人国 新しい娘
私が着替えを終えた後は、特に特別な事を言われるでもなく、されるでもなく。
「お化粧と言うのは、やはり面白いものね。ただ、肌に塗るだけでも白く、キレイに見えていたけれど、貴女にやってもらったら、もう劇的に違って見えるもの」
「はい。ただ、技術の差が明確に出るものでもあるので、先に練習などができる時はやっておいた方がいいかもです」
「そもそも化粧品そのものが手に入らないですからね。
練習が大事なのは解るけれど結局は資本力と人脈かしら。……この白粉の成分は何?
植物の根っこの粉だと聞いたけれど」
「葛という花の根っこから採取する粉に、マイカという鉱物を混ぜています。それに細工などで出た宝石の欠片を微細粉末化したものなども。まだあまり長くは定着しませんがそこは今後研究していくつもりです」
エルネリア様にお化粧の仕方やコツを教えたり、材料について話をしたりと割と普通に楽しい時間を過ごした。
特にエルネリア様は香水と、白粉が気に入ったみたいでお土産に持って行ったもの以外にも買い取りたいと強く頼まれた。
「香水も割ってしまったしね。お詫びをさせて頂戴」
「いえ、元々、ご挨拶の為に献上する予定で持ってきたものですからお気になさらず」
「そうはいかないわ。貴女とは長くお付き合いしていきたいもの。
贈り物は贈り物、お礼はお礼としてちゃんとして欲しいの」
「解りました。では、お言葉に甘えさせて頂きます」
「よろしい。子どもは大人に甘えられる時は甘えていいのよ。
貴女は商会長代理のようなものだからそうはなかなかいかないのでしょうけれど、それでも。ね」
本当に子どもみたいに頭をなでなでされて、ちょっと照れる。
子どもとして舐められている訳ではなく、一人の人間として、知識を持つ者として敬意をもって接しつつ、子どもとして優しくして下さる。
エルネリア様はステキな女性だな、と本心から思った。魔国王の王妃様もだけど、本当のファーストレディってこういう人を言うんだろう。きっと。
「さて、そろそろ向こうに戻りましょうか? グリームハルトが一人で拗ねているでしょうから」
「そうですね。けっこう時間も過ぎてしまいましたし」
お化粧の話が一区切りついた頃、私達は奥の部屋を出て会談用の部屋に戻った。
どうやら退屈していたグリームハルト様は、厨房に行ってお菓子を作って遊んでいたらしい。
「やあ、お帰り……ちょっと砂糖を借りて……えっ?」
私とエルネリア様が一緒に部屋に戻ると、大きく目を見開いて『私』を見る。
「セイラ? その服は?」
「あ、エルネリア様にお借りしました。お化粧品を見ている途中で零して汚れてしまったので」
「香水を零してしまったのは私よ。汚れはともかくあの匂いを纏わせて返すわけにはいかなかったから。似合っているでしょう?」
「……ええ。そうですね。でも、その服は……」
「黙りなさい。グリームハルト」
「母上……」
「……余計な事は言わなくていいから。彼女が気を遣うでしょう?」
「?」
なんだか、意味深な言葉を宿してエルネリア様はグリームハルト様を見やる。
視線も、何かを孕んでいるようだ。
その何かが、私には解らないけれど。
「……解りました。……母上」
無言のにらみ合いはグリームハルト様の負け。
大きく息を吐きだし肩を竦めて見せた。
「すまないね。セイラ。母上の我儘に突き合わせてしまったようで」
「? 我儘なんかじゃないですよ。私にはもったいない、キレイな服をお借りして帰って申し訳ないくらいです」
「もったいなくはないよ。母上じゃないけれど、とても良く似合っている。美しい薔薇の花のようだ」
「そうね。ドレスってやはり、似合う人が来てこそ真価を発揮するのだと今更だけど、気付いたわ。タンスの中で眠らせておくのは可哀そうね」
グリームハルト様と、彼の言葉に慌てて手を振る私を見やり、エルネリア様は蕩けるような眼差しで微笑む。
「だから、そのドレスは差し上げます。私からの婚約と、貴女がこの家に来て下さった記念、には安すぎるけれど」
「ええっ! それはダメです。さっきも言いましたが、私には不相応で」
「そんなことはないよ。君に本当に似合っている」
「あ、ありがとうございます。でも、これ、どなたかの服なんじゃないですか? 王子のじゃないし、もしかしてエルネリア様の子どもの頃の、とか?」
「誰も纏う者はいないのだから、気にしなくていいの。
子どもは大人の好意に甘えられる時は甘えなさい、と言ったでしょ?
