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人国 三人称&回想 無音の犯行表明

 今から、八年前の夏。

 人国王家の夏の離宮。ドレス姿の夫人が、扉の前で見送りに立つ我が子に視線を合わせていた。


「では、母様は出かけてきます。いい子でお留守番していてね。グリームハルト。ティラ。

 明日の朝には戻って来ますから」

「はい。いってらっしゃいませ。お母様」

「……いってら!」


 九歳の兄の腕の中、まだ二歳になるやならずの少女が手を振る。

 母の後追いをするでなく、行かないで、と泣き縋るでもなく。

 愛らしい笑みで見送るのは、絶対の信頼を持つ兄の腕に抱かれているからだろう。


「お父様と久しぶりに会うのでしょう? 楽しんでいらして下さい」

「舞踏会なんて、まったく、これっぽっちも楽しい場所ではないわよ。ああ、貴方達とずっと遊んでいられたら幸せなのに」


 安堵とほんの少しの寂寥を胸に子ども達を抱き寄せ頬ずりするエルネリア妃の愛に愛し子達は弾けるように愛らしい笑みを零す。


「奥様、お時間でございます」

「行ってきます。私の宝物達。

 戻ってきたら、甘いお菓子を焼いてあげますからね」


 子どもらの頬にキスを送ると、名残惜しみながらも彼女は迎えの馬車に乗って王宮へと出かけて行った。

 今日は諸外国の代表も集まる夏の舞踏会。

 第三妃が欠席することは許されない。


「じゃあ、ティラ。遊戯室で、一緒に遊ぼう」

「あい! にいたま!」


 子どもは、通常舞踏会に参加することは無い。

 王子や婚約者の決められた娘であれば、十歳くらいから参加することもあるが、どちらにしてもまだ早い、と判断したフォイエルシュタイン第三妃は避暑がてらやってきていた離宮に側近と子どもを残して、外出していった。

 己の判断に、後日永遠に消える事の無い悔恨を抱くことになるのだが。



 王宮。舞踏会の間。

 始まった宴は予想通りエルネリア第三妃には、地獄に近い場所だった。

 夫との定型の挨拶の後は各国の代表からの挨拶を受けるが、


「ご出産おめでとうございます。エルネリア様。

 流石陛下の寵姫様。他国を押しのけても陛下が手に入れたかった孕み胎でございますわね」

「ご息女と伺いました。母君に似てきっと傾国の美姫とお成りでしょう」


 祝辞や挨拶に紛れた嫌味にはいつも地味に体力気力を削られる。

 特に。

 第二子、王女の妊娠、出産と時を合わせるかのように、不穏な気配を感じることが多くなった。


 元々、王宮と言う場所には敵が多い。女ばかりの園。後宮となればなおさら、その関係性の複雑さには当事者でさえ目を覆って逃げ出したくなる泥沼だ。

 さらに言えば、彼女エルネリアは本来、正妃となる立場ではなかった。

 順番で言うなら、別の国。南国シャンカールの王女が嫁いで来る筈だったのだ。

 それが当時の王太子、現国王のたっての願いで彼女が迎えられたが、順番を横抜かししたとエルネリアとカイネリウスの評判は悪くなった。

 それはもう頗る。国内はそれでも努力と根回しでなんとか回復させることができたが、諸外国からは今も、無垢な王子を誘惑した悪女扱いである。


「まったく、私が自分から望んだわけでもないのに」


 夫である国王が嫌い、な訳ではない。

 自分のような女のどこが良かったのかと思うが、第三妃の割に足しげく通い、愛してくれていることには感謝もある。

 けれど、魔窟としか言いようのないフォイエルシュタインの後宮で、他の女達と渡り合う度、そして今回のように王宮の晩餐会で、諸外国から嫌味を言われる度に、カイネリウスでのんびりと暮らしていたかった、という思いが過るのだ。

