使う事ができた。燃料節約の為、時間が決まっているのでいつでも、という訳にはいかないけれど、私がベルナさん? の促しで浴場に行くと既に浴場が使える状態になっていて、私は牢屋で薄汚れてしまった髪や身体を洗い流すことができた。
身体を洗うのを手伝ってくれる、というベルナさんの申し出を断り、代わりに着替えなどを取って来てもらい。私は程なく、とりあえず王族の前に出ても恥かしくない、アカデミア上級職員の風貌を取り戻すことができた。
「改めまして。助けて下さいましてありがとうございます。シャルル王子様」
「こちらこそ。姉が迷惑をかけてすまなかった。セイラ。
リュドミラ姉上に献身的に仕えてくれていた君に、そして豪商の養女である君に、恩を仇で返すような真似をしたことを心から謝罪する」
話し合いの為に、と用意されたレンタル応接の間にて。
(アカデミアには自室エリアに招き入れることはできないけれど、他国や他領地の者同士で話し合いたい時の為に、レンタルの応接室や、茶会室がいくつかある)
膝を付いた私の前で立ち上がりもう一度頭を下げて下さった。
プライド商売で、頭を下げたら負け、みたいな王族貴族とは思えない腰の低さ。気遣い。
私は素直に彼に好意を感じていた。勿論恋愛に繋がるようなものではないけれどね。
「そんな! 王子が謝るようなことではありません。アルティナ様のやりようは……その、確かに強引で、困ったことでしたけれども」
「君が聡明な人で良かった」
「え?」
「アルティナ姉様の行動や言葉に誑かされず、困った事、間違っていると気付いて拒否できる人で良かったと心から思っているんだ。僕は。流石ウォルが見込んだ女性だけあるね」
「えっと、さっきも思ったんですけど王子様はウォルをご存じで」
「うん。彼は身分違いだというかもしれないけれど、大事な友達だと思っているよ」
「そうだったんですか……」
シャルル王子は微笑むと、膝を付いていた私の手を取り、立たせるとソファへと促してくれた。王侯貴族用のソファは落ち着かないけれど、せっかくなので堪能させて頂く。
「まず、何から話した方がいいかな?」
「えっと、王子は私やウォルの事をご存じだったんですか?」
私にとっては第四王子シャルル様は、今まで直接の面識が無く、はないけれども交流の無い方だった。そもそも、アカデミアの上級事務員待遇とはいえ、ペーぺーの職員が、王子様や王女様と個人的に話をする機会なんてそうそうない。
リュドミラ様と親しくして頂いたのは、私が積極的に彼女と仲良くなろうと近づき、彼女もまた、有益な品物を流してくれる商人だから、という意図はあったにしても身分差を気にせずに引き立ててくれたからだ。
「うん。きっかけは恥ずかしい話だけれど、思ったほどの成績が取れず、悔しさに泣いていたところを見つかって、お菓子を分けて貰ったことからかな?」
「お菓子!」
「そう。アインツ商会の主要産品だという砂糖で作った『キャンディ』だっけ?
王族でさえ、滅多に味わう事の出来ない夢見るような味に、涙を忘れて……。それからは時々、こっそりと出会っては甘味や砂糖を横流しして貰いながら、相談や愚痴を聞いて貰っていたんだ」
ああ、そうか。と気付く。
ウォルも似た手段でシャルル王子に近づいたのか。
「割と気が合うし、余計な事を口にしないと誓ってくれたから、時々恥ずかしい場面も見せた気がする。君も知らないってことは、僕と出会った事を誰にも言わない、って約束を守ってくれていたんだね」
「そうだったんですか」
優し気に微笑む王子の言葉に、私も少し嬉しく、誇らしくなる。
ウォルとシャルル王子は、私が書いた小説の紛れもない主人公の二人だった。
魔宮探索の最中、始めは敵同士として出会うけれど、何度かの戦いや共闘を経て、最後には背中を預け合う親友となる。そして最後には共にこの世界を救う最終決戦に挑むのだ。
私が書き直しを始めたから違う出会いになったけれど、惹かれ合う何かは、きっとあったのだろう。
互いの弱さ、強さを認め合える種族を超えた親友との邂逅を奪う羽目にならなくて良かったと心から思う。
「君やウォルが、アカデミアにいてくれて本当に良かった。僕の、いや、僕達の同士になってくれそうだからね」
「同士?」
「そう……今は、まだ何のかは言えないけれど」
軽く微笑み片目を閉じる姿は、傍から見れば愛らしくさえ見える。
けれど。
人見の奥に宿る気配は、思いは、身震いするように、深く、昏く。
無邪気な子どもに見えても、やはりこの方も魍魎跋扈する王宮で生きる方なのだと感じずにはいられなかった。