不相応だと思うのなら、ドレスに相応しくなるように背筋を伸ばしなさい。
貴女は貴族、王族の妻になるのですからね」
「で、でも……」
「この話はおしまい。
そう言えばグリームハルト。何を作っていたの? あら? 豆粉のクッキー?」
「ええ、そうです。昔母上が偶にハチミツで作って下さったでしょう?」
「よく覚えていたわね。あの頃は砂糖が使えなかったから」
私の抗議を軽く聞き流して王子の作ったお菓子に手を伸ばすエルネリア様。
「セイラさんも食べる? カイネリウスの豆を粉にしたもので作るの。甘みや柔らかさが足りないから貴女のパウンドケーキ程美味しくはないかもだけれど」
私の意見なんか聞かないぞってことだよね。
まあ、仕方ないか。
私は息を吐きだし
「頂きます。あ、豆の甘みが口の中に広がって美味しいです」
「二種類の砂糖で作り分けて見たけど、木の樹液から作った、って砂糖の方が相性いい気がする。さっきの砂糖の話詳しく聞かせて貰えるかい?」
「はい。この二種類の砂糖は……」
「レイラ。お茶を入れてくれる? 前にフェレイラ様が下さったものがあったでしょ?」
「かしこまりました」
その後は、グリームハルト様の手作りクッキーを食べながら、砂糖とおかし作りについての話を咲かせた。
と、言ってもお菓子の作り方、とかではなく。
「へえ、木の樹液がそんなに糖分を蓄えているんだ。面白いね」
「こっちの砂糖はこの根菜から? 抽出は難しいのかしら?」
「そこまで難しいことではないですけれど、その為の設備作りが大変ですね。
樹液も根菜も煮詰めたり、煮だしたりと大型の炉と人手が必要になってくるので。
初期設備が整って軌道に乗れば、根菜はかなり育ちやすいんで後は大丈夫だと思いますけれど。後、樹木から砂糖が取れるのは冬だけです。甜菜糖も秋から冬にかけて、ですね」
「寒さが厳しくなると、外での仕事ができなくなるから、冬に仕事ができるのは助かるわね。
抽出技術ごとカイネリウスや、この子の領地で買い取るのは難しいかしら?
勿論、それなりの対価はお支払できると思うけれど」
砂糖製造販売についての話。
お二人ともかなり本気の領主&王族モードになっておられる。
「砂糖の精製はできればアインツ商会の企業秘密ということにしておきたいです。
その代わり、樹液も根菜も提供して頂けるなら、かなり高値で買い取れると思います」
「できれば、女子どもが現金収入を得られる手段を作りたいのよ。カイネリウスは貧しいから男が出稼ぎに出ることが多くって」
「それなら、菓子の製造などはどうでしょうか? アインツ商会の主力は砂糖の販売ですが、今後は化粧品にシフトしていく予定なので、お菓子作りは外注しようかと思っているんです」
「いいの?」
「材料は提供して加工賃を払い、完成品をアインツ商会で売り出す形になるでしょうか?」
「加工賃の一部を現物で貰ってこちらで販売するとかはアリ?」
「アリだと思います。詳しくは商会長が戻ってから、もしくは店に戻って番頭や幹部と相談してからになると思いますが」
「それはそうね。私もカイネリウスの話を一存では決められないわ。国のお父様や弟と相談しないと」
「僕の領地で、実験的に初めて、成功したらそれをお祖父様にプレゼンテーションするのはどうでしょうか?」
「それが一番いいかもね。後は、頂いたお菓子や砂糖をお送りして興味を持って頂きましょう」
そういうわけで、婚約者のおうち訪問と、お義母様への御挨拶は、予定とはまったく違ったけれどとても充実したものになったのだった。
予定よりも少し長い滞在となったけれど、夕食前には失礼することにした。