 できれば、家で愛しい息子と娘とまったりずっと遊んでいたい。

 けれど、産後二年が間もなく過ぎる。そろそろ公務に戻って欲しいと夫に言われてのこれが産後久々の王妃としての公務だった。


「エルネリア」

「セシリア様。ご無沙汰しております」


 息をつく間もない挨拶の応酬。

 その中で、エルネリアはかけられた声にほんの少しだけ肩の力を抜く。


 人ごみの中から現れたのは第二妃セシリア。大国の王女で気が抜ける相手では勿論無いがそれでも、他国から嫁いだ嫁同士としてほんの少し、苦楽を分かち合える者だった。


「王女の誕生おめでとう。私も、何の気負いも無しに愛せる娘が欲しかったわ」

「おめでとうございます。僕も妹ができたとアカデミアで嬉しそうに語るグリムが少し羨ましくなりました」

「ありがとうございます。ウィシュトバーン様。

 今日は留守番させましたが、グリームハルトはいつも学園でウィシュトバーン様に良くして頂いていると申しております」


 息子と二つ違い。腹違いの兄である少年は聡明そうな眼差しで丁寧な挨拶をしてくれる。

 なんだかんだいっても、無垢な祝いの言葉を送ってくれたのはこの二人が初めてだった。


「確かに娘には、息子とは違う愛しさがございます。ですが、ウィシュトバーン様は才女と名高いセシリア様の御子息。その英明さは既に広く知れ渡っておりますわ」

「ええ。この子は紛れもない王の器を持つ者。我慢も教育も足りぬ第一王子などとは比べ物になりません」


 明確な返答を避けエルネリアは舞踏会の中心に立つ二人と一人を見る。

 この舞踏会の主催であるフォイエルシュタイン国王 オルスタードは正妃ウルスラと挨拶の真っ最中だった。産休復帰の妻がいても関わる余裕は無いとみえる。

 二人の横には第一王子が立っているが、話に加わっているどころかあくびによそ見、まったく集中できていない。間もなく十三歳。アカデミアの卒業、成人も遠くないというのに。

 周囲のため息が聞こえるようだ。


「貴女の息子には、いずれウィシュトバーンの右腕になって欲しいわ。この子が王になる為には味方はいくらいてもいいから」

「それは、またいずれ。本人の希望もありますから」

「僕はグリムが好きです。アカデミアで対等にチェスができるのはあいつだけですから」

「ウィシュトバーン。二つ年下の子に負けてはいないでしょうね?」

「あいつは相手を油断させて、一気に切り込んでくるのが上手いんです。勉強になります」


 息子の言葉が正しいのなら五戦して二勝三敗くらいの戦績らしいが王子の名誉を考えるなら告げない方がいいだろう。

 思いの他楽しい会話は、やがて突然終わりを告げる。


「エルネリア妃……。久しいな」

「これは……ハールヴルズ公王陛下」


 エルネリアは何の前置きも前触れも、タイミングを見計らう事さえなく、会話に割り込んできた男性に頭を下げる。

 彼はシャンカール公国の長。つまり、自分が王妃の立場を奪った女の父親なのだ。横では同じく妻であり母である女性が自分を睨んでいる。この眼差しは十年の年月を経てもまったく変わることは無い。

 娘の栄光を奪った泥棒猫。その評価が覆ることはきっと生涯ないのだろう。


「娘は、辺境伯に嫁ぎ先日、三人目の子に恵まれた」

「それは……おめでとうございます」


 前置きも挨拶も無し、公王と呼ばれた男は一切の礼儀を無視して第三王子妃にそう告げる。血族の誕生という慶事を喜ぶ思いはその態度、言葉からは一切感じられない。


「もし、あのまま王に嫁いでいたら王家存続に娘も貢献できていただろうと残念に思う。

 エルネリア妃も子が生まれたとのこと。近頃は初夏とも思えぬほどに冷えることもある。

 火の元には気を付けるがよかろう」

「え? それは……」

「失礼」




 意味深な言葉を残して去って行った国王と王妃が人ごみに消えて後。


「今のは……まさか……エルネリア!」


 傍らで様子を見ていた第二王妃はいきなりエルネリアに詰め寄った。


「セシリア様?」


 人目も憚らないその行動にエルネリアは驚くが、セシリアの顔面からは血の気が完全に引いている。


「舞踏会が終わったら。いいえ。できれば今直ぐに子ども達の元に戻りなさい!」

「え?」

「いいから! 早く!! まさか今更、そこまでやるとは思いたくはないけれど……」


 第二妃のアドバイスに従い、馬車を疾走させた王妃エルネリアはだからこそ間に合い、そして間に合わなかった。


「な、なんです? あの煙は」

「離宮の方角です。まさか! 火事?」


 現場は騒然とした有様だった。

 燃え上がる離宮、焼け出され、傷の手当を受ける者達。

 消火活動に必死に取り組む兵士や従者達。

 その中央で、側近達の言葉さえ耳に入らず、ただただ立ち尽くし炎を見つめる息子は見つけることができた。


「グリームハルト!」 


 けれど喧騒の中。

 王妃は二歳の愛娘の姿をどこにも、どこにも、見つけることはできなかったのだ。


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