「今日は、ありがとうございました。
とても楽しかったです」
「泊まって行ってくれてもいいのに。夕飯も一緒に作ったりもっと仕事のではない話をしたりしたかったわ」
「流石に、そこまでご迷惑は……」
「母上。まだ婚約したばかりなんですよ。ぐいぐい行き過ぎです」
「そうね。まだ、これから長いお付き合いになるのですものね」
「はい。また一緒にお菓子作りやお化粧などもさせて下さい」
エルネリア様は少し寂しそうだったけれど、名残惜しい、と思って頂けているのならそれは、それで成功だったと胸を張ろう。
「最後まで付き合えなくて申し訳ないんだけれど、店まで送らせるから」
「いえ、十分です。感謝しております」
実際に感謝しかないのは本当。
帰り用にも馬車を出して頂いたし。
「また、いらしてね。待っているわ」
「今度は、僕の領地に案内するよ。一緒に買い物とかもしたいな」
「楽しみにしております。改めて、本当にありがとうございました」
笑顔で見送って下さるお二人に安堵する。
何とか難関『お義母様への御挨拶』をクリアできたようだ。
「あとね、セイラ」
「なんでしょうか?」
「……近いうちに王宮の父上にも挨拶に行くつもりだから、その心構えでいて欲しい」
「あ、やっぱりそうなりますね」
「心配しないで。その時には私も付き添いますから」
「いいんですか?」
「もちろん。貴女は私の娘になるのですもの。誰にも渡さないわ」
エルネリア様は微笑んで請け負って下さった。
「今日の様に堂々と、自分を出せる貴女なら王の相手は大丈夫よ。
エルンクルスや、やっかいな貴族からは貴方が守りなさい。グリームハルト」
「勿論です」
「がんばります」
最後にもう一度、お礼を言って私達は帰路に就いた。
帰りの馬車の中。
「気持ちのいい方達だったね」
「ええ。人国の貴族が皆、ああいう方だといいんですけれどね」
「私もそう思う。第一王子とその周辺が悪すぎるのかもしれないけれど」
グリームハルト様のような方とだったら魔国と人との共存もできない話じゃないと、今の所は思えるのだけれど、これはまだ早急な判断かな?
「とりあえずは、お義父様に報告。グリームハルト様達の提案を検討して……後は、礼儀作法の再確認? あう~。また学校が遠ざかる」
「頑張れ。セイラ」
まだまだ、やらなくてはならないことはたくさん。たくさん。
学校にはまだ当分、復帰できそうにない。
ため息をつく私の背をリサ優しく励ますようになでてくれた。
そうして、これは私の知らない第三王子家の会話。
「可愛らしいお嬢さんね。しかも賢くて気が利くなんて最高。
気に入りました。
貴方にしては上出来よ。グリームハルト」
「それは良かったですが。
母上、やることがあざとすぎませんか?」
「何が?」
「ティラのドレスを着せるなんて、ですよ。
香水瓶、割ったのワザと、なんでしょう?」
「だって……。彼女があんまり可愛らしくて、賢いから。
どうしても思ってしまったんだもの。あの子……ティラが生きていたらこんな風に育ったのかしらって。
一緒に料理をして、食事を食べて、お化粧をしあって、親子ができたのかなって」
「それは僕も、……確かにそう思わなくはなかったですけど。でも止めましょう。
あの子はティラではないし、僕の婚約者です。
妹では結婚できません。嫌ですよ。今更彼女に嫌われるのも、諦めるのも」
「解っているわ。妥協します。貴女の妻なら、私の娘になるのだから。
ティラの分まで、あの子を守って可愛がる、と私は決めたの」
「そうして下さい。僕もそうしますから」